桜門山岳会短 131

  平成12年8月31日発行

 [報 告]

「桜門山岳会理事会」

 日 時:平成12年7月25日(火)19002100

 場 所:四ツ谷 ルノアール

 出席者:芝田会長、尾上理事長、高橋(正)、柄沢、中村、岡田、山本(茂)

 「議 事」

 1.「メラ・ピークは登られていない」

   今年3月5日、日本大学山岳部の海外合宿で登頂したメラ・ピークは本当のメラ

  ではなく「ピーク41」と呼ばれる山であるというショッキングな英文のメールが日

  本山岳会の方から届いた。

   英文のメールなので内容を翻訳してみないとわからない。翻訳文を短信に掲載する。

  登頂した山がメラ・ピークなのか、ピーク41なのか、を特定することはネパールの

  井本会員等に現地の情報を収集してもらう等、今後を待ちたい。

   学生が当初の計画で、メラ・ピーク登頂(6476m)を目標にし、登頂したとい

  う事実認識を持つ。

  (この件に関しては松田雄一氏の「メラ・ピーク登頂後日談」を参照されたい)

 2.桜門山岳会の海外登山について

  中村進氏より登山計画「サンルン峰」の概要が発表された。

  サンルン峰はナムチャバルワ峰の山頂から北西へ8.5キロの位置にある稜線上のピ−クで、標高7095m

   サンルン峰は、知られていない「山」、資料は何も無く、登山技術を試される山である。チベットの首都ラサから車で400km,その後キャラバンを60kmほどしなければならず、また4400m以下では氷河が無い人跡未踏の未知の山である。

   人跡未踏の山であるが、今回は偵察隊を出さずに行う。

  この地域は中国で特別環境地区に指定されているので中国登山協会とチベット登山協会の協力を得るつもりである。

   登山隊の名称は:桜門山岳会サンルン登山隊2001としたい。

   隊の編成は10名程度と、隊員は年内には決定したい。

  中村氏の登山計画発表後、種々検討を行い「サンルン登山計画」を桜門山岳会の登山隊として承認したいとの発案があり、理事会として承認し全面的にバックアップすることを決定した。

   今後の問題として、「サンルン峰登山計画書」の作成と会員に対する配布、募金計画案の策定、をすすめ、総会での決議に向け活動することを決定した。

 3.学生・夏山合宿計画について

   夏山合宿は7月25日〜8月2日まで北アルプス剣沢定着と8月3日〜8日まで金木戸川双六谷本谷〜新穂高温泉下山の後半分散を計画している。

  参加者は、CL石川他2年生3名、1年生4名 OB1名の計9名の予定

   1・2年が多く、順調に育ってくれることを期待したい。との報告があった。

 4.秋期天幕懇親会の開催について

    日程は10月21日(土)22日(日)、場所は昨年同様奥多摩の氷川キャンプ場を   予定している。作年は40名を超える参加があったので、今年も昨年以上の参加者があるよう、声を掛けてゆきたい。参加ご案内は別途送付の予定。

  

 

メラ・ピーク登頂後日談

 

  懸案のメラ・ピークでの春山合宿も成功裡に終わり、新年度の初夏の合宿も終わった 6月末のある日、日本山岳会の海外連絡委員会から1通のE−メールが転送されて届いた。

  内容を見ると、ネパール政府が、トレッキング・ピークとして許可している最高峰のメラ・ピーク(6654m)は、実は未踏峰として残されているというショッキングなニュ―スであった。

    発信者はフィンランド・アメリカ合同登山隊の隊長であるPetri Kaipianen氏。

  以下はその内容の要旨である。

   ネパール政府が許可している、Sagamatha山域の、Mera Peak6654m,2746:           27N,865440E)は大変人気のある山で、許可峰になってから22年の間に2000人を超える人が、登頂しているが、これらの登頂者は、いずれもこのピークから約8Kmも南西にある6476mの別の山を間違って登っている。1998年に自分たちの隊は、97年にネパール政府から発行された5万分の1地形図に示された位置をGPSで確認しながら目指したところ、シュナイダーの地図によるP−41という山が、本当のメラだということを確認した。そこで彼等は、この山の西面氷河から頂上をめざしたが、アイスフォールの状態が悪く時間切れのため、断念したので、現在の所、Real Meraは未踏峰として残されているというのである。

