↑大勢の見送りとともに、羽田空港を出発
平成24年度 春山合宿行動報告書
日本大学山岳部
場所 | ネパールヒマラヤ クーンブ山群 メラピーク峰 |
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期日 | 平成25年3月1日~28日 |
メンバー | 3年 L関 洸哉、SL横山 裕 1年 賀来素直、金原守人、須郷直也 監督 大谷直弘 |
クライミング・ガイド | サンタマン・タマン(38才) |
コック | ニマ・タマン(32才) |
ポーター | アラム・タマン(35才)、ラクマン・タマン(34才)、カーレ・グルン(兼キッチンアシスタント・28才)、プルバ・シェルパ(24才)、テンリ・シェルパ(22才)、チリン・タマン(19才) |
行動
3月1日 羽田空港集合
岡田元監督、古野理事長、斉藤コーチ、そして国内組のメンバー、ご両親方に見送られて出発する。金原がナイフを身に着けていたらしく、手荷物検査で時間がかかっている。結局ナイフはダッフルバックとは別に預け荷物となる。
3月2日 羽田空港~カトマンズ
羽田空港00:20~04:20(タイ)スワンナプーム空港~12:30(ネパール)トリプバン空港
タイで5時間ほど待ってネパールへと出発する。飛行機からヒマラヤの山々が望め、皆興奮する。ついにネパールに到着するが、暑い。また金原のナイフが見つからない。ある乗客の荷物は台湾に行ってしまったようで揉めていた。空港でコスモトレックの柳原さんが出迎えてくれてホテルまで車に乗せてもらう。途中、ラジンパットにあるコスモトレックの大津社長に挨拶をし、今回我が隊のガイドを務めるサンタマンを紹介していただく。
その後、ツシタホテルにチェックイン。
3月3日 カトマンズ滞在
この日、ホテルにてサンタマンと装備等の打ち合わせをし、タメル地区で足りない装備の買い出しをする。ルクラへの飛行機は手荷物が15kgまでのため、超過する分の荷物(約30kg)を急遽先に空港に送ることとなる。
3月4日 カトマンズ~ルクラ2850m カトマンズ20℃ ルクラ15℃
トリプバン空港09:10~09:35ルクラ
霧が濃かったため飛ぶか心配であったが、出発時間は遅れたがルクラへと出発する。北側には独特な形をした山が立ち並んでおり、さらに興奮する。プロペラ機は揺れながらあっと言う間に飛行場に降り立つ。今日はチュタンガまで行く予定であったが、無理をせずルクラで一泊する。こちらの日程計画もあったが、ルクラでの装備調達、ポーター手配の段取りがあるようなので、サンタマンに任せることにする。
3月5日 晴れのち曇り ルクラ~チュタンガ3300m 14℃
ルクラ07:40~10:40トックディン11:00~11:25チュタンガ
賀来は喉の調子が良くないようだが、行動に問題はなさそうだ。山々に朝日が差し込んでおり、ヌプラがとても綺麗である。サンタマンの話によると私たちがシーズンになり初めてメラピークを目指す登山隊のようである。ポーターに荷物を振り分けて出発する。ポーターは20㎏以上のダッフルバック2つに、自分のザックを背負う。私たちは水や防寒具など、7~8㎏くらいだろう。サンタマンを先頭にゾッキョの糞が至るところに落ちている小道を進む。七分咲きくらいのシャクナゲが咲いている。返ってくるころには満開のようだ。道のりは短いが少し疲れる。トックディンと言う村に着き、そこから30分ほど登るとチュタンガに到着する。チュタンガでは高所順化を兼ねて野球をして時間を費やす。昼と夜飯はダルバートをいただく。慣れれば美味しい気もするが、この先続くと思うと不安である。高所用のテントを3張り張って就寝する。
3月6日 晴れのち雨 チュタンガ~カルカテン4100m~チュタンガ 5℃
チュタンガ07:30~09:15カルカテン10:50~11:40チュタンガ
