夏合宿の始まりだ!早月尾根より剣岳山頂へ。
2005年 夏合宿
期間 | 平成17年7月31日~8月21日 |
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メンバー | L須田、SL鈴木、早見、石垣、鵜原、船田、若林、本郷 |
場所 | 北アルプス北部 馬場島~剣岳~槍沢定着/後半縦走 剣沢~薬師岳~槍ガ岳~上高地下山 |
レポート
いよいよ、実働21日・予備日8日という長い合宿が始まる。その最大の目的は、冬の鹿島槍ヶ岳天狗尾根を登る力を身につける、ことにある。
7月31日(日)曇りのち雨
富山駅6:58発~立山駅8:10発~室堂9:40発~雷鳥沢キャンプ場10:15着~別山乗越12:10着~剱沢キャンプ場B.C 12:50着
前夜、ボッカ隊として先発する須田、早見、私の3人は、巣鴨で斉藤さんに激励され、焼肉をご馳走してもらった。斉藤さん、いつもお忙しい中ありがとうございます!原澤コーチ、鳥居HCからも電話で激励され、心身ともに引き締まる。自然と気合も入ってくる。部室に戻り、各自46kg程度の荷物を担ぎ、巣鴨駅に向かう。今年は、池袋から高速バスに乗り、富山駅へ向かう計画である。今ひとつ情緒に欠ける出発地だ。見送りに来てくれたのは、若林一人だが、嬉しかった。
当日9:40。水を入れて約48kgという、私達にとっては未知の重さを担ぎ、室堂を発つ。ボッカとはいえ、短い行程だし、毎週のように山へ行っている私達にとっては、たいした労働でもなかった。別山乗越に着いてみれば、コースタイムも30分以上は短縮している。剱沢キャンプ場には12:10頃到着。テント設営後、コンティニアスの確認をしていると雨が降り出す。午前中晴れて午後から雨が降り出す、というパターンは、定着中最も多かった。
8月1日(月)晴れ
剱沢BC7:10発~別山乗越7:45着~雷鳥沢キャンプ場8:20着~室堂9:15着
のんびり起床。テントをしっかり固定し、荷物をしっかりデポる。地獄谷を観光し、富山駅に戻り、風呂に入ったあと、噂の「ぼてやん」にてお好み焼きを食す。そのあとは、各自、思い思いに下界に別れを告げる。アキバ系との疑いがある早見は、最終的には漫画喫茶へ。須田も、漫画喫茶で時間をつぶす。私は、富山駅周辺をぶらぶらうろつく。近くで花火大会があるらしく、浴衣の女の子達で一杯だ。空に花火が咲きだす頃、石垣、鵜原、船田が到着。これで全員そろった。馬場島へ向かい、馬場島荘付近の駐車場でテントを張る。
8月2日(火)晴れのち雨
馬場島駐車場CS1 4:15発~1920地点9:45着~早月小屋CS2 12:50着
薄暗い中歩き出す。トップの石垣が、早速ルーファイミスするが、その後は順調に進む。早月小屋は、水がないので1,2,3年生は大量の水を背負っている。ザックの見た目は小さいが、30㎏以上はある。私は、非常に軽く、寂しいかぎりなので、石をたくさん背負う。それなら食いモンもってこいと非難を浴びる・・・。小屋が近づくにつれて、1年生は苦しそうになってくるが、私の予想よりはいいペース。とはいえ、おじちゃんおばちゃんに抜かされ、空しい。鵜原がザック麻痺気味になってきたが、ゴールは近いので、大休止したあと、無事早月小屋に到着。
小屋では、天場にいた、富山医科大山岳部の人たちと雑談をしたり、1年生のザイルワークの確認をしたりして過ごす。この頃から、曇ったり雨が降ったり天気は不安定。まずまずのスタートを切る。
8月3日(水)曇り
早月小屋CS2 4:30発~剱岳山頂10:00着~前剱11:50着~一服剱12:30着~剱山荘12:50着~剣沢BC13:20着