  それでは、何故このような問題が起きたのであろうか。従来メラ・ピークは1953年5月に、英国のJOM Robertsが、初登頂したことになっていた。この当時はオーストリアのSchneiderの地図しかなく、その地図には、6476mのピークが、メラ・ピ−クとされていた。その後、Bill Oconnor著:The Trekkinng Peaks of  Nepal

 (1989年Cloudcap社刊)にも、ルート・マップと共に紹介されており、更にネパールで市販されているトレッキング地図にも、6476mピークがメラ・ピークとなっていたため誰も疑いを持たず、NMAのいう6654mは単なる標高の違い位に思い、シェルパ達もこの山をメラ・ピークとして案内していた。しかもネパール政府が許可を出す際の経度、緯度は、1978年の公表以降ずっとこの数字を採用しており、1997年に公刊されたネパール政府測量局の公式5万分の1地形図にもP−41がMeraと印字されている。今回のフィンランド隊が指摘するまで誰も気がつかなかったというのもいかにもネパールらしい。

本件につき在カトマンズの井本会員にネパール側の感触を聞いてもらったが、NMAとしてはノーコメントであったとのこと。万一間違った山に登頂許可書を発行していたとすれば問題になりかねない。時が解決してくれることを待つしかないのかも知れない。

今回編集者の要望でこのような記事を書いたのは、このような問題を究明することが本意ではない。私が云いたいのは、日本の山を登っている限り、緯度や経度など気にして登ることなど考えられない。折角スケールの大きな場所での海外合宿に出かけたのであるからせめて地図をよく見ながら山を歩き、自分の現在地の確認には関心を持って歩き、フィンランド隊が問題提起したようなことを日大隊も気がつくくらい勉強してきて欲しかったか。過去に我が部の先輩達は、グリーンランドや北極において六分儀で天測しながら未知の場所を歩いたことを忘れないで欲しい。

                            松田 雄一 記

 

 

 「ご挨拶」

会長 芝田 稔

  桜門山岳会の皆さんご健勝でしょうか。

 6.7月の理事会において、平成13年度の海外登山は、未踏峰サンルンに決定しました。

  国外へ遠征することは、桜門山岳会の輝かしい経歴ともなり、若い会員の技術・経験の向上、ひいては新人確保のステータスともなると思います。

  厳しい経済情勢の折ですが、出来得る限り、物心両面でのご協力をお願い致します。

 

サンルン計画に寄せて

理事長 尾上 昇

 我が桜門山岳会の主催する海外登山計画が6年振りに実現する。

7月25日に開催された理事会の席上で派遣が正式承認されている2001年のサンルン計画である。6年振りということは、いうまでもない。

 1995年のチョモランマ北東稜以来であるということである。しかし、チョモランマ以後に桜門山岳会の会員が主体となって計画されたり、会員が参加した登山隊は、枚挙にいとまがない。

 登山団体の活性化の度合いは、海外に登山隊を派遣している数に比例するというのが私の持論である。その伝で申せば、いくら会員が活躍しているからといって、この5年間に会から一度も海外に登山隊を派遣していないというのは、実に淋しい。

 海外登山の環境は、かつてと較べてはるかに整っている。桜門山岳会の実力から申せば、ライトエクスペディションであれば、毎年の派遣も不可能ではない。そしてこの積み重ねがいつの日にか重厚な計画として芽吹いていくのである。

 幸いに今回のサンルン計画は、会の中堅及び若手層が立案、企画している。これを契機に桜門山岳会の海外登山の派遣に火が付いてくれる事を願って止まない。後に続く人達の奮起を大いに期待している。

 

未知への魅力(サンルンの登山について)

                             中村 進(S43年卒)

 登山者は山に魅せられ、心を駆り立てられ、さまざまな登山を行ってきました。

最初の8千メートル峰、アンナプルナがフランス隊によって登られたのは丁度50年前のことですが、当時、すでにイギリス隊がエベレストを8500m以上の高度まで登っていました。

