日本大学山岳部ザンスカール遠征隊2019

登山報告書

 

NIHON UNIVERSITY ZANSKAR EXPEDITION 2019

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NIHON UNIVERSITY ALPINE CLUB

               SINCE 1924

<隊の名称>

 日本大学山岳部ザンスカール登山隊2019

NIHON UNIVERSITY ZANSKAR EXPEDITION 2019

 

<目的>

インド・ザンスカール山脈の未踏峰 G206,060mおよびG255,840

初登頂

 

<隊の構成>

登山隊長1名、隊員4名(学生4名、OB 1名)

現地スタッフ:ガイド1名、コック1名、キッチンボーイ2名、馬方2名、馬12

 

<期  間>  201985日(月)〜828日(水)

 

<行動概要>

 85日   日本(成田)〜デリー           :空路

 86日  IMF 訪問

 87日  デリー〜レー               :空路

 88日  レーにて高所順応

89日  レーにて高所順応

 810日  レー〜カルゾク               :車両による陸路

 811日  カルゾク〜ダルチャ手前3800m地点    :車両による陸路

 812日  ダルチャ手前3800m地点〜ゴンボラジョン :徒歩によるキャラバン開始

 813日  ゴンボラジョン〜タンソ村

 814日  タンソ村 レスト

 815日  タンソ村〜レナック谷L4峰付近      :トレッキング開始

 816日  レナック谷L4峰付近〜L14L15視察〜レナック谷L4峰付近

 817   レナック谷L4峰付近〜タンソ村

 818日  タンソ村 レスト

 819日  タンソ村〜ギアブル谷G19峰付近

 820日  ギアブル谷G19峰付近〜サチトクポ出合〜ギアブル谷G19峰付近

 821日  ギアブル谷G19峰付近〜スキン村      :バックキャラバン開始

 822日  スキン村〜ラカン・スムドー

 823日  ラカン・スムドー〜シンゴ・ラ過ぎ4300m地点

824日  シンゴ・ラ過ぎ4300m地点〜ザンスカール・スムドー

825日  ザンスカール・スムドー〜サーチェ過ぎ4400m地点:陸路による車両移動  

826日  サーチェ過ぎ4400m地点〜レー      :陸路による車両移動

827日  レー〜(IMF訪問)〜デリー発       :空路

828日  成田着

 

<参加隊員>

隊長・渉外・会計   川村 洸斗 Hiroto Kawamura  男(21歳) 

生産工学部 4年      住所:東京都足立区

 

装備・食糧      福島 端流 Haru Fukushima   男(21歳) 

文理学部 4年        住所:東京都府中市 

 

食糧・医療      前田 雄飛 Yuhi Maeda        男(22歳) 

法学部 3年           住所:東京都文京区

 

医療・渉外      村上 洋道 Yoji Murakami     男(21歳) 

生産工学部 3年          住所:神奈川県茅ヶ崎市

 

OB参加        横山 裕 Yutaka Yokoyama   男(29歳) 

文理学部 卒業           住所:東京都目黒区 

 

現地ガイド      ツェワン・ヤンペル(HIDDEN HIMALAYA)  40

 

<現地旅行会社>  HIDDEN HIMALAYA

 Shop no21 Hemis Complex,Zangsti,Upper Tukcha Road Leh Ladakh

   J&K INDIA ZIP code:194101

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<ザンスカール概念図>

 

 

<トレッキング周辺図>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<行動報告>

85日   日本(成田)〜デリー

 早朝3時半に大谷監督と部室で合流し、川村と2人で隊の荷物を積み込み車で成

田空港へ向かう。前夜は緊張と不安でよく寝付けなかった。5時過ぎに成田空港に

到着する。他の隊員も各自始発で続々と集合する。こんなに朝早くなのに1年生部

員の相澤と小口が見送りに来てくれた。両名とも夏山合宿を頑張って貰いたい。

 

チェックインの前に全員分の預けるザックとダッフルバックの重量を調整する。

重さは問題ないがサイズが少しオーバーしているものがあり、ちゃんとチェック

イン出来るのか不安になる。いざカウンターに行くと特に問題なく預けること

が出来た。手荷物は重さを多少オーバーしていたが無事に通過することができ、

Tシャツにトレッキングパンツ、サンダルというラフな格好で飛行機に乗り込ん

だ。機内では各座席に取り付けてあるモニターが壊れていて映画等を見ることが

出来なかったことや朝が早かったので、終始寝ていた。

 