賀来の体調は万全とは言えないものの、良くなったようである。賀来の荷物を軽くしてカルカテンへと向かう。雪道であり、凍っている箇所もあり苦労する。チュタンガまでの道のりとは違い、登りが続く。最後は急な斜面を登ってカルカテンに到着する。カルカテンは緩い尾根が台地上になったところにある。標高は4100mとしているが、サンタマンは3600mくらいだと言う。高度計も3850mを指しており、おそらく4100mはないのだろう。ここからはクスムカングル・サウスの岩峰が見える。バッティでティーをいただき、高度順化のため、調子の悪い賀来を残して5人で少しだけ標高を上げる。積もっている雪はすね辺りまでといったところだ。チュタンガへと一気に下山し昼食をいただく。午後からは次第に雲が多くなり、雨が降り出す。
3月7日 晴れのちあられ チュタンガ~カルカテン -2℃(出発前)
チュタンガ08:25~10:15カルカテン
二重靴を履いて出発する。ざらめ雪が積もっており、凍っていて神経を使う。しかしポーターは運動靴で50kg以上の荷物を背負って登る。周りの岩壁にも雪が積もっている。カルカテン手前で大谷監督の靴のビブラムが剥がれてしまうが、アイゼンを付ければ問題ないようである。カルカテンに着いた頃、雲が湧いてくる。午後になると雲が出てくるのは毎日のことだそうだ。12時過ぎからあられが降り始める。賀来が倦怠感を訴えており、体温も少し高い。このまま標高の高い所にいても良くはならないと考え、賀来をルクラに下ろすことになる。大谷監督、コックのニマ、ポーター一人が賀来に付き添い14時に出発する。18時に大谷監督からシーバーで連絡が来る。賀来の体調が良くないようで、まだルクラには到着していないようである。明日6時に交信する約束をし、通信を断つ。今日はバッティで就寝するがとても冷える。
3月8日 晴れのち曇り カルカテン
カルカテン停滞(順化行動 4300m地点往復)
シーバーや、衛星携帯よりも、現地の携帯電話の方が聞き取りやすいため、サンタマンの携帯を借りて連絡を取る。賀来の体調は良くなったそうだが、大谷監督は賀来をカトマンズに戻す手続きをしてからカルカテンに戻るとの連絡を受ける。私たち4人は高所順化のため、峠へと向かうこととし、直上後のトラバース手前まで進むことにする。朝はとても冷えるが、太陽がのぞくと途端に暑くなる。雪はさらさらで滑りやすい。後ろからツエトラやコテ、タナなどのロッジのオーナーが登ってくる。男性2人、女性4人の一団が、シーズン到来か仕事始めで峠を越えるそうである。後で分かったことだが、今回我々の隊がメラピークではファースト・パーティーになる為、ガイドのサンタマンがキャラバンルート上の各ロッジのオーナーに店開きをするように手配をしてくれたとのこと。カルカテン~BCまでテント泊がなくなったのもそのおかげである。バッティの裏手の尾根を直上して、カルカテンから200mほど高度を上げた所で休憩する。そこからずっしりとした山容のチョーオユーを望むことができた。バッティに戻ったあと、高度順化の影響か、須郷が少し頭痛を訴える。賀来については、ルクラからカトマンズまでの飛行機が上手く取れたようで、15時頃大谷監督たちがカルカテンに到着する。ちょっとお疲れのようである。
3月9日 晴れのち曇り・あられ カルカテン~ザトルワ峠4590m~ツエトラ(チュリカルカ)4280m -2℃
カルカテン08:15~10:00コル~11:20ザトルワ峠~12:15ツエトラ
アイゼン、ピッケルを身に付け行動を開始する。昨日より雪が締まっている。峠へのトラバースはトレースもしっかりしており、FIXを張る必要はない。トラバース箇所は小さなデブリの跡があり、雪が大量に降った後は怖いところだろう。1997年、ポーターが6人雪崩に巻き込まれた死亡事故もあった箇所だ。緊張のトラバースを終え、急斜面を直上する。関は腹の調子が悪く、大谷監督、横山、須郷は多少の頭痛があり、きつい登りとなった。コルに到着した頃から雲に覆われる。コルを越えて南側の斜面を1時間ほどトラバースし、ザトルワ峠に到着する。ここから下りが続き、谷にあるツエトラに到着する。ツエトラには綺麗なロッジがあり、そこのヒーター(薪ストーブ)でポーターも集まり暖をとる。横山も腹の調子が悪いようだ。整腸剤などの薬を飲む。今日はこのロッジの2人1部屋のベッドにて就寝する。
3月10日 霧のち雪 ツエトラ~コテ3680m -1.5℃
ツエトラ08:05~10:15タックトック12:05~13:15タシンディグマ~14:35コテ