従って、目標はあくまで8000m峰のピークハンティングにあったようです。

 しかし、フランス隊を駆り立てたのはアンナプルナが人跡未踏の山であったことを見逃せません。

 彼らは、半世紀前にあって、偵察隊も派遣せず、初めて向かった未知の領域にルートを探り、失敗を繰り返しながらも、1回の遠征で登頂に成功したのでした。

 それは彼らの実力が成せた業であり、現代においても驚嘆に値しますが、私などは何と面白い登山なのか、と思っています。

 さて、今回計画しましたサンルンは地球に残された数少ない7000m未踏峰の一つです。そして、未踏の頂きに立つことが今回の大きな目標ですが、ルート図も資料も皆無の山です。

アンナプルナに負けない興味深い登山が出来るのではないかと期待しています。

 特に、未知の山は若い人たちが勇気を示す最高の場所であり、新たなステップへの扉となるでしょう。

 一人一人が未知の山と自らの心眼を開いて向かい合えれば、より実りの大きな体験となるでしょう。

興味ある人の参加を期待しています。

 

サンルン峰(7095m)登山隊にエールをおくる

                            高橋 正彦(S37年卒)

 桜門山岳会も95年のエベレストより、久しく登山隊を出さず、今日に至っているが、ようやく中村進君(S43年卒)が産声を上げてくれた。

 まだ、影も形もないが、これから会員で育て上げたいと願っている。

いみじくも山岳会と名がつく以上は山に登らない事には山岳会ではない。誰が参加するか、気象条件は、許可は、形態をどうするか、個人負担金は、寄付は必要か、やる事はたくさんある。会員の意見も集約しなければならない。

 目標の山は、JACがやったナムチェバルワ峰(7782m)の東方10km程にあり、

人跡未踏で、登攀ルートも現地で判断しなくてはならない。そういう意味で、今だに地球上にこのような地域に入れることすら稀有であり、今の中村君の実力からすれば気心知れたJACの仲間とやるのが手取り早いかもしれないが、日大でやろうと言ってきてくれたことに感謝している。

 

サンルン峰計画

                            岡田 貞夫(S47年卒)

 久々に若い人達の意欲的参加が感じられる計画に、大いに期待している一人として、チョットだけアドバイスを。

 参加を希望する人たちへ:参加資金は自分で造ることとトレーニングを怠らないこと。

高所登山への対策は、走って、走って、走り込むのが一番です。

 登山隊を送り出す側へ:盛り上げようとするあまり、組織を造りたがる。なんとか委員会だとか、なんとか委員長だとか。

 口を出さずに、資金援助に心がけたい。

 

サンルン峰登山にむけて

                         山本 茂久(H4年卒)

「誰も見たことが無い、写真すらも無いルートの山登り」という言葉は今の自分にはとても魅力的に聞こえる。

こういう山に登るには、技術や体力だけに僱らない、バランスのとれた力が必要だと思うが、それは山岳部4年間とそれから9年間続けてきた自分の山登りの延長線上あるものだと思うからだ。

 2年前に参加したカンチェンジュンガ北壁は、とても楽しい雰囲気の登山だった。3ケ月間、山好きな仲間とその山を登ることだけを考えていられる、という幸せな時間を今度は同じ山岳部の仲間と過ごせたらいいな、と思っている。そして今度はみんなで頂上に立ちたい。

 今現在は状況的に絶対参加出来るとはいえないが、整理をつけてなんとか参加したいと思う。

 

 

カンリーガルポ山群踏査計画

                       池田 錦重(S36年卒)

 最近、今年はどこに行くのですかとよく云われる。この秋はカンリーガルポですと答えると、たいていの人は、その山群がヒマラヤかチベットの何処にあるか分からないで変な顔をしている。それほど知られていない山群である。

