NIHON UNIVERSITY ALPINE CLUB SINCE 1924
日本大学山岳部ザンスカール遠征隊2019
登山報告書
日本大学山岳部
隊の名称 | 日本大学山岳部ザンスカール登山隊2019 NIHON UNIVERSITY ZANSKAR EXPEDITION 2019 |
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目的 | インド・ザンスカール山脈の未踏峰 G20峰6,060mおよびG25峰5,840mの初登頂 |
隊の構成 | 登山隊長1名、隊員4名(学生4名、OB 1名) 現地スタッフ:ガイド1名、コック1名、キッチンボーイ2名、馬方2名、馬12頭 |
期間 | 2019年8月5日(月)~8月28日(水) |
行動概要
8月5日 日本(成田)~デリー:空路
8月6日 IMF 訪問
8月7日 デリー~レー:空路
8月8日 レーにて高所順応
8月9日 レーにて高所順応
8月10日 レー~カルゾク:車両による陸路
8月11日 カルゾク~ダルチャ手前3800m地点:車両による陸路
8月12日 ダルチャ手前3800m地点~ゴンボラジョン:徒歩によるキャラバン開始
8月13日 ゴンボラジョン~タンソ村
8月14日 タンソ村 レスト
8月15日 タンソ村~レナック谷L4峰付近:トレッキング開始
8月16日 レナック谷L4峰付近~L14・L15視察~レナック谷L4峰付近
8月17日 レナック谷L4峰付近~タンソ村
8月18日 タンソ村 レスト
8月19日 タンソ村~ギアブル谷G19峰付近
8月20日 ギアブル谷G19峰付近~サチトクポ出合~ギアブル谷G19峰付近
8月21日 ギアブル谷G19峰付近~スキン村:バックキャラバン開始
8月22日 スキン村~ラカン・スムドー
8月23日 ラカン・スムドー~シンゴ・ラ過ぎ4300m地点
8月24日 シンゴ・ラ過ぎ4300m地点~ザンスカール・スムドー
8月25日 ザンスカール・スムドー~サーチェ過ぎ4400m地点:陸路による車両移動
8月26日 サーチェ過ぎ4400m地点~レー:陸路による車両移動
8月27日 レー~(IMF訪問)~デリー発:空路
8月28日 成田着
参加隊員
隊長・渉外・会計 生産工学部 4年 |
川村 洸斗 Hiroto Kawamura 男(21歳) 住所:東京都足立区 |
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装備・食糧 文理学部 4年 |
福島 端流 Haru Fukushima 男(21歳) 住所:東京都府中市 |
食糧・医療 法学部 3年 |
前田 雄飛 Yuhi Maeda 男(22歳) 住所:東京都文京区 |
医療・渉外 生産工学部 3年 |
村上 洋道 Yoji Murakami 男(21歳) 住所:神奈川県茅ヶ崎市 |
OB参加 文理学部 卒業 |
横山 裕 Yutaka Yokoyama 男(29歳) 住所:東京都目黒区 |
現地ガイド | ツェワン・ヤンペル(HIDDEN HIMALAYA) 40歳 |
現地旅行会社
HIDDEN HIMALAYA
Shop no21 Hemis Complex,Zangsti,Upper Tukcha Road Leh Ladakh
J&K INDIA ZIP code:194101
ザンスカール概念図
トレッキング周辺図
行動報告
8月5日 日本(成田)~デリー
早朝3時半に大谷監督と部室で合流し、川村と2人で隊の荷物を積み込み車で成田空港へ向かう。前夜は緊張と不安でよく寝付けなかった。5時過ぎに成田空港に到着する。他の隊員も各自始発で続々と集合する。こんなに朝早くなのに1年生部員の相澤と小口が見送りに来てくれた。両名とも夏山合宿を頑張って貰いたい。
