2月7日 硫黄岳山頂にて
2017年度 2月合宿報告書
日本大学山岳部
目的 | 冬期の縦走を経験する メンバーシップ・リーダーシップの向上 1年生の生活技術の確立、2年生の冬期登攀技術の向上 |
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山域 | 八ヶ岳(蓼科山~縞枯山~黒百合ヒュッテ~硫黄岳~行者小屋~美濃戸口) |
日程 | 平成30年2月4日(日)~平成30年2月8日(木) 実働5日 |
メンバー | 4年 CL高根澤亮太 3年 SL國谷良介、髙橋佑太 2年 川村洸斗、近藤歩、新保裕也、田邊カレン、福島端流 1年 氏神拓真、野上博史、原島千尋、藤本武流、前田雄飛、村上洋道、山田哲平、渡辺悠介 計16名 |
行動報告
2月4日(日)晴れ~曇り -14℃ 積雪40cm
啄木鳥山荘(白樺湖畔:中川OB別邸)06:50~女神茶屋07:20~11:50蓼科山山頂~16:30大河原峠CS1
OBの方々に見送られ入山する。1年生は重い荷物にあえぎながら、蓼科山の急登を登る。良いペースで進み、予定通りの時刻で蓼科山の山頂に到着する。しかし、蓼科山荘への下降路を間違えてしまい、樹林帯に入ってしまった。一旦引き返してルートを修正する。蓼科山の登りの疲労もあり、ペースは上がらない。本日は大河原峠に天幕を設営する。
2月5日(月)曇り -16℃ 積雪25cm
大河原峠CS1 05:16~07:20双子池~09:30亀甲池~12:10北横岳~14:30縞枯山荘CS2
食当の準備不足により出発が大幅に遅れる。また、双子池への下降でルートを間違えたせいで若干遅れが生じる。北横岳の急登では、1年の藤本、山田が遅れ始めるが、声を出しながら必死についてきていた。14時半頃、縞枯山荘に到着した。これ以上進んでしまうと、設営出来る場所に着く頃には日が暮れてしまうため、やむを得ず縞枯山荘付近に天幕を設営した。
2月6日(火)曇り -18℃ 積雪 120cm
縞枯山荘CS2 05:06~05:50縞枯山~06:20茶臼山~07:30麦草峠~09:10高見石山荘~11:00中山~12:05黒百合ヒュッテCS3
1年生のワカンの装着が遅く、出発が若干遅れる。樹林帯の中は風がなくとても静かである。皆、黙々と登る。体が馴れてきたせいか、とても良いペースである。あっという間に茶臼山を越え、高見石山荘に到着した。まだ時間に余裕があるので、黒百合山荘を目指すことにする。中山の長い登りもハイペースで進み、一時間半で山頂を通過し、黒百合ヒュッテに到着した。山荘は営業しており、水洗トイレが完備されており、一同感激の声を挙げていた。
2月7日(水)曇り -21℃ 積雪不明
黒百合ヒュッテCS3 05:10~06:40東天狗岳~07:50根石岳~08:10夏沢峠~09:45硫黄岳~10:00赤岩の頭~11:10赤岳鉱泉~12:30行者小屋BC
本日は行者小屋を目指して行動を開始する。森林限界での行動が長くなることを予想し、全員に目出帽とゴーグルを着用させる。東天狗岳の手前から非常に風が強い。ここで原島が遅れ始める。強風に揺さぶられながら東天狗岳の山頂を通過する。根石岳過ぎまでは平尾根で風避けがないためノンストップで進む。
下りになると原島は元気になる。この時点で全員の手足、顔に異常はなかった。しばらく樹林帯を進み、硫黄岳への長い急登にはいる。原島と山田が登りに入った途端遅れ始める。風が強く、気温も低いためなるべく早く硫黄岳山頂は通過したかったが、2人のペースがなかなか上がらない。皆で声を掛け合いながら必死に登る。なんとか硫黄岳山頂に到着し、記念撮影を済ませて直に行者小屋へ向かう。
赤岩の頭で休憩をした際、渡辺、野上、近藤の頬が黒ずんでいることがわかった。行者小屋に到着し、全員の顔をチェックすると、1年生の男子全員と、2年の新保と近藤が軽度の顔面凍傷の疑いがあることが発覚した。すぐに加温し、ヒルドイドを塗らせる。夕食前、村上、野上、新保は凍傷になった箇所に水泡が出来ていた。この時点で、赤岳へのアタックは中止とし、明日は高根澤、國谷、高橋、福島、川村で阿弥陀岳北稜へアタックし、同日そのまま下山することにする。
2月8日(木)晴れ -22℃