 この山群を、ヒマラヤの東の一角と呼んでよいかどうかわからないが、ヒマラヤ山脈が西のインダス川から東のガンジス川の上流ヤルツァンポーで終わるとするなら、その東に東西に長さ260km、南北に巾60kmの規模で、日本アルプスに比較すると、北アルプスが日本海の親不知にはじまり、乗鞍岳の南の野麦峠まで約110kmと比べるとかなりスケールの大きな山岳群である。さらにその東には横断山脈があり、南北では南にマクマホンラインを越えシッキムと国境を接し、北は東流するヤルツァンポー川を挟んで念青唐古拉山脈がある。ヒマラヤ山脈はヤルツァンポーの大屈曲部に聳えるナムチェバルワ峰を越えると高度を落とし6千メートル台におちるが、いまなお登山者の目からはずれた山群である。そこがカンリーガルポ山群である。

 この山群の最高峰は中国では若尼峰6610mと呼んでおり、ロシアの地図では6805mとなっている。この山群は未知なる魅力と、この山々が抱えている氷河にあるといえる。

 ベンガル湾からの湿潤な南西季節風の影響を受け、この山群に大量の降雪がもたらされ、特徴ある大きな氷河を発達させている。私達の向かうこの山域には2440mの森林地帯まで押し出しているアザ氷河があり、この隣にはチベット第一の大きさを誇るライグ氷河がある。さらにこの隣にはチベット最大の氷漠を持つミドゥイ氷河があります。こうしたこの地域の探検の歴史は古く、1882年英領のインド測量局のバンデットの一人A―K

がこの地域のアタカン・ラを北に抜け、さらに1933年には英国植物学者キングドン ウォードが同じルートを最高峰を見ながら南から北に抜けている。そして、新中国になってから、1973年から中国科学院の氷河調査隊が入り、この山群の氷河地形を明らかにしている。

 最近では昨年「ヒマラヤの東」の著書中村保氏が入り曲尺からアザ氷河と最高峰とライグ氷河の源流の山々を写真で紹介しているが、いまなおこれらの氷河の中には踏み込んでおらず未踏の山群として残されている。

 私達はまずラサから然烏(ラウー)に入り、これから向かう三大氷河のライグ氷河の舌端のライグ部落にベースを置き、夏の間だけ南の農作地帯と北の放牧地帯と交流のあるアタカン・ラ峠(4610m)から5337mの無名峰に登り北東のゲニ峰の山群を望み、ここで順化行動のあと、アザ氷河に入りこのカンリーガルポの最高峰ルオニ峰(6610m)の偵察をしながらこの氷河の源流をつめ5500mのコルで両側に聳える6000m峰をねらいライグ氷河に降り、4400mでサポート隊と会ったあと、この氷河をつめ5500mのコルにキャンプして、このコルの西側に聳える無名峰6585mの登頂を目指し、このあとミドゥイ氷河に降り、最大の難所標高700m、勾配45度の氷漠を下降する計画であります。

 この下降ははなはだ危険と困難をともなうと思いますが、この旅が成功すれば、素晴らしい体験と意味をもつことになります。

 隊の名称:シルバータートル・カンリーガルポ山群踏査隊

 場 所:中国西蔵自治区八宿県

 期 間:2000年10月11日〜11月16日(37日間)

 隊構成:隊長・池田錦重 隊員:6名 中国隊員:3名(通訳含む)コック:1名

 

「会員の近況」

 [訃 報]

森下吉雄氏(経23)平成12年6月25日、逝去されました。

          謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

          尚、告別式には石坂氏、北村氏、芝田氏が御見送りを致しました。

 

 第1回信州上田近郊の里山歩き

 期 日:平成12年5月20日(土)〜21日(日)

 参加者:桜門山岳会関係

     山本(晃)、橋本(隆)、安田(敬)、深瀬、宮原、中嶋、下崎、安田(八)、

     齋藤(隆)、青木、高山、金坂夫人他2名、西田夫人他2名、神崎スクール10名とOB夫人他多数参加

  宮原社長のヒマラヤ観光の威力を発揮しての集人力を感じさせられ、遠くは北海道

 や、関西方面から追っかけオバさんが多数参加されました。

  参加者も200名目標にあと一歩の190名位集まりましたが、そのお陰で番頭もどき34年卒の仲間は慌ただしく、宮原さんは第二回目も来年やる気十分のようですが、正直なところ番頭はもう御免という心境です。