チェックインの前に全員分の預けるザックとダッフルバックの重量を調整する。重さは問題ないがサイズが少しオーバーしているものがあり、ちゃんとチェックイン出来るのか不安になる。いざカウンターに行くと特に問題なく預けることが出来た。手荷物は重さを多少オーバーしていたが無事に通過することができ、Tシャツにトレッキングパンツ、サンダルというラフな格好で飛行機に乗り込んだ。機内では各座席に取り付けてあるモニターが壊れていて映画等を見ることが出来なかったことや朝が早かったので、終始寝ていた。
約8時間のフライトを終えデリーに降り立った。デリーは運悪く雨で湿度が高く気温も高いのでじめじめしており気分が悪くなる。今回、登山隊の現地旅行代理店であるHidden Himalayaに手配して頂いたタクシーに乗り込みデリー市内のホテルに無事に到着する。ホテルでIMF(インド登山協会)からのメールを受信するが内容の意味がよくわからず明日確認することにする。夕食はホテルの人に教えて頂いたお店に行った。バターチキンカレーが凄く美味しかった。
8月6日 デリー~IMF 訪問
昼頃までホテルでのんびりし午後2時にIMFへと向かう。手配したタクシードライバーがIMFの場所が分からず道に迷い少々時間がかかったが何とかIMFに到着する。到着早々何やら不穏な空気を察する。まさか登れないことはないだろうと思いつつ話を聞いてみるが政府からの指示で我が隊の登山許可を取り消したと告げられる。マナリ付近にも未踏峰があるからそっちに転進してはどうだと薦められる。
最初言っている意味が全く理解できず一瞬頭が真っ白になる。何やら昨日飛行機に乗っている間にインドで政治的な大きな出来事があったらしい。いきなりインド政治の話をされても到底理解することは出来ず、一先ずその場でHidden Himalayaの上甲さんに電話し事情を説明して代わりに対応をして頂く。Hidden HimalayaとIMFの話し合いは約3時間にも及ぶが結果としてIMF側の判断は変わらず明日からの日程を上甲さんと話し合う。許可が取り消されたにしろこのままデリーに居ても意味がなくカルチャーショックから精神的にも辛いのでとりあえず、計画通り明日の朝一でレーに移動することを決めIMFを後にした。夕食後ホテルに戻るが考えることが多すぎてよく眠れぬ夜となった。
8月7日 デリー~レー
早朝2時に起床し空港に向かう。全員問題なく搭乗手続きを終え空港内で朝食を摂る。少し空港で暇を潰し飛行機に乗り込む。離陸とともに寝不足からかずっと寝ていた。1時間程でレーに到着する。空から見る山並みはとても格好良かった。預け荷物を問題なく受け取りゲートにてガイドのツェワンさんと合流する。これから先の事への不安のせいか初対面なのに何か凄く安心した。
手配して頂いた車に乗り込みレー市内のホテルに向かう。チェックイン後一息ついて全員でHidden Himalayaの事務所を訪ねる。上甲さんにご挨拶をし、今回の一件について説明して頂く。話を聞くところによると、8月5日にインド政府がジャンムー・カシミール州に大きな自治権を与えていた憲法370条を廃止したと発表した。そこでカシミールの領有権を巡って対立していたパキスタンが強く反発し両国関係が悪化した。それを受けて治安が悪化しインド内務省の通達により当該州全域での登山が禁止になったらしい。だが、実際として治安が悪化しているのはジャンムー・カシミール州の西側のみで東側に位置するザンスカールはいつもと変わらず平穏みたいだ。
現状この制限が緩和される見込みは薄くこれからの行動について考える。計画ではレーでの順応期間が2日間あるのでギリギリまでIMFへの交渉をツェワンさんにして頂く。一先ず計画通りに行動することを伝え事務所を後にし、ツェワンさんの案内で昼食にチベット料理を食べに行く。春巻きがとても美味しかった。帰りにミネラルウォーターを買いホテルに戻り一度に色々と起こりすぎて混乱していた頭の中を整理する。これからの行動について色々なパターンを想定し頭をフル回転させる。だが、そんな中で夜に川村が下痢になる。
8月8日 レーにて高所順応