朝から霧である。昨夜の雪で5cmほど積もっている。出発から30分くらいで横山が気持ち悪さを訴える。吐き気があるため、空身にしてゆっくり進む。山腹を登っている途中、スノーレパードの足跡がある。昨日、横山がオコジョを見たと言っていたが、それがスノーレパードであったらしい。チーターくらいの大きさで凶暴なのかと思っていたが、猫みたいで、攻撃してくることは無いようだ。トラバースが続くが、3回ほど尾根を越えるために登る。ツエトラから1時間と少しで下りになる。霧でなければ壮大な景色が出迎えてくれる筈なのだが、真っ白な中樹林帯をひたすら下る。日本の雪道を下っているのと一緒である。タックトックに到着し、昼食をいただく。小屋の外はしんしんと雪が降っている。ヤッケや雨具を着て出発する。少し下りると、大きなタックトックの村がある。地図には記入されていなかったが、立派な村である。さらに下ると、小さな小屋が2つ建っているタシンディグマに着き、そこから登り降りをくり返して、ヒンクー川沿いを進むとコテに着く。コテはさらに大きな村である。奥にはメラピークの南面が聳え立っており、雄大な景色である。ホテル・ラマ(ロッジ)にてティーをいただく。とてもウェルカムなホテルである。コテのロッジのオーナー達は、我が隊が来るとの連絡を受け、数日前にルクラからヘリコプターで来たらしい。夕食までヒーター(薪ストーブ)で乾かし物をする。夕方には雷も鳴り始める、毎日寒いが季節は春に変わり始めているのだろうか。
3月11日 曇りのち雪 コテ -2.5℃
コテ停滞
一昨日、前日と行動がハードであったため、ポーターの休養また、横山の下痢の具合も良くないのでレストとする。昨夜、横山は吐き気で何回も目が覚めるほど苦しかったようである。ジアルジア症の可能性があるため、フラジールを飲んで休養する。午前中、体調の悪い横山を残して、近くに仏様を祀ってある場所へ連れて行ってもらう。タルチョが飾られた大岩のクラックを通り抜け、登山の安全を祈願する。午後にはクスムカングルを目指す、日本山岳会学生部・東海支部のメンバー4人がコテに到着する。食堂が賑やかになるのは久しぶりである。
3月12日 晴れのち曇り コテ~タナ4356m 2℃
コテ08:10~10:15ゴンディシュン~12:20タナ
横山は1日休んだことで体調は良好である。メラピークを目の前に、川岸を進む。雲一つなくとても良い天気である。途中からキャシャールやクスムカングルなど、堂々とした姿を見せる。断崖から何回も落石がある箇所があり、注意して進む。出だしから金原がバテ気味であったが、タナを目前として完全にバテていたため、金原の荷物を軽くする。腹の調子が良くないのが原因のようだ。賀来、横山と続き今日は金原の具合が悪い、海外登山におけるコンデイション維持の難しさを感じる。タナも大きな村で、木もない荒涼とした雰囲気の場所に色鮮やかな石積みのロッジが何軒も並ぶ。昼食を食べた後、高所順化のためキャシャール末端の丘状となった所を登り、100mほど高度を上げる。花谷氏が登攀したという下部の岩壁を眺めてタナに下りる。とても大きな岩壁に圧倒される。
3月13日 晴れのち曇り タナ~4650m地点~タナ 2.5℃
タナ08:00~10:25 4650m地点10:50~12:05タナ
昨日に続き良い天気である。金原は空身で順化する。10年くらい前に崩壊したという湖の前を横切り、ヒンクー川右岸側から徐々に高度を上げる。背後にキャシャール、クスムカングル、右にはメラピーク北峰と素晴らしい景色である。ディグ氷河が開けた、4650mあたりまで順化する。カーレBCは丘の裏にあるため見えないが、私たちが登るメラ氷河の舌端と、メラ・ラを見ることができた。タナに戻り夕食後、アッタク時の装備の打ち合わせなどをする。
3月14日 晴れのち雪 タナ~カーレBC4900m 3℃
タナ08:05~11:15カーレBC