  ともかく、無事終了、肩の荷がおりました。

                        中嶋 啓 記(S34年卒)

故金坂先輩宅での食事会

 日 時:平成12年7月11日(火)

 出席者:金坂夫人、冬樹(長男)、春樹(次男)とその家族

     松田、熊谷、深瀬、中嶋、赤井、池田、高橋、小栗、(OB8名)

金坂先輩が1986年7月19日に亡くなられてから、毎年この時期に金坂先輩宅で懇意にしていただいた仲間がお招き戴き、金坂さんの写真を前に楽しく食事をしてくださいといった主旨だと私は勝手に理解している。

遺稿集を出版するときも、追悼的なものは一切排除されたし、そういう意味で無口だった金坂先輩は生きているのです。それが金坂さんやご遺族の意向だと考えています。

奥さんもお元気で、5月には宮原先輩が主催した「信州上田市近郊の里山歩き」にも参加されました。

金坂先輩は怖い先輩だから、よく勉強して、迂闊なことは言ってはいけないよと諸先輩から忠告されましたが、私は出来が悪すぎたのか、いつもニコニコというか、金坂さん独特の照れ笑いの渋いお顔で、しかも同じ目線で山、友情、恋愛、ゴルフと山ばかりではなく、人生そのものをお話しいただきました。そんなアットホームな家が金坂さん宅です。

                         高橋 正彦 記(S37年卒)

 

故中山昌之君をしのぶ会

日 時:平成12年7月20日(木)

場 所:墓参り後、大洗駅前寿々翔にて

参加者:中山夫人、中島、高橋(正)、柴田、戸倉、平戸、古畑、半谷夫妻、川上、

高沢、岡田夫妻、宗方、村木、以上15名

故中山君はマッターホルンの北壁をも登ったクライマーと同時に無類の読書家でもあった。その蔵書を山岳部に寄贈したいとの奥さんより連絡あり、本を取りに行くだけでは味気ないので「しのぶ会」にすることにし連絡したら、近郷近在から上記のメンバーが集まった。これも故中山君の人柄だと思う。

遺族は奥さんと高2の雄平君の2人だけだが、経済的な心配はないが、大黒柱がいなくなった自宅は何となく寂しく、泣いてテーブルを飛び回っていた愛犬もすっかりおとなしくなってしまった。

これからも仲間内で家族を励まそうということで散会した。

                            高橋 正彦記

 

J&B(ジャック アンド ベティ)と桜門山岳会

J&Bは神崎君が主唱している中高年女性を対象とした健康登山のクラブ名です。

この方々は95年のエベレスト登山以来、郵便物の発送から送迎会の会場設定、受付等の下働きを、主婦業の傍らまさに献身的にご協力いただいたことを私は忘れない。

その後も桜門山岳会の総会、理事会等も経費節減からJ&Bのつてで都体育館のルームを借りるのに世話になっております。

たまに集会に出席する方々には説明不足もあったことと、何故外部の力を借りなくてはならないのかとの懸念されることもお察しいたしますが、現実は若手OBの減少と勤務時間の多様化から、サラリーマンは5時以降は都合がつくという図式ではありません。昨今の社会情勢の変化と諸般事情、ご賢察の上、ご理解いただきたくお願い申し上げます。

高橋 正彦記

 

北鎌会第8回郷愁懇親会山行報告

 上高地の群発地震や集中豪雨による土砂崩れ等のため一昨年からのびのびになっていた

標記親睦山行を、お盆過ぎの上高地日本山岳会研究所において開催したので、報告します。

日 時:平成12年8月23日(水)〜25日(金)

参加者:田中(昇)、新田、素木、松田、山口(靖)、山本(晃)、安田(敬)、中嶋夫妻

                                以上9名

 今回は、参加予定者の都合がつかず、当初予定した人数より、大分少なくなったが、好天に恵まれ、24日には奥又のケルン詣でを行った他、各自思い思いに西穂、乗鞍、焼岳

などに出かけて初秋の上高地を楽しんだ。             世話人:山口精二

 