朝、腹痛で目覚める。川村は下痢が治らないので他4名で順応を兼ねたゴンパ巡りに向かう。高度のせいか沢山のゴンパを巡るのは体力的に辛かったみたいだ。一人ホテルでこれからの事、今回の遠征の目的等の事と色々考え直す。観光が終わり全員でHidden Himalayaを訪ねる。そこで上甲さんから8月15日のインド独立記念日に何もなければ制限が緩和される可能性があると告げられる。だが、1日考えた結果この遠征は初めて見る未踏峰でルートを自力で探り挑戦するというのが自分の中で根底にあり、それを実現したく隊を発足させ1年間準備をしてきたのである。来年度以降のためにも偵察を兼ねたトレッキングに行った方がいいというのは理解しているつもりだが個人的には気が進まない。上甲さんには少し時間を頂き一旦隊員全員で話し合うためホテルに戻る。
ホテルでの話し合いで、再度根底にある目的について、自分が今考えている事について伝える。それぞれ意見を聞くと他の隊員には1人も帰国するという意志はない。話し合いの結果計画通り行動し期間中に制限が解除されればそのまま未踏峰を目指すことにする。その日の夜に大谷監督と上甲さんに明日からの行動を伝え夕食後就寝した。
8月9日 レーにて高所順応
今日でレー最終日である。相変わらず川村は下痢が良くならないのでホテルで待機とし昨日同様に4名で観光に出掛ける。前日とは違い少しは順応したのかさほど辛くはなかったらしい。今日も観光が終わり次第Hidden Himalayaを訪ねる。明日からの行動開始に備えて装備の打ち合わせを行う。昼ご飯は観光に行った学生3名はなにやら生野菜を食べたらしい。昨日の話し合いで帰国しないと決めたばっかりなのにこの行動は理解が出来なかった。
8月10日 レー~カルゾク4500m(車両移動)
レー 07:30~カルゾック着 15:30
デリーより過ごしやすかったレーを離れザンスカールに向けて出発する。ここからカルゾクまで8時間のドライブである。車内は狭く辛いと予想していたがそんなこともなく快適にんでいく。途中休憩でチャイを飲んだり、温泉などを見に行ったりとゆっくり進んでいく。インダス河沿いを走っていくとツォ・モリリという大きな湖に辿り着く。その脇が今日のキャンプ地である。到着した瞬間、土砂降りの雨になる。雨の中テントを設営していると雨が上がり夕食まで時間があるので野球をして時間を潰した。
8月11日 カルゾク~ダルチャ手前3800m地点(車両移動)
カルゾク07:30~ダルチャ手前3800m地点 17:30
朝起きると前田が酷い頭痛を訴える。朝食も満足に食べられないぐらい辛いみたいだ。バファリンを飲ませ様子を見る。晴天の中撤収を済ませ出発する。今日は10時間ほどの行動になるみたいだ。途中5000mの峠を越えたが全員体調不良を訴えることなく通過する。予定ではダルチャ(3308m)より先のタクパチャン(3930m)まで行く予定だったが予想より時間がかかり手前で天幕地を見つけ泊まった。目の前に格好いい山がありとてもいい場所であった。
8月12日 ダルチャ手前3800m地点~ゴンボラジョン4345m(車両移動~徒歩)
ダルチャ手前3800m地点 08:00~ゴンボラジョン 17:00
今日はシンゴ・ラまで車で行き2~3時間歩いてゴンボラジョンまで行く。青空の中出発するとすぐにダルチャに到着する。そこで小休止し買い出しを済ませる。ゴミが散乱しているのが目立っていた。5045mのシンゴ・ラまで一気に上がる。高山病が心配だった前田も体調不良はないみたいだ。そこで馬方と馬と合流し馬に荷物を積み直し一緒にゆっくりと歩いていく。意識的にゆっくりゆっくりと歩いていたせいか当初の予定の3時間程では着かず5時間程かかってしまった。前田は体力的に疲れたみたいだ。今日の天幕地はゴンボラジョンという岩峰の麓にある。切り立った壁でとても格好良かった。
8月13日 ゴンボラジョン~タンソ村 4045m
ゴンボラジョン 08:00~タンソ村 14:00