昨晩から、やたらと虫が多くてまいるが、稜線に出始めるとそれもおさまる。やはり、鵜原はザック麻痺気味なので、途中で水をすべて抜き、石垣に背負わせる。35㎏超の荷物を果敢に背負う石垣だが、3P目あたりで、背負う際にザックを転がしてしまう。運良く斜面に張り出した雪渓に引っかかって止まる。石垣には少し重荷だったようだ。鵜原の水は、私が背負い、また歩き出す。途中の鎖場では、無難にFIX通過。10:00頃、ガスの中、無事剱岳頂上に到着。展望は全くない。ここで、皆、水を捨てたり石を捨てたりして、重荷から開放される。30分ほど休んでから、剱沢BCに向かい下降開始。これからが、最初の核心だ。鎖場では慎重にFIX通過。驚くほど登山者も少なく、全く焦る必要がない。1年生がふらつく場面もあり緊張するが、無難にこなし、無事剱沢BCに到着。1年生はお疲れの様子。とにかく、入山は予定通り無事終了したので一安心。途中で観察した、平蔵谷は雪の状態は良く、シュルンドもあまりないようであった。この分だと長次郎谷の状態も良好なのではないかと期待できた。
8月4日(木)晴れのち曇り
BC隊(L須田、鵜原、船田):BC整理6:00開始~剱沢小屋裏の雪渓にてプレ雪訓~12:30終了
偵察隊(L鈴木、早見、石垣):BC4:30発~長次郎谷出合5:30着~Aフェース7:20着(偵察)~Cフェース7:50着(偵察)~長次郎谷下部雪上訓練場9:10着~コンティニアス練習~12:00下降開始~長次郎谷出合12:20着~BC14:20着
BC隊:偵察隊と一緒に食事をしたあと、見送る。6:00からBC整理。7:00から剱沢小屋裏の雪渓にてプレ雪訓。目的は、初夏合宿に参加していない鵜原に雪上技術を教えことと、船田の雪上技術の確認。直登・直下降・ダイヤモンド・ジッヘルなど、型のみだが、ひと通り教える。ザイルワークも同様。途中でテントに戻り、シュラフを干したりし、12:30終了。鈴木たちが戻ってくる頃かと思い、紅茶を作っていると、ちょうど帰ってくる。剱沢キャンプ場には、明治の小久保さんもおり、明治の話を聞けて楽しかった。(記:須田)
偵察隊:昨日見た、平蔵谷の状態からも、雪上訓練第一候補である、長次郎谷の状態が期待できる。早見を先頭に、4:30BCを出発。長次郎谷出合でメットを着け、雪渓を登り出す。下部から上部を見渡すと、最近4年間では、最も状態がよさそうである。それにしても、石垣は相変わらずののろさである。中間部で、右岸の岩場に移り上部へ抜ける。シュルンドはほとんどなく、落石も今のところ少ないようだ。下部に一箇所、上部に一箇所、雪訓に適した場所があった。早見と話し合った結果、雪訓1日目は、下部にてしっかり歩行訓練、2日目からは熊の岩までダッシュした後、上部で訓練することに決めた。(後、須田の了承を得る。)ゆえに、平蔵谷を偵察する必要はなくなり、時間もあるので、Aフェース、Cフェースの状態を偵察してしまうことにする。Aフェースでは、中大ルート・魚津高ルート共にしっかり確認。非常に明瞭で分かりやすい。中大ルートでは専修大が登り始めるところであった。そこから、Cフェースへ、トラバース。剣稜会ルート取付の状態はよい。RCCの取付へは、若干悪い雪渓を乗りこえる必要がある。しかし、私と早見にとっては、絶好の遊び場。微妙にハングした雪壁をダブルアックスで乗り越えて遊ぶ。石垣も挑戦。落ちても安心なので気楽に遊べる。さて、8:20にBC隊とのシーバー交信も終えたあと、長次郎谷下部にてコンティニアスの練習をたっぷりしてから、BCへ戻る。BCでは明治の小久保さんと、楽しく会話をする。個人的には、「ワンアット」の謎も解け、スッキリ。
夕方、反省会を終えたときに、ふらっと村口さんが私達の天場にいらっしゃった。はっきり言って、相当驚く。須田は、先日バイトでお世話になっている。私も、最近「四度目のエベレスト」を読んだばかりである。何でも、NHKの取材で来られていたそうだ。あとで、小屋にお邪魔させていただき、お話を聞かせていただいた。面白い話だった。1年生もよく覚えておくといい。おまけに、全財産(?)までいただいてしまった。本当に、ありがとうございました!