昨日と同じルートを進む。メラピークやクスムカングルの方でアイスブロックが崩壊し、雪崩が発生している。昨日の折り返し地点を過ぎ、丘を越えるとカーレが見える。2000年の日大メラピーク隊の映像と違い、綺麗なロッジがいくつも建っている。私たちのBCは メラ・アルパインロッジであり、用意した国旗を掲げる場所はない。ここでは靴やギア類のレンタルを行っている。サンタマンやポーターは靴やハーネスなどをここで借りるようだ。大谷監督もプラ靴の調子が悪く、アウターのみを借りる。BCからはコックのニマが料理を作ってくれ、昼食には太巻きやみそ汁など日本料理がでる。とてもおいしく皆感動である。午後は高所順化のため、裏にある尾根を高度5130mまで登る。Malanphulan(6573m)など格好の良い山々が見渡せる。
3月15日 晴れのち雪 カーレBC~5300m地点~カーレBC -6℃
カーレBC08:00~10:35 5300m地点10:55~12:05カーレBC
メラ・ラまで高度順化の予定である。二重靴を履き、アイゼン、メット、ハーネスを携行して出発する。カーレから登山道の取り付きは雪面の登りとなる。ガレ場を登り終え、氷河の舌端が見えてくる。氷河へは岩場沿いに巻くようにして取り付く。落石の危険があるため、ここから全員メットを着用する。ここを越えると、メラ・ラまで平坦な道が続く。現在地の標高(5300m)とメラ・ラの標高はほぼ変わらないので、体力温存のため行動は氷河を登り終えた、5300m地点までとした。メラ・ラより先にはACに向かう登山者やシェルパ、ポーターだろう、何人か登っているのが見える。さらに先にはメラピーク中央峰が小さく顔を出しており、ピークへと雪原がすーっと伸びている。先は長そうだ。下山を開始する頃、山に雲がかかり始める。1時間くらいでBCに到着する。昼食後、持参した赤布を竹竿に巻き付け、赤旗を作る。メンバーは頭痛や吐き気を催すこともなく、順化は上手くいっているようである。午後には毎度の雪が降る。
3月16日 晴れのち雪 カーレBC 3℃
カーレBC 停滞
体を休めるためBCでレストする。午前中ACの食糧と装備をチェックする。その後近くの斜面でアッセンダーの登攀と、懸垂下降の練習をする。サンタマンの情報によると、今年は雪が多くファーストサミットはまだされておらず、ACから上部はトレースも無いとのことである。また本当かどうかわからないが、胸まで雪が積もっている箇所もあるそうだ。何か不安だらけである。明日は遂にAC建設であり、天気が良くなってくれることを願うばかりである。明日の公共装備についてサンタマンと最終確認を行う。医療用の酸素はACに上げるが、ガモウバッグは荷揚げしないことを確認する。午後からは毎度の雪が降る。
3月17日 曇りのち雪 カーレBC~AC5850m -8℃
カーレBC08:05~11:10メラ・ラ~14:35AC
空には薄い雲がかかっている。私たちは個人装備とバイル、薬袋、ツエルト等少しの共同装備を持って出発する。寝袋だけポーターが持ってくれる。ACへと向かうのは、私たち5人とサンタマン、ニマ、ポーター4人(アラム、ラクマン、カーレ、チリン)である。氷河の舌端を登り終えた頃から雲が湧き始め、メラ・ラに行く途中で視界が悪くなる。トレースがなければクレバスもあり危険である。クレバスの間を縫う様にして進む。メラ・ラからハーネス、アイゼンを装着してACとなる大岩がある場所を目指す。大岩は近くに見えるのだが、歩いても歩いても見える景色が同じである。雪も風も強くなってきており、精神的にも体力的にもつらい。やっとの思いでACに着いたのは、出発から6時間半後である。その後のテント設営でも体力を消耗する。テントは関・大谷監督、横山・金原・須郷、サンタマン・ニマ・カーレ・チリンで分かれる。アラムとラクマンはBCへと戻っていった。夕方、サンタマンから相談がある。ACから上はトレースが無く時間がかかり、天候が崩れるのも早いため、登頂は難しいと言われる。時間短縮のため、強いメンバーだけで行くのはどうかという提案もされたが、話し合い、メンバー全員で登頂を目指すことにする。その際サンタマンにポーター含め全員が安全にBCに戻れるリミットを決めてもらうことにし、明日3時に出発することが決定する。しかし、19時頃悪い知らせが入る。BCに戻る筈のポーター2人が、ホワイトアウトでメラ・ラから先に進めなくなってしまい、ACに返ってきたようである。その内の一人であるアラムが体調不良で吐いてしまっており、また、カーレも高度障害で嘔吐があるとの連絡である。2人を無事にBCへと下ろすため、登頂は断念し全員で下りることになる。私たちメンバーの順化が上手くいっていただけに残念である。