朝曇天の中を出発する。今日はギアブル谷とレナック谷の出合にあるタンソ村まで歩く。6~7時間の道のりだ。出発してからすぐに大きな川があり靴を脱いで渡渉する。気温もさほど低くはないというのに冷たいというか痛かった。途中紫外線の影響を考えず半袖になっていた福島を注意する。2時間程歩くとカルギャック(4042m)という村に着く。傍に川が流れるのどかな村だった。スキン村(4035m)を越えて予定よりも早く5時間程でタンソ村に到着した。
少し休憩した後に明日からの行動を少々、横山コーチと川村で話し合う。このまま予定通りBCに入るか、それとも許可が正式に出てからにするか迷った。その後、川村とツェワンさんで打ち合わせをし、明日14日はレストし15日からレナック谷へトレッキングに向かうことにした。その間ツェワンさんには車にてパダムまで行って頂きIMFからの最終結論を聞き17日にタンソ村で合流するという計画に決定した。この話し合いの間、他の学生3人で村の学校にお土産を持って遊びに行っていたみたいだ。夜にかけて多くの子供たちがテントに遊びに来ていた。
8月14日 タンソ村 レスト
朝からゆっくりと過ごす。各自それぞれ音楽を聴いたり昼寝をしたり本を読んだりと思い思いの時間を過ごす。時間がゆっくりと流れていく。夕方、学校が終わったのか子供たちが続々と集まってきた。静かだった天幕地が一気に賑やかになった。ヘルメット等の普段見慣れないであろう装備に興味津々な様子が印象的だった。
8月15日 タンソ村~レナック谷L4峰付近 4578m
タンソ村 08:00~レナック谷L4峰付近 12:00
いよいよトレッキングがスタートする。アップダウンが少ない道をゆっくりと周りの山々を眺めながら進んでいく。途中、馬やヤクがいたりとなんとものどかである。3時間程歩くともう天幕地に着いてしまった。この日中にもっと奥へのトレッキングも可能であったが急ぐことでもないので予定通り明日に繰り越してまたのんびりと過ごす。トランプぐらいしかやる事がなく暇を持て余した。
8月16日 レナック谷L4峰付近~L14・L15峰の視察~レナック谷L4付近
レナック谷L4峰付近 08:00~L14・L15峰視察~レナック谷L4峰付近 12:00
パダムへと向かうツェワンさんと別れL14・L15峰を目指し出発する。道中に見える山の殆どが未踏峰でどこからアタックを仕掛けるか等を話し合いながら進んでいく。隊員の中には周りの山々には目もくれず黙々と歩いている者も多数いて意識に温度差があると感じる。
L15峰が見えてきた。この山は過去に学習院が初登頂した綺麗な三角形の格好いい山である。自分もチャレンジしたいがぐっとこらえる。視察最終地点(4806m)までの最後のガレ場の登りで村上がバテているのが気になった。
8月17日 レナック谷L4峰付近~タンソ村
レナック谷L4峰付近 13:00~タンソ村 14:30
朝起きると雨が降っていて出発を遅らせる。昼近くになると雨もあがり太陽が出てきた。今だと言わんばかりに急いで準備を済ませタンソ村まで戻る。だが、歩いているうちに段々と雲行きが怪しくなってきて雨が降る。風もあり非常に寒い。村に近づくにつれ今度は青空が広がってきて暑くなってきた。休憩中に徐に野球などをしながらまったりと村へ向かう。行きとは違い今度はロバを見かけた。
村に着くとすぐに子供たちが群がった来た。また賑やかな時間が夕食前まで続いた。ツェワンさんの帰りを待っていたが戻りが遅く許可が気になり落ち着かない。夜も遅くなったので予定を変更し急遽明日はレストと決め就寝した。
8月18日 タンソ村 レスト
朝、テントにツェワンさんが来られた。昨日は夜22時に到着したらしい。外に出ると一面真っ白で村の上の方には多くのヤクが集まっていた。昨日からの悪天候でパダム~タンソ村までの道の状態が悪くなり時間が掛かったみたいだ。