8月5日(金)晴れ
剱沢BC4:40発~長次郎谷出合5:35着~長次郎谷下部雪訓場6:30着~雪訓開始6:50~雪訓終了11:30~長次郎谷出合12:15着~BC14:15着
いよいよ雪訓開始。長次郎谷出合から、例年通りダッシュ!途中までは船田が先頭をキープするが、後半で鵜原に抜かれる。1位鵜原、2位船田、ビリは石垣でダントツの遅さ・・・。予定していた時間よりもだいぶ早く、訓練を開始できた。直登・直下降・ダイヤモンド・八の字と、みっちり歩行訓練を行う。雪上歩行技術に関しては、船田はまずまずだが、直下降がまだ未熟。鵜原は器用にこなし、歩き方もナカナカ上手い。石垣は、2年生なワケだが、はっきり言ってレベルが低い。石垣、体力はまずまずだが、歩行スピードの遅さと、(重荷でも軽荷でも変わらぬ一定のペースを保つ。)雪上歩行の未熟さは問題である。
次にジッヘル。開始直後、鵜原が太ももを強打し、まともに歩けない様子。大事を取り休養させることにする。早見は、ジッヘルの際、ブレードで耳を切ってしまったため、下につく役に徹する。船田は、回転すると同時に上手く足を上げることができなくて、苦労している。石垣はまずまず。本日のジッヘルは、課題を残して終了。まあ、訓練はあと2日ある。
帰り、長次郎谷出合からタイトロープの練習をしながら帰る。(形だけだが。)それにしても、炎天下の中、ロープにつながれぞろぞろ歩く姿はまるで奴隷のようだ。気も滅入る。14:15BCに到着。水浴びをしたり、服を洗ったりしてすごす。
8月6日(土)晴れのち曇り
BC4:40発~長次郎谷出合5:40着~熊の岩直下6:30着~長次郎谷上部雪訓場にて訓練開始7:00~訓練終了12:15~長次郎谷出合12:45着~BC14:15着
今日も雪訓。長次郎谷出合より中間部までダッシュ。途中、右岸の岩場を全員で歩き、上部から熊の岩まで再びダッシュ。石垣は、足を痛めた鵜原に勝つことすらできなかった。ただ、鵜原は元陸上部だけあってナカナカ早い。さらに、ダッシュという言葉に対して、モチベーションが非常に高い。ことあるごとに、「先輩、あそこまで競争しましょう!」とけしかけてくる。熊の岩より少し下ったところで、訓練開始。本日のメインは、ザイルワーク。1年生一人がザイルワークを行う中、もう一人は、昨日に引き続き歩行訓練。「いっちにっ、いっちに・・・。」3日間の訓練で何度叫んだだろう。
一通り順調にザイルワークを終えたところで、石垣と1年生のみでFIX工作を行わせる。実戦を意識して厳しく注意しながら行った。まだまだスピードも遅いが、まずまずである。
反省会は、毎日厳しく行う。2年生石垣はいつも散々に注意される。1年生も、そろそろ疲れてくる頃。さて、明日で雪訓は終了。集中力を切らさず、気を引き締めなおしていきましょう!
8月7日(日)曇りのち雨
BC4:40発~長次郎谷出合5:40着~熊の岩直下6:50着~長次郎谷上部雪訓場にて訓練開始7:20~長次郎谷下部雪訓場へ移動12:10~下降開始12:50~長次郎谷出合13:10着~BC14:45着
昨晩は、雨に雷と荒れていたが、朝、とりあえず収まっている。雪渓の状態は日々変化している。今日は、雨の後なので特に注意が必要。長次郎谷出合から、今日も懲りずにダッシュ。中間部から熊の岩へ再びダッシュ。3日間のダッシュを通して、驚くべきことに鵜原が早見を破ることがあった。早見はずっと休憩ナシなワケだが、鵜原は一年生。たいしたものだ。(当然1年生に一位は譲らなかったが。)船田も、泣き言一つ言わず黙々とがんばる。(まあ、泣き言といわれても困るのだが。)ダッシュで転んでも、這いながら進む気合を見せる。(須田に注意されていたが。)さて石垣。予想を裏切ってくれず、終始ビリだった。石垣は、唯一の2年生部員で、唯一の女子部員。体力は、男にも劣らないし、そのやる気には、正直言って、しばしば圧倒される。しかし、歩行の遅さと、雪上歩行の未熟さは、やはり問題である。最後のダッシュでも遅れてやってきた石垣。その表情は精神的にかなり参っている様子。その後、1年生2人は、ジッヘルの練習に励む。石垣は、私と歩行訓練。いつもなら、後から厳しく煽る私。しかし、精神的にやられている石垣の表情を見ると、こっちの気持ちも萎えてしまい、煽る気すら起こらない。かといって優しい言葉も出てこない。結果、黙々と歩かせる。また、私の歩く様を見せ、丁寧に教える。すると、みるみる石垣の歩行技術が上達してきた。そもそも、コツをつかめばさほど難しいことでもない。石垣の表情も明るくなってきた。うーん、人に物事を教えるのは難しい。一様にはいかない。
次に、コンテの練習。その次に、FIX工作を全員で行う。実際、冬合宿で行うのと同様の過程で練習した。各自、自分がやるべきことを理解でき、よい練習となった。
最後に、長次郎谷下部雪訓場に移動し、ジッヘルの訓練を時間が許す限り行う。うつ伏せで頭からの滑落・仰向けで頭からの滑落・ピッケルを構えずに滑落、といろいろやってみせる。皆、淡々と練習するが、完璧、というわけにはいかず、課題を残して終了した。
長次郎谷出合に戻り、BCへ向かうとき、私が、時計とサングラスを雪訓場に忘れたことに気付く。(大いに反省。)仕方なく、一人で雪訓場に戻る。須田たちに、どこら辺で追いつけるかを頭で計算しながら歩く。それにしても、自分のペースで歩くのは気持ちいい。忘れ物を回収し。急いで雪渓を駆け下りる。出合からBCに向かって歩いていると、向こうのほうから立教の加藤君、大塚君がやってきた。今日は真砂だそうだ。2人も明日チンネに向かうらしい。再び、急いで歩き出す。雪渓が終わるところで追いつく計算だったが、多少遅れた。夕方からはまた雨。しかし、雪訓3日間もまずまずの成果を上げ、無事に終了。一つ荷が降りた感じである。明日から、私と早見はチンネに向かう。晴れてくれよ!