3月18日 晴れのち曇り AC~カーレBC -14℃
AC06:25~08:45カーレBC
朝はとても天気が良い。ニマを先頭に下る。メラピークを背に下りるのは悔しい。しかし、風雪を上げるエベレスト、ローツェやマカルー、Peak41など、とても素晴らしい景色であり、スケールの大きさに息を呑む。ニマはこの景色を味わう時間を与えてくれない程の速さで駆け下りていく。昨日とは対照的に、あっという間にBCに着いてしまった。ポーター2人の体調に問題はないようだが、アラムの右足のくるぶしより上の辺りが、靴擦れにより皮が剥けてしまっている。応急措置をするが、大分痛そうである。
3月19日 晴れのち曇り カーレBC~タナ -8℃
カーレBC08:35~10:10タナ
出発前、メラピークをバックにポーター含め全員で写真を撮る。足の怪我をしているアラムは個人ザックのみで出発する。雪は融け始めており、道のりの雪は無くなり始めている。タナに到着し、昼食を食べてコテに向かおうというところ、アラムが痛くて歩けず、他のポーターに背負ってもらっているとの連絡が入る。自力で歩くことは出来ないため、明日ヘリコプターでピックアップしてもらうことになる。ヘリコプターの手配の為に行動停止となり、私たちも今日はコテへは行かず、タナで泊ることになる。アラムの負傷した箇所は化膿しており浮腫が進んでいる。先にタナに到着したポーターが、アラムを背負ったポーター分の荷物を回収に向う。ポーターが一人減るため、ガモウバック、予備食糧などの一部装備もヘリコプターで運んで貰う。またアラムの弟であるニマもヘリコプターに同乗することになった。
3月20日 晴れのち曇り タナ~コテ~タックトーク3700m -4.5℃
タナ07:55~10:20コテ12:05~13:20タシンディグマ~14:25タックトーク
アラム、ニマと別れ出発する。9時過ぎに谷沿いから救助ヘリコプターがやって来る。一瞬の内に私たちの上空を通り過ぎる。コテ近くの崖沿いはやはり落石があり危険である。コテにて昼食をいただく。下流側から雲が湧き出て、出発する頃には霧になる。樹林帯のアップダウンをくり返し、タックトークに到着する。カルカテンから登山者も3組ほど来ており、賑やかになる。
3月21日 曇りのちあられのち雪 タックトーク~ツエトラ 1℃
タックトーク06:50~10:40ツエトラ
チュタンガを目指して早めに行動を開始する。朝から雲がかかっており、天候は悪くなりそうだ。登りが続き、トラバースとなる。一箇所、下降で雪が凍っており、危ない箇所があるため、ポーターも私たちも慎重に進む。ツエトラまでの行動中、たくさんの若いポーターとすれ違う。その後ろからヨーロッパチーム(12人)がやって来た。ツエトラまであと少しであるが、サンタマンのペースが上がらない。調子が悪そうで、咳なども出ておりしばしば止まることもあった。ツエトラに到着し、時間の都合上、今日はツエトラ止まりとなる。昼過ぎから一気に天候が崩れ始め、大粒のあられが激しく降り、雷も鳴り始める。16時頃には止むが、その後雪となり外は一面雪景色となっていた。そして東海支部のメンバーと再会する。これからの行程は同じようだ。サンタマンの具合が悪く体温を測ったところ、38度の熱があったため、風邪薬を直に飲ませる。
3月22日 晴れのち曇り ツエトラ~ザトルワ峠~ルクラ -1℃
ツエトラ06:55~08:30ザトルワ峠~09:10コル~10:10カルカテン~11:30チュタンガ~11:45トックディン13:30~15:10ルクラ
サンタマンの熱は38度で昨日と変わらない。行動可能か確認したところ何とか動けるとのこと、様子を見ながら進むことにする。ザトルワ峠に向かって白一色となった道を登る。ザトルワ峠を越えると、懐かしいヌプラやコンデリが姿を現す。ここからピッケルを出して進む。昨日のあられと思われる、パチンコ玉ほどの雪の塊がたくさん積もっている。コルからカルカテンへは急斜面で、ポーターも苦労している。チュタンガを越え、トックディンで昼食を食べる。ルクラまでの道のりはシャクナゲがいくつも咲いており、とても綺麗である。ルクラは18日前よりも品揃えが多く、トレッカーも多い。これからシーズンの到来である。