登山許可についての本題に入る。結果としては独立記念日を越えても制限が緩和されることはなく許可が出ないことを告げられる。覚悟は決めていたつもりだったがショックの大きさは計り知れない。このままトレッカーで終わりたくなくクライマーであり続けたかった。至急ツェワンさんに明日からの行動を相談する。計画にあるナムカトクポには入らずギアブル谷の奥まで行くことを決定した。
この日もテントに子供たちが遊びに来て賑やかになるがただでさえゆっくりと感じる時間の流れが更に遅く感じる1日だった。
8月19日 タンソ村~ギアブル谷G19峰付近 4333m
タンソ村 08:00~ギアブル谷G19峰付近 13:00
曇天の中出発する。序盤は快適に歩いていたが徐々に天気が崩れ始め雨が降ってくる。気持ち的にもテンションが下がり不快でしかない。これ以上進むと雪が降っている可能性があり丁度良く水が綺麗な場所があったのでそこを天幕地する。雨の中後から来る馬を待つ。夕方には雨が上がり夕日が非常に綺麗であった。夜には雲一つない快晴になり満天の星空となった。
8月20日 ギアブル谷G19付近~サチトクポ出合(4404m)~ギアブル谷G19峰付近
ギアブル谷G19峰付近 08:00~サチトクポ出合~ギアブル谷G19峰付近 12:30
久しぶりの快晴の中出発する。出発してすぐに不安定な橋を渡る。その後は快適な道を進んでいく。昨日の雪のせいか、どの山も山頂付近に雪がかかり陽の光に輝き綺麗である。殆どが未踏峰なのでアタックのルートを想像しながら歩いていく。サチトクポの出合で引き返し天幕地に戻る。昼にはテントに戻りまったりと過ごす。今日の夜も満天の星空で天の川がよく見え流れ星も見ることが出来た。
8月21日 ギアブル谷G19峰付近~スキン村 4035m
ギアブル谷G19峰付近 08:00~スキン村 12:30
今日でトレッキングを終え、バックキャラバンに入る。青空の中快適に来た道を歩いていく。ナムカトクポの出合で目標にしていた山の1つであるG25峰が見える。写真で見たよりも雪が付いていて非常に格好良い。今すぐにでも突っ込みたい衝動に駆られるがその気持ちを必死に食い止める。他の隊員はこの山を見て今どう思ったのだろうか。途中タンソ村を通る。いつも元気な子供たちは授業中で村は静かであった。村を出る際には学校の窓から手を振ってくれた。
今回の天幕地はスキン村でタンソ村からすぐである。昼過ぎには到着し天気もいいので近くの岩でボルダリングを楽しんだ。パダム方面からトレッキングしてきた多くのフランス人の方々に声をかけて頂いた。その日の夜に先日の悪天候の影響で土砂が崩れ、シンゴ・ラまでしか車が入らないらしい。峠から6時間程の距離のザンスカール・スムドー(4057m)まで歩くことになった。
8月22日 スキン村~ラカン・スムドー 4482m
スキン村 08:00~ラカン・スムドー 14:30
当初の予定では行きと同じでゴンボラジョンに天幕する予定であったがシンゴ・ラから更に歩くことになったので、のちの負担を減らすべくラカン・スムドーまで歩くことにする。全員黙々と6時間程歩いた。今日は特に目立った出来事がない1日だった。ここから見える未踏峰が一番格好良く、好きだった。
8月23日 ラカン・スムドー~シンゴ・ラ過ぎ4300m地点
ラカン・スムドー 08:00~シンゴ・ラ過ぎ4300m地点 13:30
朝起きると川村の体調がすこぶる悪い。だが、レストを挟むと頼んでいた車に間に合わないので薬を飲みながらゆっくり進んでいく。シンゴ・ラまでの登りでは数歩歩いては止まって嗚咽しまた歩き出すといった繰り返しである。やっとの思いで峠に到着するが急激に天気が悪くなり吹雪いてくる。遅れ気味だった川村もゆっくり歩いていると寒いので必死に付いていく。標高が下がっていくにつれ天気も安定していきあとはひたすら車道歩きである。シンゴ・ラから3時間程歩いたところで天幕地に到着する。
川村は相変わらず体調が良くなく日本から持ってきていたにゅう麺や雑炊を食べ様子を見た。夜も咳が止まらず眠れない夜であった。