8月8日(月)曇り時々雨
奥大日(L須田、石垣、鵜原、船田):BC3:20発~剱御前小屋3:50着~奥大日岳6:10着~剱御前小屋8:10着~BC9:30着
3:20。チンネ隊と別れ、ヘッデンをつけて奥大日岳へ向かう。昨夜の雨で草木が濡れており、皆、濡れまくり。奥大日岳頂上についたときは、ガスっており、視界最悪。つまらないのでさっさと戻る。戻り始めたらガスが晴れはじめた・・・。帰り道では、雷鳥の親子連れに会う。石垣と鵜原は「かわいー、癒しだぁー。」といった直後に「鶏肉食べたーい。子供だからやわらかいかなー。」とか言ってる。
今日は須田の誕生日。特別に剱御前小屋でお菓子を買って大休止。みんな、おいしそうに食べている。BCには、9:30に着いた。あまり晴れないが、服を洗ったり、昼寝をしたりしてすごす。(記:須田)
※チンネ隊の記録は別に記載。
8月9日(火)晴れ
食当は、7:30起床。8:20頃朝飯食ってたら、チンネ隊の2人が帰って来た。みんなで休養~。(記:須田)
※チンネ隊の記録は別に記載。
8月10日(水)風雨・雷のち曇り
BC4:50発~長次郎谷出合5:35着~BC7:00着~BCから支援隊のお迎え11:00発~BC13:00着
昨晩から天気は荒れだす。その荒れ方から、今までとは一味違うことが分かる。予定なら、今日はCフェース登攀。しかしこの雨では、まず無理。4:30まで準備をしつつ待機するよう指示する。4:30。結局、行こう、と決める。目的は、Cフェース登攀にはない。風雨の中、厳しい状況の中での行動を体験してもらおうと考えた。おそらく、リミットにも間に合わない。リミットの大切さも身をもって知ってもらうつもりだ。「行くぞー。」と声をかけると、石垣たちは少し驚いた様子。いつもより行動が遅い。激しい雨の中、慎重に歩き出す。出合に着いたとき、船田がザイルを忘れたことに気付く。いろいろぼろが出る。やはり、リミットに間に合うペースでもなかったし、潔くBCへ引き返す。雷も鳴り出す。テントを補強して、全身びしょびしょのまま、テントの中へ。ガスもムダ使いはできないし、テント内も浸水し放題。非常に不快。しかし、1年生たちにとっては、これもいい経験になると感じる。
ところで、今日は支援隊(本郷、若林)入山の日。非常に心配である。下手に動いていなければいいが、と思いつつ、風雨が落ち着いてきた11:00頃、須田と私で迎えに行くことにした。しばらく歩き、雷鳥坂を下っているところで、2人に出会う。二人とも元気そうでなにより。須田が、若林の荷物を持ち、私が本郷の荷物を少し分けてもらい、4人でBCへと向かう。その後、BCでは若林の差し入れをありがたく頂戴する。みかん、チョコ、ドラ焼き、りんご、コーラ、と出てくるたびにみんな大喜び。明日は晴れてくれよ!
8月11日(木)曇りのち雨
BC3:10発~長次郎谷出合3:50着~Cフェース取付5:40着~登攀開始6:05~剣稜会隊7:50・RCC隊9:00登攀終了(Cフェースの頭)~Ⅴ・Ⅵのコル11:10着~長次郎谷出合12:20着~BC13:50着 ※本郷・若林は奥大日岳往復。
美しい星空の元、BCを発つ。ヘッデン行動。「岩とか濡れているから気をつけろよ!」といったそばから、不覚にも私がコケル。(イカンイカン)長次郎谷中間部の岩場から上部へ移る地点では、雪渓が相当薄くなってきており危険である。慎重に通過する。Cフェースには一番乗り。ここで、RCC隊(L須田、早見、鵜原)、剣稜会隊(L鈴木、石垣、船田)に別れる。
RCC隊:RCCはあまり登られていないらしく、砂利や腐ったハイマツが多い。苔も多い。昨日の雨で濡れているので、滑らないように気を使う。やはり、剣稜会ほど登られていないのか、状態が悪い。ルートを抜けたのは鈴木たちより1時間ほど遅れた。(記:須田)
剣稜会隊:剣稜会はこれで4度目。ガスっており展望も期待できないし、正直うんざり。岩も濡れていることだし、のんびりと登る。4PでCフェースの頭に抜ける。石垣、船田も余裕で登ってくる。あまり面白くなかった?頭で、のんびりと須田たちを待つ。途中、コールをしても返ってこないし、やけに遅いし、須田のリードは久しぶりだし・・・といやな予感がするが、1時間ほど送れて須田たちも到着。
少し休んでから、下降開始。Ⅴ・Ⅵのコルへのくだりは、濡れており、いやらしい。慎重に、2Pの懸垂を交え、3回目の懸垂で、Ⅴ・Ⅵのコルヘ降り立つ。あまり手を出さないようにしたが、懸垂作業がチョット遅い。要スピードアップである。
長次郎谷の雪渓は、どんどん変化してきている。下降ルートも若干変化させなければ危険である。明日からはさらに慎重に判断していかなければならないだろう。
BCに戻ると、なんと鳥居ヘッドコーチがいらっしゃっていた。ここまでの報告を簡単にし、一緒にボルダーをしたりして遊ぶ。差し入れは、高級チョコ一枚。皆、大喜び。いつもお忙しい中、ありがとうございます!