「日本大学山岳部合宿計画及び報告」

 [初夏合宿計画]

 北アルプス穂高連峰涸沢定着

 期 間:平成12年6月14日(水)〜6月20日(日)

 メンバー:CL石川(4年)、SL鳥居(2年)、原澤(2年)、加納(2年)

      門田(1年)、伊藤(1年)、松冨(1年)、OB本多(コーチ)

  「日 程」

6月13日(火)離京 2350新宿発 急行アルプス

   14日(水)入山(上高地〜涸沢BC)   15日(木)雪渓訓練

   16日(金)登攀(奥穂高岳)   17日(土)予備日(OB 本多下山)

   18日(日)後半分散(槍ケ岳)(石川、門田、下山) 19日(月)後半分散

   20日(火)予備日

 [初夏合宿報告]

 6月14日(水)雨〜曇  上高地〜徳沢〜横尾〜涸沢  

   雪が多く本谷橋過ぎから雪が出てくる。幕営後石川、鳥居で雪訓場偵察。

   15日(木)晴・雪訓 涸沢〜雪訓場〜涸沢  5・6のコルは朝、日が当た

   おらず、凍っていたので3・4のコルを雪訓場とする。

   16日(金)晴・奥穂高岳登頂  涸沢〜白出のコル〜奥穂高岳山頂〜涸沢

 「後半分散報告」

 期 間:平成12年6月17日〜18日

 場 所:北アルプス南部  涸沢〜槍ケ岳

 メンバー:L鳥居、SL原澤、加納、伊藤、松冨

   17日(土)曇〜雨  涸沢〜横尾〜殺生ヒュッテ

   18日(日)     殺生ヒュッテ〜槍ケ岳〜上高地

  今年度新体制になってからの初の合宿を無事終了する事が出来た。梅雨のこの時期に

 予定通り頂上を踏めた事は一年生にとっても良い思い出となったことだろう。

 [夏山合宿計画]

 @北アルプス剣沢定着

 期 間:平成12年7月25日(火)〜8月8日(水)

 メンバー:L石川(4年)、SL鳥居(2年)、原澤(2年)、加納(2年)

      門田(1年)、伊藤(1年)、松冨(1年)、佐藤(1年)、OB 千葉

 「日 程」

早月隊              ボッカ隊 

7月24日(月)離京 急行能登2354 上野

  25日(火)馬場島〜早月小屋CS       離京 高速バス2230 新宿

  26日(水)早月小屋CS〜剣沢CS      室堂〜別山乗越〜剣沢BC

  27日(木)SP(BC整理、偵察、2年生ザイルワーク) OB千葉入山

  28日(金)分散登攀

  29日(土)雪上訓練

  30日(日)雪上訓練  OB千葉下山

  31日(月)分散登攀

8月 1日(火)分散登攀

   2日(水)SP

   3日(木)後半分散(双六谷へ)

 A後半分散計画

  期 間:平成12年8月3日(木)〜8月8日(火)

  場 所:金木戸川双六谷本谷

8月 3日(木)剣沢BC〜室堂〜富山駅〜奥飛騨温泉口駅〜双六谷〜打込谷出合CS

   4日(金)打込谷出合CS〜蓮華谷出合CS

   5日(土)蓮華谷CS〜双六小屋CS

   6日(日)双六小屋CS〜新穂高温泉 下山

   7日(月)SP 8日(火)SP

 

「編集後記」

 残暑お見舞い申し上げます。桜門山岳会の皆様、日大山岳部の学生諸君も夏山を満喫されたことでしょう。

131号は突然、メラ・ピークに関するショッキングなニュースが入って来ました件。

又、桜門山岳会の海外計画が具体化した件。10月には池田錦重氏がカンリーガルポ山への計画、を中心に掲載いたしました。桜門山岳会会員は益々活発に活動しています。

日本大学理工学部 4号館3階431-A 平山研究室内 桜門山岳会事務局

101‐0062東京都千代田区神田駿河台1−8‐14  TEL、FAX:03-3259-0703

発行責任者 尾上 昇   編集者 柄澤洋城

 

 

 

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