8月24日 シンゴ・ラ過ぎ4300m地点~ザンスカール・スムドー 4057m
シンゴ・ラ過ぎ4300m地点 08:00~ザンスカール・スムドー 12:30
朝起きて熱を測ると37.5度あり昨日ほど動けなくもないので行動を開始する。この日でこうして皆で歩くのは最後である。最後尾を歩きながら1人今までを振り返っていた。他の隊員の背中を見ながらそれぞれ何を考えながら歩いているのだろうか等を考えていた。2時間程でザンスカール・スムドーに到着する。今日の天幕地には欧州から来たと思われるツアー客が沢山いた。ついに山での生活が終わってしまう。
8月25日 ザンスカール・スムドー~サーチェ過ぎ4400m地点(車両移動)
ザンスカール・スムドー 08:00~サーチェ過ぎ4400m地点 17:30
朝食後にドライバーと合流し荷物を積み込み出発する。ついにザンスカールを後にする。今日は10時間ほどのドライブで行けるところまで行く。途中、昼食を摂り出発しようとするとブレーキオイルが漏れていて修理に時間が掛る。なんとか車が直り出発する。快適なドライブが続いているといきなり車が止まり今度は前輪がパンクする。替えのタイヤに取り換え気を取り直して出発する。5時頃天幕地に到着するが昨日同様、川村の体調が優れず早めに就寝する。深夜トイレに起きた時に見た星空は今までで一番素晴らしいものだった。
8月26日 サーチェ過ぎ4400m地点~レー(車両移動)
サーチェ過ぎ4400m地点 08:00~レー 13:00
出発してすぐに5000mの峠を越える。川村の体調も大分良くなっていた。途中レーに近づくにつれ電波が良くなりツェワンさんのスマートフォンで上甲さんと連絡を取る。そこで明日27日発の成田行きの飛行機を手配済みだと知らされる。本当に感謝である。
レーに到着しホテルへチェックイン後Hidden Himalayaへ向かう。そこで改めて上甲さんツェワンさんにご挨拶を済ませる。今日がインド最後の夜となる。喪失感で一杯だった。
8月27日 レー~(IMF訪問)~デリー発
朝早くレーの空港までツェワンさんに送って頂きそこでツェワンさんと別れる。デリーまで1時間のフライトである。デリー到着後IMFへ向かい登山料の返金を受け取り再度空港へ戻った。21時過ぎにインドを飛び立った。
8月28日 成田着
全員問題なく成田空港へ帰国する。大谷監督が出迎えてくださった。横山コーチとはここで別れ監督車に荷物を積み込み部室へと向かった。遠征が終わってしまった。
振り返って
今回の遠征はインドの政治的な問題の影響で登山許可が取り消され未踏峰に挑戦することさえ出来ませんでした。この喪失感をうまく言葉にするのはとても難しいです。ですが出発前までの約1年間の準備や現地での判断等は非常にいい経験を積むことが出来ましたヒマラヤやそこに挑戦してきた先輩の背中に憧れ、隊を発足させもがき苦しんだ事に意味があると思います。この経験を絶対に無駄にすることはせず前を向き、また一からヒマラヤのピークを目指していきたいと思っています。
今回の遠征にあたり多大なるご支援、ご協力を頂きまして大変ありがとうございました。また、次の世代の後輩たちが海外の山の頂にチャレンジしてくれることを強く願っております。
登山許可の取り消しについて
行動報告の通り、登山隊は本年8月5日、成田を予定通りインドに向けて出国致しました。6日、デリーのIMF(インド登山協会)へ訪問した際、北部ジャンムー・カシミール州の登山許可を取り消す旨の通達を突然に受けました。即刻、レーの旅行代理店に報告し登山が出来るように交渉を依頼し、折衝をして貰いましたが状況は変わりませんでした。
登山隊が日本を出国した5日、インド政府は同州に特別な自治権を与える憲法370条を廃止することを発表しました。同州はインドで唯一イスラム教が人口の大半を占めていますが、モディ首相率いる与党は、特別な自治権が国内の統合の妨げになっているとして憲法370条の廃止を目指してきたものです。シャー内相は議会で連邦政府が憲法370条を廃止すると表明。その後大統領が廃止を承認しました。
