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桜門山岳会短信 bP43

   平成1 7年8月1日発行

桜門山岳会短信 bP43

 

暑中お見舞い申し上げます。

昨年度は80周年の記念事業に多大なるご寄付・ご支援をいただきまことにありがとうございました。また、神崎理事長・実行委員長、高橋記念誌編集長他関係各位に心より感謝申し上げます。

平成17年度は、創部81年目ということで、桜門山岳会は新たなる出発点を歩み始めました。なにぶん若い理事会メンバーで試行錯誤の繰り返しではございますが、皆様のご支援・ご協力の程、よろしくお願い致します。

今年の天幕懇親会は宮原巍OB1954年入部/化)の実家である田沢温泉で行います。ハイキングコースも多数あり、ご家族連れでどうぞ多数のご参加をお待ち致しております。ふだんなかなかお顔を拝見する機会の少ないOBにも声をかけて、仲間との楽しい時間を過ごしたいものです。

【理事長 古野淳 1980年入部/文理学部】

短信メニュー

<今年度の行事予定>
平成17年度総会報告>
<平成16年度 理事会議事録>
平成17年度 理事会議事録
<OB寄稿・近況>

<nacbook review お薦め山の本>
<山岳部の合宿山行報告>

<山岳部の合宿山行予定>

 

<今年度の行事予定>

部室にPC導入(インターネット開通は9月中?)

天幕懇親会

日時=10月22−23日

場所=田沢温泉−民営国民宿舎「富士」長野県小県郡青木村田沢
  2689

天懇長=早見紀章 芸術3年)

名簿発行(11月末)

会報発行(12月末)

講演会(11月17日 木)村口徳行さんを予定。場所は未定。

理事会(原則的に第3火曜日19:30)

  6/21, 7/19, 8月お休み, 9/6, 10/18, 12/20, 1/17, 2/21, 3/14, 4/18, 5/16

 

 

平成17年度総会報告>

日時: 平成17年5月20日 18:30

場所: 東京体育館第2研修室

出席者(敬称略): 芝田稔、神崎忠男、土合敦彦、津田和幸、高橋正彦、北村二郎、赤井一隆、中嶋啓、眞田幸俊、岡本如矢、新田業、今村文彦、山本茂久、田中昇、中村進、片柳實、古野淳、中川秀利、谷口元、羽賀正一郎、安田敬三、高沢誠、山本晃弘、高緑繁伸、池田錦重、松田雄一、斉藤大輔、(部長)安西偕二郎、(監督)岡田貞夫、(学生)須田貴志、鈴木浩太郎、早見紀章、若林裕子、本郷悠貴、石垣聡美、大西聡太、船田良、鵜原孝祐    (記帳簿紛失のため出欠葉書より)

 

スライドショー(パワーポイント) 山岳部80年の歩み(神崎理事長)

平成16年度山岳部活動報告(須田主将)、会計報告(鈴木副将)、監査報告(岡田監督)、監督・コーチ会報告(岡田監督)

17年度活動予定(須田主将)、部員紹介(須田主将)

桜門山岳会会長挨拶(芝田会長)、16年度事業報告・会計報告(神崎理事長)、会計監査報告(岡本)、17年度事業計画・役員改選・80周年記念事業(神崎理事長)

17年度新理事長挨拶(古野)

質疑応答

Q.16年度会計報告で会費収入の175,000円は少なすぎる。有力校ではだいたい100万円の会費収入がある(山本)

A.80周年での多額の募金活動があったため、困難な事情があった(大谷)

Q.短信の責任者の選任について(大城)

Q.80周年の記録として、乾杯、受付、展示物、祝電等の記録を残しておくべき(赤井)

Q.記念誌在庫の管理について(松田)

A.合計800冊製作し在庫を管理(高橋)

  (補足)7/20現在120冊の在庫を部室で管理し、残りは今後10数年間で新入部員に配布の予定

 ・部歌斉唱

 ・懇親会 ユーハイム

 

<平成16年度 理事会議事録>

2月理事・評議委員会

 と き 平成17年2月15日(火)18:30 千石ル−ム

 出席者 岡本、山本晃 中嶋、赤井、谷口、今村、高緑、神崎、柄沢

@記念誌

決算3,972,000円 記録集 決算 310,000

A次期役員候補選任

会長 芝田稔(留任) 新理事長 古野淳(新任)

その他の役員については、新理事長の意向を反映して選任する。

B総会開催予定日の変更

当初5月13日(金)を予定していましたが、神崎理事長がカトマンズで開催されるアジア山岳連盟会議出席のため、一週間後の5月20日(金)18:30 から千駄ヶ谷「東京都体育館第二研修室」で開催することを了承。

C新年会開催報告

期日 平成17年2月1日(火)18:3020:30

会場 四ツ谷「スクワ−ル麹町」

出席 [記帳順]森泉、古野、山本晃、芝田、岡本、高橋、大城、中嶋、岡村、中川秀、石坂、柄沢、田中昇、尾上、片柳、北村、赤井、中村森山、神崎、平山、高緑、今村、井本、石川一、岡田、松田         学生、須田主将外5名

D日本大学山岳部創部80周年記念写真展開催報告

期間 平成17年2月3日(木)−7日(月)

会場 原宿「ギャラリ−K」

 

3月理事会

と き 平成17年3月15日(火)19:00 千石ル−ム

出席者 中嶋、神崎、古野、鈴木(学生3年生)

@雪合宿「新雪会」開催報告 スキ−と温泉懇親会

期日 平成17年3月11日(金)−13日(日)

場所 越後湯沢「湯沢山荘」 岩原スキ−場 

出席 津田、山本、赤井、高橋、鈴木、神崎、多田、中川秀、原沢        浅見、井上(日大二高山岳部OB)

A学生報告

冬山(2月)八ヶ岳全山縦走 須田、鈴木、早見、本郷が参加

  3月 霞沢岳(上高地)

安達太良山、敗退してのリベンジ

関口 ニュ−ジランドへボルダリン登攀にチャレンヂ

 新人募集

4月8日頃から法学部、生物資源、芸術学部から始める。

 B連絡事項

 新理事長に古野淳氏内定。

 村口徳行氏 読売スポ−ツ賞を受賞(四回のエベレスト登頂などの評価)

 

4月理事・評議員会

 と き 平成17年4月15日(火)18:30  千石ル−ム

 出席者 芝田、岡本、山本晃、中嶋、大城、赤井、今村、高橋、高緑、神崎、柄沢、中村、高澤

@次期新役員候補決定

会長 芝田稔(再任) 新理事長 古野淳(新任)

その他の理事は新理事長古野淳氏を中心に選任。大幅な若返りをはかる。

A学生報告

早見部員 東尾根より鹿島槍ガ岳

 新入会員募集 8〜9名が入部(募集、入部希望記名者30名)

 初夏合宿 穂高周辺 

 コ−チ会 千葉OB遠距離につき、鳥居OBが当面のヘッドコ−チ。

Bお花見/桜ハイク親睦会

期日 平成17年4月2日(土)

場所 丹沢 飯山温泉「白山(284m)」ハイク。入浴・懇親会「ふるさと館」

出席 山口靖二OBご家族2名、平山、赤井、片柳、高橋、村木、神崎、今田、奥富(神崎友人)

桜7分咲き、女坂登山路、男坂下山路、アユの塩焼き、露天風呂入浴

C連絡事項

 総会開催日

5月20日(金)18:30 千駄ヶ谷「東京都体育館第二研修室」

日本山岳会総会5月21日(土)14:00 四ツ谷「弘済会館」

平山善吉OB、日本山岳会会長続投

 

5月理事会 

 と き 平成17年5月10日(火)17:00 千石ル−ム

 出席者 神崎、岡田、若林(学生3年生)

@総会準備 当日資料の作成

今月は、総会の関係で理事会の開催日が第三火曜日から第二火曜日に変更された関係で理事の集まりが少なかったが、総会を前に当日の資料作成ぐらいしかの仕事しかなかったので、別に問題なく平成16年度の最後の理事会を終了した。          

 

 