3月23日 晴れのち曇り ルクラ 8℃
ルクラで1日滞在。散策するもすぐに飽きてしまう、のんびりと過ごす。
3月24日 晴れのち曇り ルクラ~カトマンズ 9℃
ルクラ09:00~09:40カトマンズ
寂しい気もするが、ルクラを離れカトマンズに到着する。やはりカトマンズは暑い。ルクラの静けさから打って変わってカトマンズはクラクションの音が鳴り響く。登山も終了したのだなと実感が湧く。登頂できなかった事はやはり悔しいが、素晴らしい経験をすることもできた。この経験が次なる山への一歩となれば良いと思う。カトマンズでは元気そうな賀来と再会、タメル地区のフジホテルにチェックインをする。
3月25日 晴れ カトマンズ
カトマンズを観光する。
3月26日 晴れ カトマンズ
各自ゆっくりとした時間を過ごす。外はお祭りのため賑やかである。
3月27日 晴れ カトマンズ~バンコク
柳原さんと飛行場にて別れを告げ、ネパールを発つ。
3月28日 曇り バンコク~成田空港
成田空港にて山浦が出迎えてくれる。合宿も終わり、ここで解散する。
報告者:関 洸哉
3月17日の行動と18日以降の行動判断について
17日の行動概要は前述の報告の通りであります。
17日、ACへの到着後2人のポーターがホワイトアウトの中、メララ付近の雪原帯をリングワンデリングをして約3時間後の午後6時過ぎにBCに帰幕できずにACに登り返して来た。午後の7時前にサンタマンが血相を変えて大谷・関のテントにやって来て、BCに下したポーター2人(この二人は元々荷上げのみで同日BCへ下る予定)がACに戻って来た。更にこの二人については、悪天候の中で3時間超の行動をしていた為に一人が疲労でシリアスな状態になっている。また、AC泊の予定でいたポーター2人の内、一人も吐き気が 続き、そのポーターも状態は良くないと報告に来た。2人の状態を考えると、明日のアッタクは無理なので下山をさせてくれとの申し出である。大谷がサンタマンとポーターの居るテントに様子を見に行き、状況を把握する。BCに帰幕できなかったポーターの一人はかなり弱っているように見えたが、後から考えれば、この時点でよく遭難をしないでACに戻って来てくれたものと思う。
横山、須郷、金原の居るテントに行き、横山に状況を簡単に報告し明日の下山を伝える。戻って来たポーター二人分のシュラフが無いと言うことで、大谷のシュラフと厚手のダウンジャケットを手渡す。また、医療用酸素については、夜間に2人のポーターの具合が更に悪くなった場合には使用しても構わない旨をサンタマンに伝える。大谷・関については関のシュラフを掛布団のようにして広げて寝たが、寒くて眠れない一夜になった。
18日、ACを撤収しBCに帰幕後、サンタマンと残りの予備日2日を使って、明日の19日に再度ACに行動できないか打診する。サンタマンの見解は、昨日のリングワンデリングでシリアスな状態と報告したポーターの一人が足を負傷しているから歩行が困難との報告を受ける。凍傷かもしれないから至急ルクラに下したいとのこと、またこのポーターについては荷物を運ばせることが出来ないので、他のポーターに荷物を割り当てなくてはならない。よって、帰りのキャラバンは日程通りに帰れない可能性が大きいので登山の継続は難しいとのこと。ルクラ→カトマンズのフライト日程は絶対に変更はできないので、予備日の2日間は帰りのキャラバンにも必要と言うことであった。