8月12日(金)雨ときどき曇り
停滞 支援隊・鳥居先輩は下山
昨晩から降り続く雨。Aフェースの予定だが、無理だと判断する。7:00頃、雨脚が緩んだ隙をついて、鳥居コーチと支援隊の本郷・若林は下界へと帰っていった。皆さん、本当にありがとうございました。残された私達は少し寂しい?
16:00の天気図をとっているとき、ふと、両隣の須田、早見に目をやる。外では、激しい風と雨。テントの中でもお構いなく、霧が舞い、水が滴り落ちてくる。シュラフに包まった早見はびちょ濡れ。雨具を着た須田も同様。そんな姿を見ていたら、無性に笑えてきた。真ん中の私は被害が軽い。夏のクセに、天気図はちっとも安定しない。停滞前線もでたり消えたり予想しがたい。明日はどうなる?
8月13日(土)雨ときどき曇り
停滞。もう、全てが濡れだす。シュラフも濡れている。太陽が恋しい。全てを乾かしたい。
8月14日(日)曇りときどき雨
BC2:30発~源次郎尾根取付3:30着~Ⅰ峰8:05着~Ⅱ峰8:50着~剱岳10:05着~前剱11:40着~一服剱12:05着~剱山荘12:30着~BC12:55着
AM1:00。食当と共に目を覚ます。視界はガスっており最悪だが、雨は降っていない。このチャンスを逃す手はない。予定ではAフェース登攀だが、昨晩、上級生で話し合った結果、私たちにとって、より重要な、源次郎尾根を優先することに決めていた。さて、行きますか。
真っ暗の中、源次郎尾根の尾根ルートに取り付く。下部は細引きで確保したりしつつ、早見と私がトップで進む。ルンゼルートと合流するところで、暗闇の中、ルーファイに若干手間取る。結局、私がリードで登り出すが、途中で左手の木伝いにルートをとったほうがよかったな、と思う。雨もザーザー降り出しやがる。リミット(8:10までにⅠ峰)が多少気になるが、焦ることなく、ザイルを固定し、後続をFIX通過させる。このあと、頂上までは早見トップ。急な潅木交じりの岩稜を、FIX通過を交えながら素早く通過していく。気付けば雨は止み、時折日が射す。「お~。」と、ため息にも似た歓声が起こる。4日ぶりの太陽だ。Ⅰ峰に近づくにつれて、時間が気になりだす。計画書のリミットにギリギリだ。休憩ナシで歩き続け、8:05、Ⅰ峰に無事到着。ヤレヤレ。Ⅰ峰で休憩したあとⅠ,Ⅱのコルへ慎重に下る。コルからはⅡ峰までは、岩とハイマツを交え慎重に登る。Ⅱ峰奥から、残地支点を利用して、約30mほどの懸垂下降。そこから、しばらく歩き、10:05、頂上へ到着。前回同様、展望は望めない。しかし、青空が見えた。上出来だ。部旗を広げて記念撮影。11日前と同様に別山尾根を下降。天気は相変わらず冴えないが、登ることができてよかった・・・源次郎尾根。すんなり登るよりも、悪天に悩まされ、停滞を重ね、チャンスを逃さずに登りきったことは、1年生にとってもいい経験になったはずだ、と感じる。
8月15日(月)風雨
室堂隊:剱沢BC6:10発~室堂バスターミナル9:20着(鵜原下山)~一ノ越山荘10:40着
雄山隊:剱沢BC6:10発~雄山10:00着~一ノ越山荘11:05着(須田、早見と合流)~鬼岳12:20着~獅子岳13:30着~ザラ峠14:15着~五色ヶ原キャンプ場CS1 15:05着
昨晩、16日夜の食料がないこと気が付く。食料計画ミスだ。つまり、今日がAフェース登攀のラストチャンス。しかし、残念ながら天気は荒れ模様。ゆえに、頭を後半縦走に切り替える。2週間以上に及んだ定着合宿は終わりを告げた。結局、須田も、私も大学4年間を通してお世話になった剱沢キャンプ場。もう、再び訪れることはないかもしれない。まっ、うんざりだけどね、と思いつつ、見飽きた風景に別れを告げる。とうとう景色が動き出す。ところで、14日までに縦走に出発できなかったため、1年鵜原もここでお別れ。(はずせない実習アリ)すごい頑張りを見せてくれた彼を、縦走に連れて行けないことが悔しい。須田、早見に連れられ、鵜原は室堂から下山していった。お疲れ様でした。
一方、私、石垣、船田は、雨が水平に降る中、真砂岳、富士ノ折立、大汝山を越えて、10:00頃、雄山に到着。水をたっぷり吸った荷物は優に30kgを超えている。しかも、パンツから靴下まで全身びしょ濡れだ。休憩所で、恒例のカップラーメンをすする。ところで、最近、まともに若い女の子を見ていないせいだろうか、雄山休憩所の巫女さんが妙に可愛く見える・・・。