平成17年度 理事会議事録

6月理事会 

と き 6月21日(火) 19:30 千石ル−ム

出席者 芝田稔、古野淳、山本茂久、田村幸英、岡田貞夫、須田貴志、鈴木浩太郎、神崎忠男

1)今年度のスケジュール

2)会費徴収方法について

80周年で募金も集広くいただいたこともあり、81年目からはいったん区切りをつけて、過去の未払い分は徴収せず、新たに年額5000円のみを確実に徴収する。

・【郵便局(払込票同封)】
加入者名=桜門山岳会 口座番号=00110−9−112434

・【みずほ銀行 新橋支店(普通)】
口座名=桜門山岳会 古野淳(フルノキヨシ) 口座番号=2220359

・発送用の封筒を作成 → 住所は古野の会社住所を印刷(部室住所だと戻り郵便物のチェックが困難なため)

3)短信143号について

・担当者=古野淳

・発行は6月中に原稿依頼、7月末までに作成・発送

4)名簿発行について(11月末、天懇案内返信を見て最終名簿チェック。市町村合併で住所変更多数のため時間がかかりそう)

・担当者=古野

・広告=個人情報保護法等のからみで今回は断念。JACは今年度の名簿発行を断念。

5)天懇の場所・日時

・担当者(天懇長)学生 予算1万円以下

・場所は検討中。箱根、八ガ岳、上越等。普段疎遠になっている若い人も誘って目標30人。

公共施設または会社の保養所みたいなところ? ハイキング、フリークライミング等ができるところ? 温泉?

6)講演会

候補

村口徳行(四度のエベレスト)
竹内洋岳(立正大OB:チョモランマ北壁)
上村博道(昭和山岳会:バフィン等徒歩旅行) 他

7)部室のパソコン導入について

・7月中にデスクトップ型パソコン、プリンター等一式、テプコ光インターネット導入。IP電話・FAXも導入予定。

・山岳部ホームページの更新=古野

・部員の個人ブログ(日記形式のホームページ)を各自作って内容を充実させる

8)会報34号
(平成13、14、15、16年度)2000年4月〜2005年3月

・担当者=岡田貞夫、山本茂久、山本泉他

・印刷会社未定

・原稿依頼

 ・13年度(2001)山岳部活動報告
  (主将:原沢修、ヘッドコーチ:斉藤大輔)

 ・13年度(2001)桜門山岳会活動報告
  (理事長:尾上昇)

 ・14年度(2002)山岳部活動報告
  (主将:原沢修、ヘッドコーチ:宇田川勲)

 ・14年度(2002)桜門山岳会活動報告
  (理事長:神崎忠男)

 ・15年度(2003)山岳部活動報告
  (主将:鳥居創太、ヘッドコーチ:千葉敦雄)

 ・15年度(2003)桜門山岳会活動報告
  (理事長:神崎忠男)

 ・16年度(2004)山岳部活動報告
  (主将:須田貴志、ヘッドコーチ:杉山敦雄)

 ・16年度(2004)桜門山岳会活動報告
  (理事長:神崎忠男)

 ・海外登山 

   ・冬季アマダブラム、クスムカン2001 → 山本茂久

   ・エベレスト02/03/04 → 村口徳行

   ・JAC東海支部ローツェ南壁2003/2004 → 山本茂久

   ・クーラカンリ2004 → 中村進

   ・クーラカンリ支援隊2004 → 鳥海昭二郎、中嶋啓

・ヨセミテ他 → 鳥居

・エベレスト → 村口

 ・寄稿依頼予定

   ・最新の登山技術・登山装備等
    → 鳥居創太(ICI石井スポーツ勤務)

   ・日本山岳会100周年
    → 平山善吉

   ・マナスル50周年
    → 松田雄一

   ・その他

 ・追悼(岡田監督より年配のOBに原稿依頼)

9)学生報告

・個人山行の谷川岳南稜・中央稜登攀(L鈴木、早見)にて中央稜の下降ルートの北稜で懸垂中にルートを誤り早見が落石受け負傷。大事には至らなかったが、リーダー会、コーチ会にて充分な反省と今後の事故防止の検討がなされた。

・初夏合宿は怪我のため早見が不参加。L須田、鈴木、石垣、船田、北條、OB鳥居。横尾定着、涸沢で雪訓。奥穂高、蝶ガ岳登頂。

・新入生の鵜原孝祐鵜君入部

10)次回、第2回理事会予定 → 7月19日(火)19:30 部室

 

7月理事会 

と き 7月20日(火) 19:30 千石ル−ム

出席者 芝田稔、古野淳、井本重喜、山本茂久、岡田貞夫、鈴木浩太郎、若林裕子

1)7月末発送予定 短信143号および、年会費請求

(短信)
未入稿原稿催促(古野)
訃報(芝田、岡田)
7/24原稿締め切り

(年会費)
既に入金済みのOBおよび既に多年度分入金のOBを除いたOBに発送

7/27部室で発送作業

2)10月22−23日 天幕懇親会の場所は井本理事の提案で宮原OBの実家である田沢温泉に決定。

天懇長=早見紀章君(3年/芸術)

3)11月17日 村口さん講演会(本人へは連絡済み) 会場は未定。

4)11月 名簿 個人情報保護法問題および市町村合併による住所変更問題

 

5)12月 会報34号発行について

担当者=岡田貞夫、山本茂久、山本泉他

追悼=岡田監督より年配のOBに原稿依頼

6)学生の山行報告および計画(須田不在のため、鈴木、若林が報告) → 以下参照

7)部室のPC導入について

  DELL製のパソコンがすでに納品されているが、テプコ光のインターネット開通工事が遅れており、現在のところ9月以降になりそうとのこと。その間にWILLCOM等で簡易的にインターネットに接続することを検討中。

  コーチ会はヘッドコーチが遠方のため、岡田監督宅でnetを利用したビデオ会議を行っている。今後、部室内でのビデオ会議を実現するために早期のインターネットの開通が望まれる。インターネットが開通すればIP電話も可能となり、電話/FAXも開通することになる。

8)次回の理事会は 9月6日(火)19:30部室にて

 

 

<OB寄稿・近況>

監督に就任してから

【岡田貞夫 1968年入部/経済学部 】

2002年  主将 原沢 修  4年 部員数 7 コーチ 宇田川 勲 山行日数 約40日

    

ネパールヒマラヤメラピークの合宿を登頂成功し96年の事故後の建て直しの時期に入っていると思われ海外での登山を継続することで次なるステップと考えていたが、現状は方向性を見失って、何をしたら良いのか解らない部生活がそこにあった。卒業すると山にいけない環境のOBがコーチ会を形成し学生に直接、具体的な指導が行われない体制が存在していた。

山を語る以前の 人前での挨拶が出来るように指導した一年だった。

 

2003年  主将 鳥居 創太 4年 部員数 6  コーチ 千葉 淳雄 山行日数 約50日 

部としての方向性が決まらない中、海外登山の新鮮さ、面白さ、高所での体験を話し聞かせても彼らは言葉では理解できても、残念ながら身体では吸収できない。影響を与えてくれるはずの学生にとっての近い存在の先輩たちからの感動体験も伝わってこない、何をすれば面白いのかが自分たちで見出すことが出来ない、しかし部生活は継続しなければならずジレンマに陥った一年間であった。それでもヨセミテでの生活は彼ら自身が「何か」をつかむ一歩の予感を感じさせた。 

2004  主将 須田 貴志 3年 部員数 6  コーチ 千葉 淳雄 山行日数 約100日 

経験豊富なリーダーが存在しなくなった今年 OBの積極的な参加の基で積雪期の登山を体験しいいスタートを切る、昨年に続きヨセミテでのクライミングは登山としての価値よりも、他の文化の一遍に触れることが出来たことが今後の部生活の役に立つのではないだろうか。

秋には須田がクーラカンリ隊に参加させてもらい個人としては素晴らしい経験をつんできたが部としての体験的財産が蓄積されたとは思えず残念でならない。

年度末の三月 上高地から霞沢岳の往復はここ数年の登山の中では価値の大変高いものだと評価する、この山行を通して学生たちはようやく自分たちが「何をしたいのか」つかみ始めたようである。 