8時間のフライトを終えデリーに降り立った。デリーは運悪く雨で湿度が高く

気温も高いのでじめじめしており気分が悪くなる。今回、登山隊の現地旅行代

理店であるHidden Himalayaに手配して頂いたタクシーに乗り込みデリー市内

のホテルに無事に到着する。ホテルでIMF(インド登山協会)からのメールを

受信するが内容の意味がよくわからず明日確認することにする。夕食はホテルの

人に教えて頂いたお店に行った。バターチキンカレーが凄く美味しかった。

 

86日 デリー〜IMF 訪問

 昼頃までホテルでのんびりし午後2時にIMFへと向かう。手配したタクシードラ

イバーがIMFの場所が分からず道に迷い少々時間がかかったが何とかIMFに到着す

る。到着早々何やら不穏な空気を察する。まさか登れないことはないだろうと思い

つつ話を聞いてみるが政府からの指示で我が隊の登山許可を取り消したと告げられ

る。マナリ付近にも未踏峰があるからそっちに転進してはどうだと薦められる。

 

最初言っている意味が全く理解できず一瞬頭が真っ白になる。何やら昨日飛行機

に乗っている間にインドで政治的な大きな出来事があったらしい。いきなりイン

ド政治の話をされても到底理解することは出来ず、一先ずその場でHidden Himalaya

の上甲さんに電話し事情を説明して代わりに対応をして頂く。Hidden Himalaya

IMFの話し合いは約3時間にも及ぶが結果としてIMF側の判断は変わらず明日

からの日程を上甲さんと話し合う。許可が取り消されたにしろこのままデリーに

居ても意味がなくカルチャーショックから精神的にも辛いのでとりあえず、計画

通り明日の朝一でレーに移動することを決めIMFを後にした。夕食後ホテルに戻

るが考えることが多すぎてよく眠れぬ夜となった。

 

87日  デリー〜レー

 早朝2時に起床し空港に向かう。全員問題なく搭乗手続きを終え空港内で朝食を摂る。

少し空港で暇を潰し飛行機に乗り込む。離陸とともに寝不足からかずっと寝ていた。

1時間程でレーに到着する。空から見る山並みはとても格好良かった。預け荷物を問

題なく受け取りゲートにてガイドのツェワンさんと合流する。これから先の事への不

安のせいか初対面なのに何か凄く安心した。

 

 手配して頂いた車に乗り込みレー市内のホテルに向かう。チェックイン後一息

ついて全員でHidden Himalayaの事務所を訪ねる。上甲さんにご挨拶をし、今回の

一件について説明して頂く。話を聞くところによると、85日にインド政府がジャン

ムー・カシミール州に大きな自治権を与えていた憲法370条を廃止したと発表した。

そこでカシミールの領有権を巡って対立していたパキスタンが強く反発し両国関係

が悪化した。それを受けて治安が悪化しインド内務省の通達により当該州全域での登

山が禁止になったらしい。だが、実際として治安が悪化しているのはジャンムー・カ

シミール州の西側のみで東側に位置するザンスカールはいつもと変わらず平穏みたいだ。

 

現状この制限が緩和される見込みは薄くこれからの行動について考える。計画では

レーでの順応期間が2日間あるのでギリギリまでIMFへの交渉をツェワンさんにして

頂く。一先ず計画通りに行動することを伝え事務所を後にし、ツェワンさんの案内

で昼食にチベット料理を食べに行く。春巻きがとても美味しかった。帰りにミネラル

ウォーターを買いホテルに戻り一度に色々と起こりすぎて混乱していた頭の中を整理

する。これからの行動について色々なパターンを想定し頭をフル回転させる。だが、

そんな中で夜に川村が下痢になる。

 

88日  レーにて高所順応

 朝、腹痛で目覚める。川村は下痢が治らないので他4名で順応を兼ねたゴンパ巡りに

向かう。高度のせいか沢山のゴンパを巡るのは体力的に辛かったみたいだ。一人ホテ

ルでこれからの事、今回の遠征の目的等の事と色々考え直す。観光が終わり全員で

Hidden Himalayaを訪ねる。そこで上甲さんから815日のインド独立記念日に何も

なければ制限が緩和される可能性があると告げられる。だが、1日考えた結果この遠征

は初めて見る未踏峰でルートを自力で探り挑戦するというのが自分の中で根底にあり、

それを実現したく隊を発足させ1年間準備をしてきたのである。来年度以降のために

も偵察を兼ねたトレッキングに行った方がいいというのは理解しているつもりだが個人

的には気が進まない。上甲さんには少し時間を頂き一旦隊員全員で話し合うためホテルに戻る。

 