行者小屋BC05:00~06:00阿弥陀岳北稜第一岩峰取り付き~06:50第二岩峰取り付き~07:20阿弥陀岳山頂~07:40第二岩峰終了点(下降開始)~09:15行者小屋BC~11:20八ヶ岳山荘(美濃戸口)=茅野駅
準備を済ませて出発する。トップの経験を積ませるため、途中から國谷に代わり福島にトップを任せる。かなりハイペースで進んだだめ、日の出前に第一岩峰取り付きに到着した。登攀の準備を整えていると、辺りが徐々に明るくなってきた。背後に堂々と聳え立つ赤岳が美しい。1ピッチ目は國谷がリード。若干てこずってはいたが登りきる。しかし、本来なら第二岩峰までロープを伸ばすはずだったが、手前の岩峰でピッチを切ってしまっていた。
高根澤が残りの分のロープを伸ばし、第二岩峰の取り付きで1ピッチ目を終了する。2ピッチ目は高橋がリード。登り始めるとすいすい登っていき、あっという間に2ピッチ目を終了する。当初の予定では、第二岩峰の手前から下降する予定だったが、第二岩峰過ぎ(2ピッチ目)の終了点から下降に使ったと思われるトレースがくっきりついていた為、下降の際はこれを使うことにした。全員が2ピッチ目を問題なく通過し、阿弥陀岳山頂に到着した。記念撮影を済ませ、下降を開始する。
まず、國谷をロワーダウンさせ、第一岩峰の取り付き手前まで下ろす。その後高橋、福島、川村が伸ばしたザイルにセルフビレイを掛けながらクライムダウンした。最後に高根澤が國谷に確保してもらいながら下降した。その後、30メートルの懸垂下降を1ピッチ交え、二時間ほどで行者小屋に戻ってきた。その後、素早く撤収を済ませ、全員で美濃戸口の八ヶ岳山荘に下山した
総括
1年生は生活技術の確立。2,3年生はリーダーシップ、メンバーシップの向上に重点をおいた合宿ではあったが、多数の課題が残る合宿であった。1年生は未だに出発の遅れが相次ぎ、ワカンやアイゼンの装着が遅いと言う反省が目立っていた。その一方で、テント内の生活に関しては成長が見られ、細かい反省が減ってきたようだ。2年生に関してはいまだに1年生への細かい配慮が不十分であった印象を受けた。行動中だけでなく、テント内、撤収時の声掛けが出来ておらず、未だに1年生が同じ反省を繰り返している。
例えば、撤収に関してただ毎回「急げ」と急がすだけでは一向に1年生は成長しない。なぜ遅れてしまうのか、どうすれば間に合うのかをさらに詳しく指導していく必要がある。三年生に関しては、自分で考え、それを声に出して行動することが出来ていなかった。行動中の装備と着用や、バテた者の荷物の分配に関しては、まだ4年の指示を待ってしまっている印象であった。
日本大学山岳部の主将として、残す合宿は春山合宿のみになった。しかし、今回の合宿は多くの課題を残す結果となってしまった。来年度、國谷と高橋、そして残されたメンバーに部を任せるために、最後の合宿で何を達成するべきなのかを吟味し、計画書を作成したい。
(報告者:高根澤亮太)
番外編 ~ 2月合宿(厳冬の八ヶ岳縦走): 2年生 新保 裕也 の場合
朝、天幕の撤収を終えて行動を開始する。1ピッチ目の行動から、ザックのショルダーはグイグイと容赦なく肩に食い込む。アウターの中でも両腕の血管が鬱血して太くなるのが分かる。熱を帯びた鈍い痺れ感が両肩を覆う。ザック麻痺二歩手前? 毎度のこと。もぅ、 慣れたつもりだが何とも言えない感覚に、逆にスイッチが入る。
2月合宿はスタートとともに、日本列島は数年に一度と言われる強い寒気が流れ込んだ。この立春寒波は日本列島をほぼ飲み込んだ。JPCZが流れ込んだ北陸の平野部では“56豪雪”以来と伝えられる程の大雪となった。当該合宿山域である八ヶ岳も寒さと風との戦いになった。
冬山合宿はアッタク形式で槍の頂上を踏んだ。着実で慎重な行動が要求された。今回は縦走形式の合宿で、正確なルートファィンデイングが要求された。南北に約30キロを走る山塊を縦断する。周りを遮る地形も山もなく、森林限界以上は常に寒風に曝され、低温の中をフル装備で歩き続けた。2月の八ヶ岳には冬山合宿になかった別の要素が求められた。
2年後、オレがナビゲートして下級生を引っ張って歩いているのかな…・・何だろう、頭だけはやけに冴えている。
そぅ、オレは シンボ・ユウヤ