気を取り直して、一ノ越山荘へ向かう。既に到着していた、須田、早見と合流して、五色ヶ原キャンプ場へと急ぐ。15:00頃、特に問題なく、五色ヶ原キャンプ場に到着。雨はほとんど止んでいるが、相変わらずほとんどの装備は濡れたまま。不快な夜をすごす。
8月16日(火)晴れときどき曇り
五色ヶ原キャンプ場CS1 3:50発~越中沢岳6:55着~スゴ乗越9:20着~スゴ乗越小屋CS210:20着
朝、遠くの空で雷が光っている。しかし、昨晩よりどんどん離れていっているようだ。あわよくば薬師峠キャンプ場まで、と考え3:50に五色ヶ原キャンプ場を発つ。6:00頃とうとう日が射し出す。皆、嬉しそう。スゴ乗越小屋には10:20に到着。濡れた靴下で靴擦れ気味の石垣、船田。さらに、やはり石垣のペースは遅く、短縮できるスピードではない。縦走は始まったばかりだ、焦る必要もない。ゆえに、計画通りスゴ乗越小屋CS2とする。
太陽の恵みを浴び、全てを乾かす。服も洗う。6日間の濡れ濡れ地獄を経て、一気に快適な生活に戻った。好きです、太陽!!しかし、さすがに山靴は乾かなかった。
8月17日(水)晴れのち曇り
スゴ乗越小屋CS2 3:50発~間山4:55着~北薬師岳6:40着~薬師岳7:35着~薬師岳山荘8:20着~薬師峠キャンプ場CS3 9:35着
星が美しい。朝日が美しい。久々の乾いたザックに、私達の機嫌も自然とよくなる。トップの石垣。相変わらず下りはいいペースだが、のぼりは遅い。今日も短縮できるペースではない。ちょい早いが、薬師峠キャンプ場で本日の行程終了。まあ、計画通りではある。みんな昼寝した。
8月18日(木)曇りときどき雨
薬師峠キャンプ場CS3 4:40発~北ノ俣岳6:45着~黒部五郎岳9:55着~黒部五郎キャンプ場CS4 11:40着
今日は短縮を狙わない。明日に賭けることにした。中俣乗越辺りで一時雨に降られる。その後もガスが晴れない。黒部五郎山頂もガスの中。予定通り、カールルートを下る。私が1年生の時のことだ。花咲く五郎のカールを歩き、ふと振り返ったときに見た、黒部五郎岳の美しさが印象的だった。早見、石垣、船田にも見て欲しかったが残念。11:40黒部五郎キャンプ場に到着。昼寝。
8月19日(金)曇り
黒部五郎キャンプ場CS4 3:50発~三俣蓮華岳5:30着~双六岳6:30着~双六小屋7:10着
~千丈沢乗越10:40着~槍ヶ岳山荘キャンプ場CS5 12:10着~槍ヶ岳頂上へ13:00発~槍ヶ岳山頂13:30着~槍ヶ岳山荘キャンプ場CS5 13:50着
今日こそは短縮を狙う。短縮、短縮とうるさいようだが、別に早く帰りたいわけではない。重荷でも素早く歩く能力と、長時間行動する体力が欲しいのだ。1年、2年がいてもそれができることを証明したいのだ。キーマンは石垣。石垣が頑張りを見せれば、船田も果敢についていくだろう。さて、どうなることやら。
早朝、ぬかるんだ道を三俣蓮華へ向かい歩き出す。三俣蓮華岳に付いた時点で、コースタイムを1時間は短縮している。上級生3人に、反省会でがみがみ言われ続けた石垣。奮起したのか?双六小屋にも7:10に到着。途中すれ違う登山者にも、黒部五郎から来た、と言うと、驚かれる。そう、このペースでこそ大学山岳部。「石垣、やるじゃん。」というと「・・・必死ですよ。」と元気なく返事をしてきた。石垣からは、食って掛かってくる気迫というか、負けん気というか、訓練で自分を追い込む必死さ、というものが感じられない。そういった精神力は、自然相手の登山においても重要だと思うのだが・・・。これを期に、一皮剥けて欲しい。
ところで、槍ヶ岳は水がない。まあ、売ってはいるが。なので、須田と私で、早月でも利用した水ポリに、水をくんでいくことにした。西鎌尾根を過ぎ、槍ヶ岳山荘間近。船田もさすがにばててきたようだ。その後、無事、槍ヶ岳山荘キャンプ場CS5に到着し、短縮を成功させた。渋滞の槍ヶ岳を往復して、その晩の、テントの中。下界からは、大学山岳部の事故の連絡も届いている。すでに、入山してから、21日目。3日前も、気の緩み、集中力の低下を厳しく注意した。明日は、最後の核心、大キレット。ここまで、Aフェースは逃したが、私は、100点をつけても惜しくない出来の合宿だと感じていた。明日に向けて、気を引き締めなおす私達。