 ホテルでの話し合いで、再度根底にある目的について、自分が今考えている事につい

て伝える。それぞれ意見を聞くと他の隊員には1人も帰国するという意志はない。話し

合いの結果計画通り行動し期間中に制限が解除されればそのまま未踏峰を目指すことにする。

その日の夜に大谷監督と上甲さんに明日からの行動を伝え夕食後就寝した。

 

89日  レーにて高所順応

 今日でレー最終日である。相変わらず川村は下痢が良くならないのでホテルで待機とし

昨日同様に4名で観光に出掛ける。前日とは違い少しは順応したのかさほど辛くはなかった

らしい。今日も観光が終わり次第Hidden Himalayaを訪ねる。明日からの行動開始に備え

て装備の打ち合わせを行う。昼ご飯は観光に行った学生3名はなにやら生野菜を食べたらしい。

昨日の話し合いで帰国しないと決めたばっかりなのにこの行動は理解が出来なかった。

 

 

810日  レー〜カルゾク4500m(車両移動)

レー 0730〜カルゾック着 1530

 デリーより過ごしやすかったレーを離れザンスカールに向けて出発する。ここからカルゾク

まで8時間のドライブである。車内は狭く辛いと予想していたがそんなこともなく快適にんで

いく。途中休憩でチャイを飲んだり、温泉などを見に行ったりとゆっくり進んでいく。インダ

ス河沿いを走っていくとツォ・モリリという大きな湖に辿り着く。その脇が今日のキャンプ地

である。到着した瞬間、土砂降りの雨になる。雨の中テントを設営していると雨が上がり夕食

まで時間があるので野球をして時間を潰した。

 

811日  カルゾク〜ダルチャ手前3800m地点(車両移動)

カルゾク07:30〜ダルチャ手前3800m地点 17:30

 朝起きると前田が酷い頭痛を訴える。朝食も満足に食べられないぐらい辛いみたいだ。バフ

ァリンを飲ませ様子を見る。晴天の中撤収を済ませ出発する。今日は10時間ほどの行動になる

みたいだ。途中5000mの峠を越えたが全員体調不良を訴えることなく通過する。予定ではダル

チャ(3308m)より先のタクパチャン(3930m)まで行く予定だったが予想より時間がかかり手前

で天幕地を見つけ泊まった。目の前に格好いい山がありとてもいい場所であった。

 

812日  ダルチャ手前3800m地点〜ゴンボラジョン4345m(車両移動〜徒歩)

ダルチャ手前3800m地点 08:00〜ゴンボラジョン 17:00

 今日はシンゴ・ラまで車で行き23時間歩いてゴンボラジョンまで行く。青空の中出発する

とすぐにダルチャに到着する。そこで小休止し買い出しを済ませる。ゴミが散乱しているのが

目立っていた。5045mのシンゴ・ラまで一気に上がる。高山病が心配だった前田も体調不良は

ないみたいだ。そこで馬方と馬と合流し馬に荷物を積み直し一緒にゆっくりと歩いていく。意

識的にゆっくりゆっくりと歩いていたせいか当初の予定の3時間程では着かず5時間程かかっ

てしまった。前田は体力的に疲れたみたいだ。今日の天幕地はゴンボラジョンという岩峰の麓

にある。切り立った壁でとても格好良かった。

 

813日  ゴンボラジョン〜タンソ村 4045m

ゴンボラジョン 08:00〜タンソ村 14:00

 朝曇天の中を出発する。今日はギアブル谷とレナック谷の出合にあるタンソ村まで歩く。6

7時間の道のりだ。出発してからすぐに大きな川があり靴を脱いで渡渉する。気温もさほど低く

はないというのに冷たいというか痛かった。途中紫外線の影響を考えず半袖になっていた福島

を注意する。2時間程歩くとカルギャック(4042m)という村に着く。傍に川が流れるのどかな村

だった。スキン村(4035m)を越えて予定よりも早く5時間程でタンソ村に到着した。

 

