3月 春山合宿の記録より(立山・後立山横断隊)
鹿島槍東尾根〜鹿島槍〜牛首尾根〜黒部川S字峡渡河〜ガンドウ尾根〜池の平山〜剱岳〜早月尾根〜馬場島
鹿島槍第一岩峰の通過
鹿島槍東尾根からの爺ケ岳
鹿島槍頂上直下
三の窓からの鹿島槍
剱岳(池の平山への登りから)
池の平山への登り
バックはチンネ左稜線のスカイライン
池の谷ガリーを抜け切り剱岳頂上直下を行く(後方は八ツ峰)
3月 春山合宿の記録より(北海道知床半島全山スキー縦走)
羅臼〜羅臼岳〜ルサ乗越〜知床岳〜ウィーヌプリ岳〜岬〜(太平洋岸流氷上歩行)〜相泊〜羅臼 歩程約80キロ
羅臼岳から知床岳へ進む(左からオホーツク海:流氷が迫っている、硫黄岳、知床岳)
知床岳への登り…・荷は重いが山スキーで快調に登る
知床岳頂上
岬へ・みさきへ・ミサキヘ…・ガッツを入れるとき…・合言葉は“岬へ”
岬を望むが未だ流氷の接岸ならず、岬から流氷上を歩き海岸沿いに羅臼まで戻れるのか…・
後方洋上に浮かぶは国後島
遂に知床の岬に降り立つ(羅臼から49q、流氷は接岸していた!これから太平洋岸に沿って31qを帰る)
写真上の部分、海上で間違いなく太平洋とオホーツクは繋がっていた。
岬からは海岸線を離れて流氷上を歩く足にはアイゼン、スキーはザックに背負って。後方には番屋が数軒あった。
念仏岩付近の通過:ここは海側の着岸状況が不安定だったので、突端の根元を高巻きして反対側の浜に出た。
氷上散歩
海岸線はビッシリと流氷が押し寄せていた。夏は崖が迫り人も船も寄せ付けない浪打ち際の岩礁帯も流氷の着岸
よって歩き易くなっていた。
海上通過、海岸線から50m程離れアイゼンを付けて乱氷帯を行く。ザックの上のスキーは重い。
磯のゴツゴツしたところは地形が入り組んでいるので、流氷も着岸時に重なり、乗り上げ、形状も
ひとつひとつがダイナミックに変形していた。通過して振り返れば、流氷は波の様にも見え静けさと
相まって時間が止まったようでもあった。
写真中央右端の小さな“穴”海上洞窟を抜けてきたが、ここの通過で全員腰下まで海水に
浸かった。
岩礁帯の通過…・徐々に流氷は少なくなっていき、最後は所々で腰下までの海水渡渉を決行。海水は気温より
高いが、外気に曝されれば徐々にヤッケは凍っていき、体を冷やしていく。アイゼンは
1日中海中歩きで錆だらけとなる。磯は足元が滑るので海中歩行ではアイゼンを履いていると滑らなくて重宝した。
相泊に近くなるにつれて流氷も少なくなり岩礁帯はザイルを張って通過。落ちても海水温の方が高いが…
海でもザイルの固定テクニックは活かされた。1年生は空身で通過、上級生がその分のザックを往復して
通過する。
天幕記録(ペキンの鼻手前の浜CS)より
〜前略・・・浜に設営後、流氷に乗ってしばし童心に戻ってはしゃぎまわった。時折吹き降ろす寒風と
飛び交うウミネコ、いかにも北の岬。その荒涼とした風景が実にいい。砂に埋もれたコーラの
空き缶、ゴム長、軒につるしたままの魚網、その全てが今は夏の賑わいを思い起こさせる。
(天幕記録:リーダーの行動記録とは別に行動終了後、天幕ごとに下級生がつぶやく行動報告書〜ツ・ブ・ヤ・キです)
あ・と・が・き
相泊から岬町のバス停(羅臼町行き)まで最後の力を振り絞って海岸線の車道を8人の男は歩く。
ボロボロに日焼けした顔、場違いなスキー、24日間(ノンデポ・ノンサポート)分の装備・食糧を入れ
込んだ大きなキスリング。車道の民家から子供たちが興味深げに俺たちの隊列を見ている。16日間の
合宿は最上の充実感を与えてくれて幕を閉じた。
12月~1月 冬山合宿の記録より(北アルプス北鎌尾根〜西穂縦走合宿)
北鎌尾根〜槍〜大キレット〜北穂〜奥穂〜西穂〜新穂高温泉
独標のトラバース:奈落の底に吸い込まれそう、最高に高度感の出たピッチ、アイゼンの出っ歯が気持ち
よく入る。後方のリッジで通過待ちをする1年生と4年生の通過チーム。
ザイル回収チームは体中がザイルだらけ…(ルート工作チーム〜1年生通過チーム〜ザイル回収チームにより
着実に前進する。決して早くはないが確実に安全に西穂へと進む)後方の三角錐は常念岳。
厳冬の槍ケ岳
大キレットへの下降(ヒマラヤのようでした)
5月合宿の記録より(北アルプス涸沢岳北西稜〜奥穂〜西穂)
北西稜のルート工作:北西尾根?侮っていました、結構上部はスリリングなルートです。
主稜線に出てから白出しのコルに進む。
奥穂からのジャンダルム~飛騨側は鎖がシッカリ出ており支点に不自由しませんでした。
奥穂からロバの耳へ向けてザイルを張る(奥穂から西穂まではGWでも登山者は少ない)
ロバの耳への下降もザイルを張る、真下に落ちるって感じです、よう~そろぅ~
ジャンダルムへの登り返し