8月20日(土)曇りときどき雨
槍ヶ岳山荘キャンプ場CS5 3:40発~南岳小屋6:10着~大キレット最低コル手前事故発生地点6:40~事故現場7:20発~南岳小屋8:30着~南岳小屋9:10発~南岳~天狗平~天狗池11:50着~槍沢~横尾14:50着~徳沢CS6 16:00着
辛い一日となる。朝、暗闇の中歩き出す。オーダーは、縦走を開始してから変わらず、石垣、早見、船田、鈴木、須田の順番。中岳先で一本。そこで、先行しすぎる石垣を、厳しく注意する。「今のお前のトップ最悪だよ。」と言う。今日は核心である。昨日のような歩き方ではいけないのだ。しっかりと、1年生を意識して歩くよう伝える。石垣はまだ、トップというものが分かっていない。1年生の立場にたって考えていたら、こんな歩き方はしない。まあ、私もそうだったか・・・。気を取り直して、2P目。南岳まで歩く。そこで、全員、ハーネスとメットを装備する。この時点で、ザックの重さは、おそらく私が一番重くて20キロ台後半、1,2年生はだいぶ軽くなっており、20キロ前後といったところだろう。ペースは悪くない。
事故が起こることになった3P目。南岳小屋から、大キレットに向かって下降を開始する。噂にたがわず、気が抜けない箇所が連続する。梯子を2回降りた後、少し歩く。ここら辺は、痩せた岩稜が多い。岩稜の右手をトラバース気味に歩いていた時、トップの石垣が、ぬれた岩に足を置き、滑らせる。両手で岩を掴んでいたため無事通過するが、危ない。右手へ落ちれば、急なガレ場を転がり落ちることになる。ここら辺りのトップを任せるには、石垣には荷が重いか、と感じる。早見が、船田に「この岩危ないな、船田、絶対使うな!」と注意を促す。そして、早見、船田、鈴木と無事通過したその時。後で足が滑る音と同時に、ガラガラガラーッ、とすごい音がする。瞬間、須田が落ちやがったな!と察する。振り返ると、急なガレ場を、すごい音を立てながら、転がり落ちていく須田の姿を確認する。1回転、2回転、3回転、なかなか止まらない。10~20mほど転がり下りた地点で、止まった。「須田ぁー、大丈夫かー!?」と声をかけると、「大丈夫ー。」と返事が返ってくる。意識があるようで、ひとまず安心するが、本当に大丈夫かは、まだ分からない。早見と共に、石垣、船田を素早く安全地帯に移動させ、待機するよう指示。ボーゼンとしている、他の登山者に、構わず行くよう声をかける。「荷物がでかすぎる・・・。」とぼそっとつぶやいた1人の登山者の言葉が悔しい。私達も、荷を降ろし、急いで須田のもとへと向かう。不安定なガレ場で、相当悪い。慎重に下り、須田のもとへ。意識はあるし、ある程度動けるようだ。しかし、左目の上下を切っており、流血がおびただしい。衝撃で割れたメットの破片が転がっている。さらに、左目の周りは、腫れ上がっており、人相が違う。頭は大丈夫だろうか?骨は?気になることはいろいろある。「くっそーッ!!」と悔しがる須田。私は、その姿を見た時、そうか、俺たち敗退したのか、と認識した。私も悔しい。皆、悔しかっただろう。せっかくここまで・・・と思いかけたところで、頭を切り替える。遭難対策に従い、冷静に行動していかなければならない・・・。
結局このあと、須田は自分の足で歩き、事故発生から9時間20分かけてエスケープルート(天狗原~槍沢~横尾~徳沢~上高地)より下山する。1年船田、2年石垣もよく頑張った。3年早見の足は、ひどい靴擦れで、見ているだけで痛い。私も・・・正直言って今日は少し疲れた。須田も疲れただろう。16:10頃から、徳沢の日大診療所で応急手当を受ける。本当にありがたい。部員一同、心から感謝します。後ほど、須田は、目の上の骨と下の骨が折れていたことが判明する。(眼窩吹き抜け骨折)メットをかぶっていなかったら、即死だったかもしれないそうだ。詳しくは、事故報告書に記載する。
早く、須田に精密検査を受けさせたいが、皆、疲労の色が濃い。時間も遅い。医者も、明日でも大丈夫とおっしゃってくださった。悩んだ末、今日は徳沢でテントを張ることにした。気を取り直して、夜は食いつぶし(やけ食い?)パーティーだ!ラーメン、スパゲッティー、ふりかけご飯、と贅の限りを尽くす。腹が満たされると、空しくなってきた。
8月21日(日)晴れ