2005年   主将 須田 貴志 4年 部員数 9  コーチ 鳥居 創太 

「厳冬期 鹿島槍天狗尾根」 明確な目標を確立しスタートを切る。

今年は11月の学生部マラソン大会に於いて3位入賞を目指す、大勢の先輩各位の応援にも期待したい、その目で学生たちの成長振りを是非にも確認していただきたい。

政情に大きな影響を受けるであろうが 是非にも来年度には学生の目が海外に向かうのではと密かな期待をしている。

 

ネパール事情と今後の展望

【井本重喜 1981年入部/農獣医学部】

政治に無関心な国民・・・

「デモクラシー!」と騒がれた1991年の民主化運動では、運動に参加した者全てが、「これでネパールも豊かになり、自分も豊かになれる」と信じていた事だろう。

しかし現実は、複数政党制となって乱立した政党間による政権争いと、政治家による汚職体質の増長で、一般市民が「デモクラシー」の恩恵を得る事はなかった。

“民主党より共産党”、“共産党よりも民主党”と、現政権より次の政権に期待したが、民主主義派、共産主義派のいずれの政党が政権を担当しても、市民生活に画期的な変化がある訳でもなく、また政治家による汚職が改善される事も無かったため、一般市民は次第に政治に対して無関心になって行った。民主化以降、現在に至るまで一部の学生が政治的活動を行っているが、彼等にとっての政治的活動は就職口の少ないネパールにあっては、自分が活動している政党が政権を担当すれば、政府関連機関への就職を有利にするための就職活動と言える。 

反政府勢力の台頭

汚職による政治腐敗が進む中で、96年には共産勢力の一派であった“ネパール共産党毛沢東主義派”が反政府武力闘争を始めた。当初は、共産勢力内の思想的分裂と思われたが、一般市民も巻き込む無差別な武力行使は、ネパール国内の貧困地域の救済と自治国家の設立が目的では無く、やはり自らが豊かになるための手段ではないのか・・・と思われてならない。

また、激しさを増す戦闘で、ネパールを訪れる観光客は激減し、観光関連産業は大きな打撃を受け経済の停滞を招いた。更に、諸外国からの援助で徐々に整備された通信設備や道路交通網を再建の見込みもないまま破壊し続けた。これらの行為が一般市民に容認される事はなく、武力による闘争は更に一般市民を巻き込む悪循環となって行った。 

国王による全権掌握

総選挙の実施を公約しながら、実施期限を過ぎても態度が判然としない政権への不信感から、今年2月1日にギャネンドラ国王により“内閣解散”と“全権掌握”が宣言された。同時にネパール国内の新聞報道・テレビ放送が規制されたため、国内外の各メディアは「国王による封建的政治体制である」と批判し、日本国内の新聞にも、国王の“強権発動”に反発する論調が掲載・報道されました。しかし、国民は前述の通り、91年の民主化以降、政党間で繰り返される収賄・汚職など政治の腐敗体質に辟易とし、また破壊活動を続ける反政府武装勢力への憤りの中で、「新しい政治体制」への期待、つまりは国王の発言と実行力に期待感を持っている人が大多数に及んでいる。 

今後の展望

国王による“全権掌握”以後、都市部の治安維持活動は強化されて、以前は日常茶飯事のように行われていた“ストライキ”や“デモ・政治集会” などが禁止、一般市民の生活は安定化の方向に向かっていると感じられる。また、今年5月20日発出の“外務省渡航情報”では首都カトマンズの危険度が「渡航の是非を検討」から「十分注意」へ引き下げられた。「危険度の引き下げ=安全」と簡単に言い切れる訳ではないが、都市部及び主なトレッキング地域の治安事情は明らかに回復傾向にあると言える。

ギャネンドラ国王の今後の発言・行動を見守りたいが、旅行者の激減で後退を余儀なくされたネパール経済の景気回復のために、王室費の削減や私的財産の供与など、「自身の身を切りながらも国費の軽減を計る」などの方法を持って国民の支持を得て欲しいものだと個人的には思う。しかしそれはまだ先の話しとして、今後も断固たる姿勢で反政府勢力に対峙、また汚職体質を改善してゆく考えであろう。

「ネパールは反政府ゲリラが活動していて危険!」との認識をそろそろ改めても良いのではないだろうか?

希望的観測も交えながら、常々そのように思う。

 

 

富士山頂にエコトイレを建てる

【山本茂久 1988年入部/生産工学部】

三井住友建設鰍ナは平成16年、17年の2年間で富士山・富士宮口の頂上「冨士館」のトイレをエコトイレに改築するという工事を環境省及び静岡県から受注しました。今回の工事は、「富士山にある全てのトイレをエコトイレ化する」という官民一体となった活動の1つで、昨年までに5合目駐車場や各小屋のトイレの70%程度が既にエコトイレ化工事を完了しています。 

 私は現在三井住友建設鰍フ子会社:エムシー・リフォーム鰍ノ在籍していますが、「高所の経験があり、富士山頂での工事管理に適任」ということでかつての上司から依頼がありJVの形で参加することになりました。ここでの私の仕事は通常業務の「工事現場管理」と「作業員や他の監督の高山病対策」の2つです。 

 工事の内容は、既存の放流式トイレを解体撤去し、同規模のエコトイレ(コンポジット式・燃焼式併用)を新築するというものです。規模は大10台、小5台、平面約10m×10mで決して大きくないトイレですが、富士山頂ではこの規模の建物は大きい方なのです。また、富士山頂での工事は7月〜9月くらいでないと気象的に難しい部分があり、平成16年夏に基礎工事を行ない、平成17年夏に完成ということになります。 

工事に当たっては、

1.                  作業員の生活の問題(小屋を貸切使用。食事はどうするのか。高所順応は。)

2.                  物資輸送の問題(ヘリコプターとブルドーザーをどのように分担して使うか)

3.                  仮設資材等の供給の問題(工事用水、電源の供給をどうするのか)

4.                  工期の問題(悪天率が高い頂上でいかに進めていくのか)

 

以上のような問題が有りますが「作業員の生活の問題」が最も大きい問題でした。

 まず、頂上の無人小屋を整備して宿泊施設を作り、賄いの男性2人に常駐してもらって食事を出してもらうことにしました。我々山岳部員はヒマラヤのベースキャンプで不便なテント生活を2ヶ月程度続けるのはそれほど問題ではないのですが、一般の人が3800mで小屋泊りをしながら労働を続けるのは非常にストレスが掛かるものです。出来るだけ快適な生活と食事を提供することに努力し、普通の山小屋程度までにしました。 

 頂上部隊の体調管理の為に「パルスオキシメーター」を使用し毎朝夕同時刻に計測しました。工事が進むにつれ全体的に数値が上昇し高所順化が進んできましたが、高い数値でも頭痛を訴える人もおり、個人差もかなりあることに苦労しました。不特定多数の作業員が従事する工事現場では事前の高所トレーニングは不可能であるし、効率や体力の消耗を考えると歩いて登るよりブルドーザーの使用を選ばざるを得ない事など、高所順応という意味ではなかなかこちらの思う通りには行かない状況でした。 

最初の頃はどのように高所順応するか、どのように工事を進めていけば良いのかがわからずに体調管理面で問題が続出し、上がってきたその日に強制下山という場面が多かったのですが、徐々にノウハウを蓄え改善していきました。つまり、 

1.                  入山日は頂上に着いてから半日以上は作業を行なわない。その際に寝てはならない。(早朝、下からブルで上がってくると9時には頂上に着く)

2.                  頂上に上がって4泊作業したら翌日の昼に下山し、自宅で3泊過してから翌朝ブルで上がってくる。というサイクルを守る。

3.                  下山時は体調管理に勤め、寝不足・深酒はしない。体調が悪い場合は入山しない。

4.                  頂上では急激な行動はしない。資材運搬は出来るだけ重機に任せる。 

以上のようなルールを作り、忠実に守ることで脱落者を出さずに安定して工事を進めていく努力をしています。

 今回の話し以外にも富士山頂での工事ならでは事が沢山有り、驚きと戸惑いの連続で、過酷でありながらも楽しい工事でした。エピソードは尽きないのですが、またの機会に。 

 この工事は現在もおこなっています。残念ながら私は今年は別の現場へ行っているため参加していませんが、富士山へ登る際には富士宮口「冨士館」裏の工事を覗いてみてください。