日本でも6日以降、散発的に報道されておりましたが、インドとパキスタンなどが領有権を主張するカシミール地方を巡って、インドが実効支配の強化に向け、北部ジャンムー・カシミール州の自治権の廃止を決定したことに対しパキスタン側が強く反発しました。州の当局者は自治権が廃止されれば、社会不安が広がり州内から反発が起きることに警戒を強めました。
両国関係が悪化したことを受けて、州内の治安悪化により8月5日、IMF経由インド内務省の通達により当該州全域での登山(登山許可を得て登ること)が禁止となりました。山岳地域は軍隊の管理が難しいのでインド内務省がIMFに一律に登山の禁止を通達したものと思われます。
州都スリナガル(ジャンムー・カシミール州の西側)では治安部隊が厳戒態勢で抗議活動を取り締まっているとの報道もありましたが、州の東側に位置するレーや目標の登山エリアは至って平穏そのものでした。登山隊はインドの独立記念日である8月15日以降、何も無ければ登山の禁止が解除されるかもしれないとの情報に一縷の望みを託し、予定通り10日にレーを出発しキャラバンを開始しました。
8月18日、隊はタンソ村にて待機していましたが、以降において登山の禁止が解除される見込みが無いと判断し、計画目標であったG20峰への登山を諦めることにしました。今回、目標ピークであったG20峰へ取り付くことが不可能となったので、同山域のレナック谷(G20峰の1本北側の谷)のL15峰(6,070m)の基部、及びギアブル谷(G20峰のBCへ向かう本流)の上流に位置するG19峰(5,935m)の基部附近まで各々の谷を偵察しました。その後、同ルートを引き返し、タンソ村経由で往路のキャラバンルートを戻りレーへ帰着して全ての行動を終えました。
今回の自治権廃止が発表されてからは、同州では電話やインターネット回線などのサービスが一部のエリアで停止されたりしておりましたが、実際の行動面における谷の偵察並びに往復のキャラバンルート上においては一連の影響はなく、安全かつスムースに行動をすることができ何ら支障をきたすことはありませんでした。
今回このような結果に終わってしまい大変悔しく思っております。ですが、約1年間の準備期間や現地での判断等沢山の貴重な経験をすることが出来ました。この経験を活かしこれからもヒマラヤの頂きを目指していきたいと思います。
最後になりましたが、登山隊発足当初より情報の少ないエリアで親身にご指導・ご情報の提供を頂き、更には現地装備の貸与にいたるまでご協力を頂戴いたしました阪本公一氏におかれましては深く感謝申し上げます。また、株式会社finetrack様、株式会社石井スポーツ様を始めとする多くの皆様方にご支援ご協力を頂きましたことを心より感謝申し上げます。
2019年度 日本大学山岳部ザンスカール遠征隊
隊長 川村 洸斗
会計報告
―収入―
個人負担金 | 1,901,300円 |
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桜門山岳会寄付金 | 1,231,000円 |
登山料返金 | 168,454円 |
現地経費返金 | 80,000円 |
合計 | 3,380,754円 |
―支出―
渡航費 | 469,250円 |
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査証代 | 22,750円 |
登山料 | 189,831円 |
現地経費 | 1,963,848円 |
保険料 | 287,310円 |
装備費 | 175,153円 |
医療費 | 47,412円 |
食糧費 | 110,691円 |
土産代 | 10,775円 |
その他雑費 | 39,548円 |
印刷費 | 64,186円 |
合計 | 3,380,754円 |
(1ドル103円、単位:円)