快晴の根子岳頂上2,207m 原田OBと高根澤部員(1年)シール装着のまま到着
撮影:大谷直弘
山行報告書
日本大学山岳部
目的 | 山スキーによる登山、山スキー技術の習得 |
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山域 | 菅平高原 根子岳スキー登山(2,207m) |
日程 | 平成27年3月31日(火) |
メンバー | L.大谷直弘(OB/監督)、原田 洋(OB/OB会会長)、高根澤亮太(1年) 計3名 |
タイム | 3月30日(月)車両にて大谷勤務先発23:45 →菅平高原ダボススキー場駐車場04:00 3月31日(火) ダボス太郎エリア(奥ダボス第1トリプルリフト)8:00~奥ダボス第1トリプルリフト最高点8:35~避難小屋1794m9:35~根子岳頂上11:05~(昼食)~避難小屋1794m12:15~ダボス太郎エリア(奥ダボス第1トリプルリフト)12:35(行動終了) |
気象 | 晴れ 気温5度(行動開始時8:00) |
行動
30日夜、仕事を終わらせ自宅最寄駅で高根澤君と待ち合わせ、途中で原田OBのご自宅に寄り合流後、菅平高原まで車を走らせる。31日未明、菅平高原奥ダボス第1トリプルリフトの駐車場に到着後、午前6時まで車内にて仮眠。午前7時に朝食後準備を開始。今回、山スキーが初めてな高根澤君に山スキー、兼用ブーツとシール、アダプタービンデイング(アルパイントレッカー)の取り扱いについて説明をする。今回、ビッグフットの高根澤君の為に調達したアルパイントレッカーが以降威力を発揮することになる。
スタート地点の駐車場から本日目指す根子岳と隣の四阿山が抜けるような青空の下、その山容をクッキリと映しだしている。今回、OB会の原田会長にも参加して頂き、高根澤君の山スキー指導にご協力を頂いた。原田OBは予め先行して登り始め、大谷と高根澤君は準備に手間取るがトリプルリフト最高点で追いつく。
高根澤君は初めてのシール登高だが順調に登り続ける。昨日で営業を終えたゲレンデは誰もいなく、山の静寂を取り戻したと言った感じである。避難小屋を越えると標高も上がり視界がグッと良くなる。御嶽、乗鞍、北アルプスは槍・穂~白馬まで一直線に並び、頚城山塊、中央ア、美ヶ原・霧ヶ峰、八ヶ岳、南ア、浅間山、篭の塔山、富士山までの大パノラマが視界に飛び込んでくる。
途中写真を撮りながら、ひたすら根子岳の頂上を目指しシール登高を行う。頂上手前の樹林帯を突き抜けて少し登ると、頂上の祠が見えてくる。頂上で大パノラマをバックに写真を撮り、しばし景色を堪能する。風が強いので頂上直下の風下で、味噌ラーメンを作って少し早い昼飯とする。素晴らしい北アを眺めながら最高のひと時となった。
いよいよ下りに入る。シールを外して、バックルを締め直して根子岳の頂上から一気に下り始める。下降ルートはほぼ登高ルートに同じ。雪質は思ったほど腐っておらず、なかなかの滑りを楽しむことが出来た。高根澤君も初めての山スキーを楽しめたようだ。山スキーに大変興味があるようで楽しみな存在だ。
(報告者:大谷直弘)
行動
11日夜、仕事を終わらせ千石部室にて鈴木OGと3年生の水越君と合流、あずまや高原まで車を走らせる。12日未明、あずまや高原ホテル下の駐車場に到着。“春に3日の晴れなし”と言うように天気の変動が激しい今春、何とか雨模様の間を縫って貴重な晴れの日に山スキーへ出かけることが出来た。
登山道を登るほど“雪が少なく滑って戻れるのか?”と不安がよぎり始める。もっとも、適期シーズンも過ぎてしまっているのでしょうがないと諦めて、黙々とスキーを背負って登る。標高2,200mの根子岳分岐下にてスキーをデポして頂上稜線に向って登り始める。ここまで登ると視界も良くなり乗鞍、北アルプスは槍・穂~白馬まで、頚城、中央ア、美ヶ原・霧ヶ峰、八ヶ岳、南ア、浅間山、篭の塔山、湯の丸山まで望むことができた。頂上も勿論、眺めが素晴らしい。到着後、早速ソーセージ入りラーメンを作って昼食とする。
下りは標高2,100m付近からスキーで滑り始める。まばらな灌木帯を障害物代わりに見立て、ターンを楽しみながら下降する。途中、広い斜面で登り直して春スキーを満喫する。リフトが無くても誰もいない斜面を繰り返し滑るのは楽しい。牧草地入口鉄柵下の登山道まで粘ってスキーで降りる。最後は登って来た登山道を下りて、あずまや高原ホテル上の登山道入口に無事帰着し行動を終える。高原ホテルさんにて温泉に浸かり帰京する。いい湯でした。
(報告者:大谷直弘)
高根澤部員の感想
3月30日、横浜を前夜に出発し、原田会長と合流後根子岳へ向かった。早朝目的地に到着した。空には星がきれいに見えていた。翌、実働日は天気が良く、行動を開始する際は暑いくらいだった。初めての山スキーは何もかもが新鮮だった。少々疲れたが、北アルプスを一望することができ、心地よく登ることができた。スキーは3年振りだったので、下りの滑走は不安だった。案の定何度も転んだが、誰もいない銀世界を滑るのは格別であった、また行きたい、そう思った。
(報告者:1年 高根澤 亮太)