徳沢から上高地へ・・・。夏合宿は、敗退で幕を閉じた。長期間の訓練を経て、最後の核心を乗り越えてこそ、成功、と呼ぶにふさわしい合宿だった。しかし、この21日間の経験を決して無駄にはしない。この失敗と悔しさを糧に、再び貪欲に這い上がるつもりだ。とにかく今は、須田の命に別状がなかったことを喜びたい。
最後に~夏合宿を振り返って~
長すぎるこの記録。クソ面白くない上に、しんみりした終わりになってしまった。今の私達にとって、自分達の行動を振り返り、反省・改善していくことは最重要である。しかし、ここでは書かないことにする。反省会で、部員同士きっちりと話し合い、事故報告書を作成していく。落ち込み、停滞するのではなく、しっかりと事実を受け止め、反省したうえで、常に前を向いて前進していこうと考えている。今は、いかに部員一人一人が、事故のことを真剣に受け止め、反省点を身に染みて理解し、行動に移していけるかが勝負だと感じる。最後は、明るい話題で終わらせていただきたい。
さて、3週間以上に及んだこの合宿。始まる前、不安材料は多かった。例えば1年生。(2年生も)この合宿についてくることができるのか?という心配。(まあ、付いてこさせるのも私達の役目ですが。)
1年生は、毎日のように飯を作らなければならない。飯は、基本的に(1人分)朝:米100gに味噌汁一杯。昼:レーション(せんべい、チョコ、飴等、160g程度)夜:米150gに味噌汁一杯。その他に、スペシャルとして反省会後に、ココアが出たりする。カビが生えたい放題のビーフジャーキーなんてのもあった。この飯で、毎日10時間前後の運動を強いられる。風呂はもちろん入れない。それが20日以上続く。僕らは、この夏、日本で一番臭い大学生になる。昔の大学山岳部、現在でも、バリバリの山屋なら、なんてことはないこの生活。果たして今の若者が・・・?そのような不安をかき消すかのように、彼らはついてきた。可愛げのないほど、疲れた表情はほとんど見せない。私達は、ラクをさせる気なんてさらさらない。メリハリをつけ、厳しく接してきた。彼らは、弱音一つはかない。疲れた?帰りたい?そんなことは、言わない。
黙々と雪訓に励む、船田。彼の笑いのツボは、謎となりつつある?ことあるごとに、「先輩!あそこまで競争しましょう!」とけしかけてくる鵜原。山岳部員のクセに「尾根ってナンですか?」と真顔で言う。こいつら、タフだ。自然とこちらもやる気が出てくる。冬山に連れて行きたい、一緒に行きたい、と思わせてくれる。
2年石垣。むさい山岳部において紅一点の存在。男供に体力は引けを取らない。山が一番好きなのは彼女だろう、と思う。合宿中、昼間は体力的ダメージを強いられる。夜は、反省会で精神的ダメージを負う。ボロボロだ。さらに、○田、早○の無邪気な下ネタコンビネーションに悩まされる。ある朝のこと、早見が目覚めると同時に、ぼそりと一言。「オビワンケノービ・・・。」発音はいいが、意味が分からない。その言葉に反応し、すかさず発展させていく須田。しまいには、オビワンが○○○○になり、アナキンが○○○○になっていき、2人はおおはしゃぎ。そんな、2人に挟まれ目覚める私。隣のテントで、不快感を覚える花の女子大生、石垣聡美。ただ、最近見ていて感じる。少し慣れてきたな、いやむしろ、芸風が似てきた、と。雪訓で思うようにいかず、苦しんでいたとき、彼女を救ったのは、先輩の優しい言葉ではなかった。自分の技術を向上させることで、精神の安定を保ったのだ。こいつも、相変わらずタフだな。
・・・帰りの新宿駅で、ふと、船田に目をやる。はっとした。合宿前とは、目つき、顔つきが違った。
私「船田・・・、顔つきが違うな。」
笑顔で船田は答える。
船田「ありがとうございます!」
人の成長を見ることができることは、素晴らしいことだと思う。ふと、隣の須田を見たとき、「でも、一番変わったのは須田だな。」と言おうとしたが、悪い冗談だと思いその言葉を飲み込んだ。
いつも感じていた。山岳部は命懸けだと。私は、山に対する情熱に欠けた1年生だったが、それだけは、ひしひしと感じていた。山は怖い。1年生の時の冬合宿後、風呂に入りながら、大真面目に思った。こんなことをやって、4年間生きぬいてきた先輩達は凄いな、と。命懸けだから、皆、真剣になる。私は、先輩達の、その真剣さに引かれて入部した。文字どおりの真剣勝負。だから面白い。その中で、皆で目標を持ち、達成したい。その気持ちは、変わらない。