 

 

巨樹の森 −奥羽山脈・和賀山塊取材報告−

       【田村幸英 1992年入部/文理学部】

ご無沙汰しております。平成8年卒の田村です。

現在 NHKスペシャルの撮影担当で 秋田の山の中で過ごしています。去年の5月から2ヶ月に一度東京に戻って一週間ほどニュース取材(ベッカム、ヨン様来日! 放火されたドンキホーテ 郵政民営化でもめる自民各派閥取材 etc・・)をしてはまた秋田の山にこもる生活を続けています。

“ヒマラヤや極地取材ならともかく秋田で何をそんなに時間をかけて撮っているのか 受信料をなんだと思っているんだ“とおしかりを受けそうですが 数百年生きてきた巨樹達が過ごしてきた森の移りゆく姿を丁寧に記録し、人間の時間感覚とはかけ離れた森の過ごしてきた時間を少しでも映像表現しようと巨樹とにらめっこを続けています。

私が取材している幹まわり日本一のブナの木は短くても300年、研究者の中には倍の600年は生きてきたとされる老木です。幹まわり8m60cm 高さ24mで屋久スギや西日本のクスノキなどの巨樹に比べ 圧倒的な大きさを誇るというわけではありませんが 風雪に耐え大きくゆがみ、枝を折られ大きな穴があいたり樹皮が裂けた姿は満身創痍に見える日もあれば、数百年したたかに生きてきた凄みを感じることもあります(数種の細菌などを除くと数百年の寿命があるのは樹木だけだそうです)。

16000ヘクタール 富士の樹海の5倍の広さの森には日本一のブナの他にも日本2位・4位のブナ 日本一のクリ 日本2位のクロベなど たくさんの巨樹が発見されています。

私たちは季節・天候・時間帯によってめまぐるしく変る多くの巨樹、森を定点撮影により万華鏡のように変る色彩、表情をできるだけ多く同じポジションからとらえたいと考えています。同じポジションからの映像であれば姿・形、色彩の変化がテレビを通してでもわかりやすくなるからです。春夏秋冬 4色で日本の四季を表現している番組やCMをよく見ますが日本の山はそれほど単純ではありません。山登りに親しんだ者ならば知っている森の色彩・表情の変化をお茶の間に届けたいと考えています。

森の中に30カ所ほど作った撮影ポジションは当然 あちこちに散らばっていて中には道がない藪歩きや沢登りもあり 無雪期でも一日で到達しない場所もたくさんあります。また 芽吹きの淡い緑が日を浴びる様子が撮りたい、大雨の日が撮りたい、夕日に染まる日が撮りたいと同じ場所に何度も通います。

少しずつ芽がふくらみ葉を出す様子は一日毎に変化するので木の下に半月 テントを張り、撮り終えて映像を並べてみて初めてわかるわずかな変化を撮り続けたこともありました。冬は30kのザックを背負い、雪国で使う幅1m 長さ1.5mほどの大きなソリに食料、撮影機材をやはり30kほど詰め込んで引きながら雪に埋もれそうな巨樹に会いに行きました。木の上から撮りたい時は 枝にいくつもランニングをとり木肌にしがみつきながら登り、ルートを作っては撮影機材を引っ張りあげる、セルフビレーをとって木のてっぺんで風がやむのを待ったり光が射すのを待っていると山岳部時代に培った感覚や発想が飯の種になってるなぁとつくづく感じます。

今現在は少し遅い梅雨入りを迎えた湿っぽい森の中で体長7ミリほどもあるカモシカマダニにかじられながら自分の根元に雨水を集める巨樹の姿や、太平洋側から押し寄せる東風ヤマセが滝のように山を覆う様子を狙って山に通っています。晩秋まで撮影し来年の正月放送を目指しています。無事完成しましたら正確な放送日をお知らせします。是非 ご覧になってください。

 

 

平山善吉(1952年入部/建築)OB

日本山岳会会長が再任されました

日本山岳会平成17年度通常総会が、平成17年5月21日に開催され、平山善吉会長が再任されました。今年度は日本山岳会創立100周年の記念すべき大事業を控えており、皆様のご支援・ご協力の程、よろしくお願い致します。

桜門山岳会会員からも既に多額の寄付をいただいており、あらためまして感謝申し上げます。

100周年記念式典委員会委員長(神崎OB)、理事(古野OB)他、各委員会等で多くの会員が活動いたしております。

 

 

村口徳行(1976年入部/文理)OB

読売新聞社日本スポーツ賞を受賞

1月27日、読売新聞社2004年度の日本スポーツ賞授賞式が都内のホテルで行われました。村口徳行さん(S55卒)が山岳部門で受賞されています。


20041222日 読売新聞朝刊より抜粋】
 2004年に最も活躍した選手、チームを表彰する第54回日本スポーツ賞(読売新聞社制定)の各競技団体からの推薦選手、チームが21日、出そろった。東京・大手町の読売新聞東京本社で22日に開かれる日本スポーツ賞委員会で、グランプリ(大賞)が決まる。48競技団体から推薦されたのは優秀選手23人(ソフトテニスは2人)、優秀団体(チーム)19。
 選手では、アテネ五輪の男子柔道60キロ級で個人種目では日本人初の五輪3連覇を達成した野村忠宏(ミキハウス)、五輪の競泳男子平泳ぎ百メートル、二百メートルを制し、日本の競泳史上初の2種目優勝を果たした北島康介(東京SC、日体大)、五輪の陸上男子ハンマー投げで優勝、投てき種目で日本に初の金メダルをもたらした室伏広治(ミズノ)ら。チームでは、五輪で28年ぶりに団体金メダルに輝いた体操男子日本代表、サッカーアジアカップで2連覇の日本代表らが推薦を受けた。(写真はアテネ五輪取材団撮影)

 〈山岳〉   村口徳行(むらぐち・のりゆき)(48)フリー。東京都出身。
 ◇5月、世界最高峰のエベレスト(8848メートル)への登頂に成功。自身4度目で、日本人では単独1位となる最多登頂記録を樹立。シェルパを除けば、世界的にも数人しか成し得ていない快挙を達成した。 

 

 

井本重喜(1981年入部/農獣医学部)OB

エベレスト南東稜より登頂

 

チーム・ホンダ エベレスト2005登山隊(本多通宏隊長)に参加の井本重喜OBが5月31日  (940am)南東稜より登頂しました。自身、1995年の北東稜に続き2度目の登頂になります。

 

<nacbook review お薦め山の本>

 

「四度目のエベレスト」(文庫判、221頁)村口徳行著 小学館
2005年7月1日初版 定価¥648

【山本泉(1991年入部/法学部)】

本を読み始める前に、私は身構えていた。

もっと技術的なことなどが書いてあって、ムズカシイ本ではないか…と。

しかし読み始めてみたら、するするとページが進んでゆく。読んでいるというよりはエベレストやヒマラヤの話しを村口さんの隣で聴いている感じだ。

歯切れのいい語り口で、初めてのヒマラヤ登山から三浦雄一郎さんのエベレスト登頂、渡邉玉枝さんとのエベレスト/ローツェ登山計画にいたるまでの話しも記されている。

ときに鋭く村口さん流登山観が語られ、その場にいた人にしか書けない心理描写やクスリとくるエピソードも満載。

山登りをはじめたばかりの人からヒマラヤ経験者まで楽しめる一冊だ。

もちろん迫力のエベレスト・ローツェの写真も多く掲載されている。

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「北のはてのオットーと家族」 発行・著者・写真・編集 中村 進

2004年4月15日 第二刷 定価¥800

【山本泉 1991年入部/法学部】

1976年1月から翌年3月までの12ヶ月の間、中村進さんはグリーンランド・シオラパルクに滞在した。その時出会ったオットー少年とその家族や村の人の物語だ。

15才のオットー少年が、父親から猟に関することを一つずつ教わり、少しずつ成長していく過程が綴られている。

淡々と綴られているが、次第にその世界に入り込んでしまった。

というのは、あらゆるエピソードが映像的で、まるで自分がその様子を目の当たりにしているような感覚になってしまうのだ。

たとえば、猟で取った獲物を、仲間で分配するために切り分ける場面では、とてもリアルで、においまで漂ってきそうだった。

特に私が入り込んでしまったのは、クライマックスの「セイウチ猟」のエピソード。

猟の間の張り詰めた空気。はたして獲物を捕らえることができるのか?と、ハラハラしてしまった。そして猟を終えて家路についたときの描写には、胸が熱くなった。

 