上記の報告を受け、慌てて大谷がサンタマンとポーターの足の状態を確認しに行く。両足の踵の上の皮膚がめくれ上がり、患部が炎症を起こして黒く腫れ上がっている。元々、登山ブーツが合っていない上に3時間以上も彷徨を続けていたために、傷は深くないにしても踵部分がかなり広範囲に渡り皮膚がむけてしまっている。黒くなった患部について、サンタマンが何回もこれは“フローズン”(凍傷)ではないか?と聞くので、これは擦過傷が酷くなった状態に過ぎないと説明をする。関を直に呼び、応急の処置を二人で施す。処置後、他のポーターに両肩を抱えられてポーター用のロッジに引き返して行った。下山を決定したが、足を負傷したこのポーターは翌19日の下山中に歩行が困難になり、他のポーターに背負われてタナまで下山し、更に翌20日、ヘリコプターにてタナからルクラまで緊急搬送に至った。負傷したポーターを背負った荷物はタナから他のポーターが下すこととなった。19日は11時からから全行動が停止し、ヘリコプターの手配や荷物の回収に追われることになった。
今回、17日に至るまで、午後になるといつも天気が悪くなり、雪が降るパターンが続いた。ACに上がる日も、それ以降の悪天に備えて学生には地図とコンパスは必ず携行するように大谷から指示を出した。悪天での撤退時や、アッタクの帰りには必ず午後になるので、ガスや降雪で視界が悪くなることが容易に予想できたからである。しかし、まさかポーターの荷上げ後の下山までは考えが及ばなかった。また、持たせていたとしても地図とコンパスを使えるかは怪しいと思うが、遭難対策上せめて赤旗をシッカリとメララの雪原帯に立てておくべきだったと反省をした。ポーターが、赤旗を辿ってBCまで下山できていればと……悔やんでも悔やみきれなかった。“是非もない”では済まされない痛恨かつ決定的なミスだった。危険個所のマーキング用に赤旗を用意して携行していたが、事前の打ち合わせで、サンタマンからACより上にヒドンクレバスがあるとのことだったので、それ以外の場所はノーマークであった。ルクラ到着後、負傷したポーターは病院での診察を受け、大事に至ってないとの報告をサンタマンから受けた。
報告者 監督:大谷直弘
賀来部員(1年生)の途中離脱について
7日~8日の行動概要は前述の報告の通りであります。
7日、当初の体調不良(倦怠感と軽い下痢)は一過性のものと思い、ルクラ休養の後に大谷と1名程度のポーターで本隊に追いつけば何とかなると考えた。カルカテンの高度(4100m)に滞在して休養していても、快方に向かうとは考え難かったので、コックのニマとポーターのチリンを伴い同日カルカテンからルクラへ4人で下山した。ルクラに近付くに従い、賀来の倦怠感は酷くなり、10分歩いて15分休むようになり日没ギリギリにルクラのホテルに到着できた。賀来はホテルの階段も登れない状態になっており、ニマと二人で何とか部屋まで運ぶ。ベッドで横になってからも足の浮腫みを訴え始め、以降の登山活動は困難と判断した。この間、もし引き続き賀来の状態が悪く、大谷がカトマンズや東京まで同行を余儀なくされた場合、本隊をルクラまで戻して学生とガイドのサンタマンのみでゴーキョ、カラパタール方面に転進できるか否かを、コスモトレックの柳原氏と夜まで打ち合わせを行った。翌8日、朝起きてみると賀来の体調は昨日よりは良くなっていたが、下痢は継続しているとのことであった。賀来と話をしてカトマンズに戻り静養することを決めた。
昨日と異なり、大谷が同行しなくても一人でシッカリ歩くまでに回復してきたこと、カトマンズまで戻れば外国人専用の病院があること、柳原氏がカトマンズで受け入れをして頂けることなどを踏まえ、賀来一人分の航空チケットを手配するようにニマに依頼する。ちょうどパサン・タマン氏がルクラに滞在中とのことだったので、何とか手配をしてくれることになった。
8日の朝、ルクラの飛行場で賀来のキャンセル待ちに入った。チケットを手配して貰った パサン・タマン氏にも飛行場で会うことができ、お礼を言う。柳原氏にもカトマンズの飛行場でのピックアップを依頼する。搭乗手続きが開始されると賀来に別れを告げて、ニマとチリンを伴い本隊の待つカルカテンへ急ぎ登り返した。
賀来の体調不良の原因である倦怠感(7日、歩行が出来なくなる)、両足の浮腫み、以降暫く続いた下痢の各症状については原因が掴めないままに治ったとのことだった。結果として、賀来には大変申し訳ないと思いつつ登山計画を進めて行ったが、24日にカトマンズで賀来が笑顔で本隊を迎え入れてくれたこと、体調が戻って元気に復活していたことで、隊として、そして私としても大変救われる思いであった。
報告者:大谷直弘