今、テレビやインターネットなどの情報の恩恵にあずかった生活をしている。

便利なはずなのに、なにかいつもキリキリとしていて、急かされているように感じる。

この本を通して、極北の地で生きる人たちの生活をのぞき見たとき、「人はもともと、もっとたくましくて、優しい生き物だったのだな」と思えた。そして少しほっと息をつくことができた。

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「百の谷、雪の嶺」(430枚)沢木耕太郎 新潮8月号 定価¥950

【古野淳 1980年入部/文理学部】

タイトルの「百の谷、雪の嶺」はチベット語でギャチュンカンと呼ぶ。山野井泰史が妻の妙子とペアで登ったギャチンカン北壁の壮絶な記録。読み物としては「狼は帰らずアルピニスト・森田勝の生と死」 佐野稔() 中公文庫 (比較する対象ではないか?)をも凌ぐおもしろさ。わたしの知る限り、海外のクライマーを含めて最も過酷でレベルの高いクライミングの記録ではないかと思う。登山用語に明るくない読者でも解説が親切でわかりやすい。作者がまるで同行取材したようなタッチで、ページをめくるたびに息をつかせぬ展開がつづく。登攀の記録だけではなく奥多摩の自宅の質素な生活から、遠征のノウハウを生かしたアプローチ、経験から導き出した細かい登攀技術や装備に見られる工夫、そして凍傷の治療まで、若いクライマー達には必ず参考になるはず。妻、両親、友人や取材人にまでにも、思いやりのあるやさしい言動が彼の厳しいクライミングを際だてていく。妻妙子さんの性格とクライミング技術を知り抜いた上での思いやりとパートナーとしての厳しさがうまく描かれ、究極のソロクライマーとして生きながらえているのは彼女の存在がとても大きいことがわかる。 

激しい登攀の末、2人核心部を越えるが消耗して山頂へは山野井一人で立つことになる。ぎりぎりの体力を振り絞った登頂であったが、下降中悪天につかまる。消耗が極限の状態で妙子が雪崩に流され、ザイルには加重がなくなったため妙子の死を覚悟する。ザイルをたどって降りると足下が1000メートル切れた垂直の壁の中でザイルを外しダブルアックスでへばり付いている妙子を発見。凍傷のひどい山野井は、5時間かけて再度登り返し下降用のザイルを回収、3回の懸垂下降で妙子の待つ場所へたどり着く。そして2人で究極のビバークを強いられる。7千メートルの滞在は連続6日目となり、低酸素で2人とも目が見えなくなって、山野井には幻影さえ現れ始める。

 次々と襲い来る絶望的な状況をひとつずつ解決し、極限の体力を振り絞ってしまった後にもさらに体力がよみがえってくる山野井の身体能力は単に技術や経験だけからくるものではなさそうである。危機を脱する天才的な判断力は、冷静で論理的な思考と、絶対にあきらめない精神力、岐路に立ったとき過去の経験や失敗を思い出し条件反射的に瞬時に解決してしまう能力等、最高のクライマーの資質とはこういうものかと納得させるものがある。

 2人で成し遂げた登山だったが、ほとんどを失ってしまった指、年齢的なことでこれからの彼らの生活や次のクライミングが気にかかる。自分が死んだら墓はいらないので、子供の頃から大好きだったクワガタやカブトムシがたくさん集まってくるようクヌギの木を植えてくれというところが泣かせてくれる。

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<山岳部の合宿山行報告>

2005年 二月合宿   八ガ岳

期間: 平成17年2月13日(日)〜18日(金)

メンバー: L須田 SL鈴木 早見 本郷

場所: 八ガ岳連峰 蓼科温泉プール平〜北横岳〜阿弥陀岳〜美濃戸口

 

2月13日(日) 晴れのち曇り
新宿高速バスターミナル発7:20〜中央道茅野バス停着10:15〜茅野駅着10:40〜竜源橋着11:40〜蓼科山分岐着13:20〜亀甲池CS1着14:30

 部室に6:00に集まり、ザックを背負って出発。新宿で高速バスに乗り込む。中央道茅野バス停に到着し、茅野駅まで歩く。駅でタクシーの運ちゃんに聞くと、竜源橋まで入れるそう。ありがたく、竜源橋までタクシーで入らせていただくことにする。
竜源橋で装備を整えて、登山開始。トレースがばっちりついており、夏道のようだ。日差しも強く歩き出してしばらくすると、汗が滲む。北八ツということもあり、スノーハイカーも多い。天祥寺平に12:20に着いたので、亀甲池まで進むことにする。亀甲池脇の樹林帯によいテン場を見つけ、そこで幕営。日が沈むと一気に寒くなり、ここが二月の八ヶ岳であることを改めて実感させられる。

2月14日(月) 晴れ、やや風あり
亀甲池CS1発5:20〜北横岳着7:45〜北横岳ヒュッテ着7:55〜縞枯山荘着8:30〜縞枯山着9:20〜茶臼山着9:55〜麦草ヒュッテ着10:30〜白駒池、白駒池山荘着11:20〜ニュウ着13:40〜ニュウ、中山峠間の樹林帯CS2着14:40

 朝、CS1を撤収し出発する。冷え込んでいるため、雪がサラサラである。ただし、トレースがあるためラッセルではない。北横岳の登りにかかり始めて、早見がトイレに行きたいと言い出し、行動が中断してしまう。本郷はトレースを壊してしまい、なかなか上がれずに息が切れている。去年の二月合宿では北横岳の登りで苦戦したので今年も手こずるだろうと予想していたが、予想に反して2ピッチ弱で山頂に立つことができた。風はあるが、山頂はとてもいい眺めだ。全員、写真を撮るのに夢中になっている。坪庭を過ぎ、縞枯山、茶臼山と超えていく。大変行動が順調で天気にも恵まれたので、今日は中山峠を目指すことにする。しかし白駒池のあたりから早見のペースが落ち、ニュウまで2時間20分もかかってしまった。もうしばらく進むが、今日中に中山峠は難しいと判断、ニュウ、中山峠間の樹林帯にて幕営とする。普通のペースで歩ければ、30分ほどの距離なのだが

2月15日(火) 晴れ、風あり
ニュウ、中山峠間の樹林帯CS2発5:20〜中山峠着6:10〜東天狗着7:20〜西天狗着7:35〜東天狗着7:50〜根石岳着8:30〜根石山荘着8:35〜夏沢峠CS3着9:20

 今日の行動予定は、夏沢峠までだ。CS2を出て樹林帯を抜けると、風が強い。東天狗の手前で弱層テストをする。雪崩の心配はなさそうだ。東天狗の山頂に立つと、とてもいい眺めだ。東天狗山頂にザックをデポし、西天狗も往復する。東天狗の下り、根石岳周辺では風が強く、慎重に通過する。夏沢峠に着くと幕営跡地があり、ありがたくいただくことにする。

2月16(水) ガスと強風
夏沢峠CS3発5:20〜硫黄岳着6:40〜赤岩の頭着7:10〜赤岳鉱泉着8:00〜行者小屋CS4着8:55
行者小屋CS4発11:50〜地蔵尾根上部着12:30〜行者小屋CS4着12:50〜文三郎尾根上部着13:30〜行者小屋CS4着13:55

 前日の夜、ラジオで南岸低気圧の予報があり、やや雪が降った。撤収の時もまだ降っていて、風もあった。ひとまず硫黄岳まで行って、横岳方面に進むか一気に行者小屋に下るか決めることにした。硫黄岳山頂に着くころには雪まじりの強風になっており、ガスのせいで視界もよくない。よって本日の横岳は中止とし、赤岩の頭経由で行者小屋へ下ることにした。この日は気温も0前後と異常に暖かく、雪はべちょべちょ、行動中の我々の装備はすぐにびしょびしょになった。行者小屋は営業していなかったが、立派なスノーブロックのある幕営跡地をいただくことにする。
 しばらくテント内で休憩したあと、明日以降のために空荷で地蔵尾根、文三郎尾根の偵察に行く。鎖場など、ロープを出すかもしれない場所もチェックする。
 この日の夜はテント内の湿度が高く、なかなか不快な夜になった。

2月17日(木) ガスのち晴れ、風あり
行者小屋CS4発5:10〜赤岳鉱泉着5:50〜赤岩の頭着7:15〜硫黄岳着7:40〜硫黄岳山荘着8:10〜台座の頭着8:40〜奥ノ院着9:40〜大権現着10:10〜三叉峰着10:30〜地蔵仏着11:40〜行者小屋CS4着12:10

 朝、気温が高くガス気味。昨日の天気予報では、これから天気は回復するそうだ。気温が高いので、赤岩の頭への登りでは汗をかく。硫黄岳山頂でハーネス、ヘルメットを装着する。硫黄岳山荘に着いたあたりからガスが晴れ始める。風は吹いたままだ。奥ノ院までのカニの横ばいで3Pロープを出す。その後も稜線を注意しながら歩く。大権現から三叉峰の間で、カモシカと出会う。ほんの数メートルの距離しかないが、逃げる様子はない。フサフサの毛が温かそうだ。そして地蔵仏から地蔵尾根を下り、行者小屋CS4へ。行者小屋には他の登山者も上がってきていた。天気がとてもよいので、外で装備やシュラフを干しながら休む。テントも一気に乾いた。今日は快適なテント生活が送れそうだ。

2月18日(金) 晴れ
行者小屋CS4発5:05〜地蔵仏着6:05〜赤岳展望荘着6:15〜赤岳、赤岳頂上小屋着6:45〜文三郎尾根分岐着7:05〜中岳着7:30〜阿弥陀岳着8:10〜中岳着9:20〜文三郎尾根分岐着9:50〜行者小屋CS4着10:15、発10:55〜美濃戸山荘着11:50〜八ヶ岳山荘着12:30

 朝、満天の星空の下、出発する。地蔵尾根を汗をかきながら登る。地蔵仏では雲海と日の出を見ることができた。赤岳頂上でも、全員その景色に感動する。赤岳の下りは急な岩場なので、慎重に下りる。中岳を越し、阿弥陀岳の急登を登る。阿弥陀岳の下りでは、1Pロープを出した。文三郎尾根を下り、行者小屋にてCS4を撤収、美濃戸口目指してひたすら突っ走る。そし美濃戸口到着。本郷は喜びの奇声を上げている。全員で八ヶ岳山荘の風呂に入り、帰路につく。

全体を通して

 今回の二月合宿は、前回の冬合宿と比べればだいぶ冬山らしさを経験できた。悪天や雪上歩行、天幕生活など。初冬合宿の時と比べると、反省もだいぶ生かされてきたようだ。ただしラッセルもないに等しく、トレースも豊富にあり、行程の多くは樹林帯であったことなど、これで自分たちが冬山登山者として十分なレベルに達したなどとは、決して思ってはならない。
 また今回の合宿の大きなテーマとして、下級生の来年に向けてのステップアップがあった。早見は新3年、サブリーダーとして、本郷は新2年として。そのために早見にはほとんどトップを務めさせ、本郷にはかなり厳しくあたった。今回見た限りでは反省点も多くまだまだ十分とは言えないが、合宿前と比べればかなり自覚を持って行動できていたように見受けられる。次の合宿からは鈴木が就職活動のため参加できなくなるので、今回の反省を生かしてより、いっそうの努力を期待したい。

文責:須田貴志

 

2005年  三月合宿   北アルプス 霞沢岳

期間: 平成17年3月24日(木)〜4月2日(土)

メンバー: L須田、SL早見、本郷

場所: 北アルプス上高地周辺 霞沢岳

 

3月24日(木) 晴れ
新宿高速バスターミナル発7:00〜松本バスターミナル着10:10〜釜トンネル入口着11:40、発11:55〜大正池ホテル着12:55〜上高地バスターミナル着13:45〜小梨平キャンプ場着14:10〜明神館CS1着15:00

 新宿で鈴木、若林、石垣に見送られ、高速バスに乗り込む。3人から差し入れもがっつりいただく。松本バスターミナルに到着し、駅前でタクシーをゲット。このタクシーの運転手さんがいい人で、とてもよくしてもらった。
 釜トンネル入口で装備を整えて、登山開始。トンネルは現在工事中。新しい釜トンネルを作るんだそうだ。トンネル以外にも上高地付近はあちらこちらで工事をしていた。道は雪がよく締まっており、とても歩きやすい。重荷にも関わらず、どんどん先へ進む。天幕予定地であった小梨平キャンプ場に14:10に着いてしまい、翌日の行動は長時間行動が予想されたため、明神まで行くことにする。明神に着くと、ここでも工事をしていた。明神館すぐ脇の樹林帯にて幕営する。

3月25日(金) 風雪
明神館CS1発5:00〜徳本峠入口着5:20〜徳本峠CS2着15:00

 夜の間に降雪があり、テントの外を見ると20cmほど雪が積もっていた。天気は悪いが、今日は樹林帯の中ということもあり問題なしと判断、CS1を撤収し行動開始。徳本峠入口からいざ峠へ登り始める。傾斜が緩いうちはラッセルに苦労はしなかったが、傾斜が出てくるにしたがいラッセルも深くなる。場所によっては腰、胸ラッセルだ。雪質も抜けやすい雪で、遅々として進まない。3人でどんどんラッセルを回す。ルートはおおよそ夏道沿いの登りやすそうなものを選んでいった。
 稜線に出て現在地を確認すると、峠よりほんの少し西側の地点だった。わざわざ峠へ行くこともないと思い、その場にて幕営することにする。全員ラッセルでだいぶ疲れているようだった。

3月26日(土) 風雪
徳本峠CS2発5:05〜ジャンクションピーク着8:00〜最低鞍部着10:05〜最低鞍部先CS3着11:20

本郷が少し遅れ、5:05に出発する。今日も冬型気圧配置がきまっており、天気はよくない。明日になれば冬型も緩むだろう。樹林帯の中を赤布を手がかりに進んでいく。ジャンクションピークの登りもラッセルだったが、ピークから先のラッセルがきつい。ひたすら腰ラッセルだ。
 最低鞍部に着き、そこに荷物を置いて上部の偵察をする。よいテン場があったのでそこまで上がろうとするが、本郷が体調不良を訴える。長時間のラッセルがこたえたようだ。なので最低鞍部より少しだけ上がった場所で幕営する。ここで最低2泊はする予定なので、スノーブロックも作ることにした。

3月27(日) 晴れ
最低鞍部先CS3発4:50〜K1着9:35〜K2着9:55〜霞沢岳着10:15、発10:25〜K2着10:45〜K1着11:00〜最低鞍部先CS3着13:40

 朝テントの外を見ると、多少の雲はあるが晴れている。風も弱い。アタックの用意をして出発。K1手前の急登まではとにかくラッセルだ。スコップラッセルでもろくに進まない。気合いの見せ所である。K1の急登からはクラストしており、アイゼンでスピードアップする。ここから山頂まではかなり雪庇が出ているので、稜線の下を巻き気味に歩く。そして霞沢岳山頂に到着。山頂には看板などがないので、地図で確認。霞沢岳であることを確認する。さすがに稜線は風が強いので、写真を撮ってさっさと下りる。K1の下りで1Pロープを出す。ここで須田が転倒し、雪上を5メートルほど滑落する。すぐに止められたが、右膝をひねってしまう。歩くと痛む程度なので、そのまま行動することにする。CS3に戻り、一安心。持ってきたパイナップルの缶詰めで登頂を祝う。

3月28日(月) 雪
最低鞍部先CS3発4:45〜ジャンクションピーク着6:40〜徳本峠着8:40〜徳本峠入口着10:40〜徳沢ロッジCS4着13:00

 朝、気温が高く、湿った雪が降っていた。昨日の日射で溶けた雪が夜のうちに凍ったので、深いラッセルにはならない。登ってきたときには何時間もかかった場所を、あっさり通っていく。徳本峠入口に10:40に着く。すでに湿った雪で装備はびしょびしょだ。しかもここから徳沢までが湿った重い雪でなかなか進まない。着いたのは13:00だったので、今日の横尾周遊は諦める。テントを張って、EPI全開で装備を乾かす。食いつぶしも始める。

3月29日(火) 晴れ時々曇り
徳沢ロッジCS4発4:25〜横尾着6:55〜徳沢ロッジCS4着8:55(テント撤収)、9:15発〜徳本峠入口着10:50〜明神館着11:00〜上高地バスターミナル着12:25〜大正池ホテル着13:30〜釜トンネル入口着14:10

 朝、横尾に向けて出発する。今日は周遊してから下山するつもりだ。横尾まではうっすらトレースが残っており、それをたどる。横尾に到着すると、屏風岩が見えた。早見はそれを見てニヤニヤしている。徳沢に戻る途中から晴れ間が見え出した。ロッジで張っていたテントを撤収し、下山に移る。全員黙々と歩いている。上高地バスターミナルからは、ところどころ道が除雪されており歩きやすい。そして釜トンネルを抜け、無事下山。なかなか中身の濃い合宿となった。

全体を通して
 今回の三月合宿は、副将の鈴木が就職活動、1年の石垣は実家の都合で参加できず、3人での合宿となった。その3人で霞沢岳を狙う今回の計画は、だいぶ背伸びをした計画だったように思う。しかし長時間のラッセル、深い樹林帯でのルートファインディング、雪庇の通過など、結果として得られたものは大きかった。さらにラッセルやルートファインディングでは全員が主体的に行動できていたことも、とてもよい傾向だと感じる。
 ただラッセル能力やルートファインディング能力などを見ると、とても満足のいくものではなかった。確かにこれらは1日2日で身につけられる能力ではないが、だからこそ日頃からのトレーニングがものを言う能力である。各自が自分の弱点を自覚し、地道な努力をしなければならない。
 今回の三月合宿で16年度の合宿はすべて終了した。次の合宿は新入部員を加えての初夏合宿となる予定だ。新年度になっても有意義な活動が行えるよう、各自のより一層の精進を期待する。

文責:須田貴志

 

2005年  初夏合宿 北アルプス 横尾定着

期間: 平成17年5月28日(土)〜6月2日(木)

メンバー: L須田 SL鈴木 石垣 北條 船田 OB鳥居コーチ

場所: 北アルプス 横尾定着 涸沢雪訓 奥穂、蝶ガ岳

  

5月28日(土)入山日 薄曇り
4:32
松本着〜7:30島々宿着、7:50発〜8:30二俣着〜10:40岩魚留小屋着〜14:10徳本峠小屋CS1着

 前夜部室で若林に見送られ、出発。早見は先週の谷川で怪我をしてしまい、不参加になってしまった。詳しくは事故報告書参照。23:54の新宿発ムーンライト信州に颯爽かつ華麗に飛び乗り、いざ出発。若林にもらった差し入れのスイートポテトで腹を満たし、さっさと寝る。
 朝目覚めると、そこはもう松本。電車から降り、タクシー乗り場に向かう。タクシー乗り場には三月合宿でお世話になった運転手さんの、下里さんが待ってくれていた。そしてタクシーに乗り込もうとしたその時
船田「あっ、電車に靴忘れてきました」
一同凍りつく。船田の山靴は、ムーンライト信州と共に白馬へ旅立ってしまった。電車で白馬までとりに行くと丸一日かかり、今日の入山は無理だ。何か手はないかと考えていると、下里さんが
「タクシーでとりに行こう、料金はサービスしてあげるから」
とおっしゃってくれた。ああ!なんていい人なんだ!下里さんが神様に見えた。そして下里さんをはじめ、信州名鉄交通の皆さん、JRの皆さんの協力により、少しの遅れだけで山靴をとり戻し、入山することができた。ありがとうございました。
 島々宿のゲートから登山道に入る。登山道というより林道という感じで、たらたら歩く。道が崩れている場所もあるが、たいして問題ではない。途中、女の子だけの団体に会う。徳本峠への登り始めあたりで水を汲んでいく。この付近は虫がとても多く、まとわりつかれてイライラする。峠の小屋に着くと、眼前には穂高連峰がそびえ立っていた。テントを設営してのんびりしていると、先ほどの女の子だけの団体が登ってきた。石垣が話しかけたところ、明治学院ワンゲル部だそうだ。石垣は女の子がたくさんいるので嬉しそうだった。

5月29日(日) 晴れのち曇り
4:40
徳本峠小屋CS1発〜5:55徳本峠入口着〜6:40徳沢着〜7:50横尾BC着

「偵察隊」 8:20横尾BC発〜11:20涸沢小屋着〜13:20涸沢槍下部(雪訓予定地)着〜14:15涸沢槍下部(雪訓予定地)発〜14:30涸沢小屋着〜15:20本谷橋着〜16:00横尾BC着

 テントを撤収し、出発。徳本峠からの下りは少し雪があるが、問題ない。水場で水を汲み、約1時間で徳本峠入口に着いてしまった。徳沢を過ぎ、屏風の頭を眺めながら歩いていると、横尾に到着。テントを設営し、鈴木と石垣は偵察に出発。須田と北條、船田はBCに残り、ザイルワークの復習をした。横尾は地形的に電波が届きにくいらしく、ラジオはほとんど入らない。

「偵察隊」  8:20、横尾BCを後にする。石垣がトップで快調に飛ばす。本谷橋まで特に問題はない。本谷橋を渡ってから、登山道が雪に覆われている。と、ここから石垣もいつも通りの安定したスローペース。滑落したらまずいトラバースもあるが、慎重に行けば1年生がいても問題ないだろう。涸沢小屋はなかなか快適。ここでヘルメット、ハーネス、雨具下装着。ここから雪訓予定地までなかなか遠い。登っている間、奥穂高直下の壁は頻繁に雪崩が起きていた。雪訓予定地の下もいくつか雪崩の跡が。下部まで行くが、斜面はゆるい。弱層テストをすると、25cmぐらいの深さに弱層あり。とりあえずザイルワークの確認をして下山。下りは早い。涸沢小屋で装備を外し、駆け下りるように下る。16:00をちょっと過ぎて下山。

5月30日(月) 晴れのち曇り
4:40
横尾BC発〜5:30本谷橋着〜7:20涸沢ヒュッテ着〜8:105・6のコル下雪訓場着、直登&直下降開始〜9:10ダイヤモンド&八の字開始〜10:40ジッヘル開始〜12:10グリセード開始〜12:405・6のコル下雪訓場発〜12:50涸沢ヒュッテ着〜13:40本谷橋着〜14:30横尾BC着

 体操をして横尾を出る。本谷橋を過ぎたところでピッケル、雨具を装備。沢筋の雪渓には入らず、夏道沿いを行く。涸沢ヒュッテが見えるあたりから雪訓ダッシュ。1位北條、2位船田、3位石垣。新たな雪訓場は5・6のコル下の斜面とする。すぐ隣では顔見知りの法政大山岳部が雪訓をしている。我々も直登、直下降、ダイヤモンド、八の字とこなす。雪がグサグサで、まるで3月のような雪質だ。八の字が終わったところで北條が足が痛いと言い出す。大事をとってジッヘル、グリセードはやらせず、涸沢ヒュッテで休ませてもらうことにした。他のメンバーはジッヘル、グリセードをこなして雪訓終了。涸沢ヒュッテに北條を迎えに行き、小屋の人にお礼を言う。下りは北條も自分の足で歩き、BCへ戻る。

5月31日(火) 小雨のち晴れ
4:40
横尾BC発〜5:50本谷橋着〜7:10涸沢ヒュッテ着〜8:005・6のコル下雪訓場着、ザイルワーク(肩がらみ、腰がらみ、グリップ、スタンディングアックス、FIX)開始〜12:405・6のコル下雪訓場発〜12:50涸沢ヒュッテ着、13:10発〜13:50本谷橋着〜14:40横尾BC着

 夜中から雨が降るが、出発するころには小雨になっていた。北條の足が心配だが、ひとまず公共なしで歩かせてみることにする。本谷橋手前まで行くが、やはり足が痛むそうなので鈴木同伴でBCへ戻す。その間、須田、石垣、船田は先行して雪訓場に向かう。そして涸沢ヒュッテが見えるあたりから雪訓場まで、一気に雪訓ダッシュ。結果は1位船田、2位石垣。石垣はホントにダッシュが遅い。雪訓場に到着し、小雨の中ザイルワーク開始。なんせザイルワークなので、体が温まらずとても寒い。肩がらみをしていると、下から鈴木が上がってきた。肩がらみ、腰がらみ、グリップ、スタンディングアックス、FIXとこなしていく。船田も頑張って練習している。次第に雨も止み、太陽も見えるようになってきた。12:40ザイルワーク終了。鈴木は今日下山のため、一足先に下っていった。涸沢ヒュッテで休憩し、BCへ。この頃には完全に天気が回復しており、汗をかきながら下降していった。BCでは北條がシュラフを干してくれていた。夕食はミートスパゲティーをがっつり食う。

6月1日(水) 晴れ
3:30
横尾BC発〜4:30本谷橋着〜6:00涸沢小屋着〜7:10ザイテングラート下着〜9:00白出のコル着〜10:10奥穂高岳着、10:40発〜12:40白出のコル着、13:00発〜13:30涸沢ヒュッテ着〜14:10本谷橋着〜14:50横尾BC着

 朝テントの外を見ると、満天の星空、快晴である。天佑とはこのことか。3:30にBCを出たため、最初だけヘッデン行動をする。涸沢小屋を過ぎ、ザイテングラート目指して登る。しかしザイテングラートはほとんど雪に埋まっており、夏道が使えたのはごく一部。万が一のため、雪崩を回避できる場所をルートにとる。白出のコルに着くと、西からの風が強く寒い。奥穂高の登りでは夏道の一部が完全に雪に埋まっており、苦労する。10:10、奥穂高登頂。頂上からは富士山も見え、絶景である。実は今日は若林の誕生日。頂上では携帯の電波が届いたので、お祝いの電話をかけてみる。しばらく頂上を満喫し、いざ下降。下りでは万が一に備え、3Pロープを出す。石垣も船田にあれこれ指示を出し、ようやく2年生らしくなってきた。
 白出のコルで休んでいると、頂上のほうからガイドとおぼしき2人組が降りてきた。そしてガイドの方が須田を見て、 「あれ?君どこかで会わなかったっけ?」と。はてさて、誰だろうと考えていると、一昨年の文登研でお世話になった、プロガイドの三浦先生であることが判明!お仕事でお客さんと前穂北尾根を上がってきたそうだ。いろいろと楽しくお話をする。別れ際、石垣がお客さんのピッケルを見て「そのピッケル、本郷君が欲しがってたんですよー。いいですよねー」とかなんとか話してる。こんな石垣の反応を見てその優しいお客さんは、後日そのピッケルを我々に下さったのだ!ありがとうございます!
 そして白出のコルからは一直線に涸沢ヒュッテ目がけて駆け下りる。斜面は傾斜はあるが、雪がグサグサなので歩きやすい。BCには14:50到着。そして16:00ごろ、鳥居コーチがきてくださる。明日は下山ということで、鳥居コーチも一緒に全員で食いつぶしを行う。さらに食後には鳥居コーチの差し入れの河童橋プリンを食べ、とにかく食いまくりの夜であった。

6月2日(木) 曇り
4:40
横尾BC発〜8:252625地点着〜8:45蝶ヶ岳ヒュッテ着〜8:50蝶ヶ岳着〜9:50長堀山着〜12:00徳沢着〜13:00明神着〜13:50上高地バスターミナル着

 北條は鳥居コーチにお願いし、蝶ヶ岳目指して出発。蝶ヶ岳への登りは途中から雪だらけになってしまい、いそいそとピッケルを出す。樹林の中をひたすら登り、2625地点に出る。そこからは稜線歩きだ。右手には穂高連峰が見える。晴れていれば絶景なんだけどなあー。8:50、蝶ヶ岳登頂。徳沢目指して下降開始。
 ここに妖精の池というのがあり、相当メルヘンチックなのか?と思いながら行ってみると、なんでもないただの樹林帯の沼であった。ただ石垣はここで妖精に惑わされてしまったらしく、なんでもないルーファイで渋っていた。ここも雪が多く、2100m付近までは雪がついていた。それ以降はいたって普通の樹林帯の下り。12:00、徳沢に着く。ここから上高地まではひたすら歩く。徳沢まではアプローチが簡単なせいか、普通の観光客らしき人も多い。上高地で鳥居コーチ、北條と合流。沢渡までタクシーで行き、そこから松本までは鳥居コーチの車に乗せていただいた。そして松本で鳥居コーチと別れ、とんかつを食い、高速バスで帰京するのであった。 

全体を通して
 今回は1年生は初めての合宿ということであったが、雪訓ダッシュの頑張りなどは今後を期待させるものであった。ただし食当などの天幕生活においては、反省点が多くあったようである。1年生である以上反省点は出るものだが、大切なのはそれを改善し、次の山行で繰り返さないことである。これを実行できていれば、必ず次のステップへ進めるだろう。
 上級生の大きな反省は、直前になってメンバーの不参加という、計画の変更をしてしまったことである。早見が怪我をしたのは合宿の1週間前であり、十分な注意をしていればもっと早急な対処ができたはずである。メンバーが変われば合宿の内容も変わるものであり、直前での変更は避けなければならない。また雪訓で北條を怪我させてしまったことも上級生の責任である。1年生は雪訓の内容についていくので精一杯であり、自分の体調を完全に把握できない時もある。そんな時のために、上級生はこまめに1年生の状況を観察しなければならない。
 今回の合宿も「奥穂高岳、蝶ヶ岳に登れた成功」ではなく、一番大切なのは今回の問題点を反省、改善し、少しずつ次のステップへ進むことである。そういった地道な努力を積み重ねてこそ、冬の鹿島槍ヶ岳が見えてくるのである。
  最後に、お忙しい中合宿に参加して下さった鳥居コーチ、ありがとうございました。

文責:須田貴志

個人山行

3月22日〜23日 雲取山

4月5日 越沢バットレス

4月10日 越沢バットレス

4月16日〜17日天神尾根〜谷川岳登頂 熊穴沢スキー、白毛門登頂

4月23日〜25日奥多摩新入生歓迎山行&上級生ボッカ訓練

4月30日〜5月4日 GW山行 鹿島槍ヶ岳天狗尾根〜赤岩尾根

4月9日 奥多摩 鷹ノ巣谷遡行

5月14日 丹沢 モミソ沢遡行〜小草平ノ沢下降

5月15日 丹沢 塔ノ岳

5月21日〜22日 谷川岳縦走 蓬峠〜谷川岳

5月21日〜23日 谷川岳 烏帽子奥壁南稜・衝立岩中央稜

6月18日 越沢バットレス お宮のハング レスキュー訓練

6月19日 奥多摩 三頭山 ボッカ訓練

6月25日 丹沢 セドの沢 左俣

6月26日 丹沢 鳥屋待沢 左俣

7月2日 奥多摩 日原川水系 逆川右俣

7月3日 越沢バットレス お宮のハング レスキュー訓練

7月16日〜17日 三つ峠 登攀訓練

7月23日〜24日 北岳バットレス第四尾根

 

<山岳部の合宿山行予定>

 

7月31日〜8月28日 夏合宿 馬場島〜剱岳〜剱沢、剱沢定着  (後半縦走) 剱沢〜薬師岳〜槍ヶ岳〜穂高岳〜上高地

8月下旬or9月上旬 沢合宿 奥秩父 ヌク沢左又遡行〜ナメラ沢下降、釜ノ沢東俣

10月下旬 秋山合宿(未定)

11月下旬 初冬合宿 北アルプス後立山連峰 八方池定着(未定)

12月上旬 富士山訓練合宿(未定)

12月下旬〜1月上旬 鹿島槍ヶ岳天狗尾根〜赤岩尾根

 

 

発行: 日本大学山岳部・桜門山岳会

 

112-0011 東京都文京区千石1−16−9ラリグラス101号

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編集責任者:古野淳

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