 少し休憩した後に明日からの行動を少々、横山コーチと川村で話し合う。このまま予定通り

BCに入るか、それとも許可が正式に出てからにするか迷った。その後、川村とツェワンさんで

打ち合わせをし、明日14日はレストし15日からレナック谷へトレッキングに向かうことにした。

その間ツェワンさんには車にてパダムまで行って頂きIMFからの最終結論を聞き17日にタンソ

村で合流するという計画に決定した。この話し合いの間、他の学生3人で村の学校にお土産を持

って遊びに行っていたみたいだ。夜にかけて多くの子供たちがテントに遊びに来ていた。

 

814日  タンソ村 レスト

 朝からゆっくりと過ごす。各自それぞれ音楽を聴いたり昼寝をしたり本を読んだりと思い思い

の時間を過ごす。時間がゆっくりと流れていく。夕方、学校が終わったのか子供たちが続々と集

まってきた。静かだった天幕地が一気に賑やかになった。ヘルメット等の普段見慣れないであろ

う装備に興味津々な様子が印象的だった。

 

815日  タンソ村〜レナック谷L4峰付近 4578m

タンソ村 08:00〜レナック谷L4峰付近 12:00

 いよいよトレッキングがスタートする。アップダウンが少ない道をゆっくりと周りの山々を眺

めながら進んでいく。途中、馬やヤクがいたりとなんとものどかである。3時間程歩くともう天幕

地に着いてしまった。この日中にもっと奥へのトレッキングも可能であったが急ぐことでもないの

で予定通り明日に繰り越してまたのんびりと過ごす。トランプぐらいしかやる事がなく暇を持て余

した。

 

816日  レナック谷L4峰付近〜L14L15峰の視察〜レナック谷L4付近

レナック谷L4峰付近 08:00L14L15峰視察〜レナック谷L4峰付近 12:00

 パダムへと向かうツェワンさんと別れL14L15峰を目指し出発する。道中に見える山の殆どが

未踏峰でどこからアタックを仕掛けるか等を話し合いながら進んでいく。隊員の中には周りの山々

には目もくれず黙々と歩いている者も多数いて意識に温度差があると感じる。

 

L15峰が見えてきた。この山は過去に学習院が初登頂した綺麗な三角形の格好いい山である。自

分もチャレンジしたいがぐっとこらえる。視察最終地点(4806m)までの最後のガレ場の登りで村

上がバテているのが気になった。

 

 

817   レナック谷L4峰付近〜タンソ村

レナック谷L4峰付近 13:00〜タンソ村 14:30

 朝起きると雨が降っていて出発を遅らせる。昼近くになると雨もあがり太陽が出てきた。今だ

と言わんばかりに急いで準備を済ませタンソ村まで戻る。だが、歩いているうちに段々と雲行き

が怪しくなってきて雨が降る。風もあり非常に寒い。村に近づくにつれ今度は青空が広がってき

て暑くなってきた。休憩中に徐に野球などをしながらまったりと村へ向かう。行きとは違い今度

はロバを見かけた。

 

 村に着くとすぐに子供たちが群がった来た。また賑やかな時間が夕食前まで続いた。ツェワン

さんの帰りを待っていたが戻りが遅く許可が気になり落ち着かない。夜も遅くなったので予定を

変更し急遽明日はレストと決め就寝した。

 

818日  タンソ村 レスト

 朝、テントにツェワンさんが来られた。昨日は夜22時に到着したらしい。外に出ると一面真っ

白で村の上の方には多くのヤクが集まっていた。昨日からの悪天候でパダム〜タンソ村までの

道の状態が悪くなり時間が掛かったみたいだ。

 

 登山許可についての本題に入る。結果としては独立記念日を越えても制限が緩和されることは

なく許可が出ないことを告げられる。覚悟は決めていたつもりだったがショックの大きさは計り

知れない。このままトレッカーで終わりたくなくクライマーであり続けたかった。至急ツェワン

さんに明日からの行動を相談する。計画にあるナムカトクポには入らずギアブル谷の奥まで行く

ことを決定した。

 

 この日もテントに子供たちが遊びに来て賑やかになるがただでさえゆっくりと感じる時間の流

れが更に遅く感じる1日だった。

 

819日  タンソ村〜ギアブル谷G19峰付近 4333m

タンソ村 08:00〜ギアブル谷G19峰付近 13:00

 曇天の中出発する。序盤は快適に歩いていたが徐々に天気が崩れ始め雨が降ってくる。気持ち

的にもテンションが下がり不快でしかない。これ以上進むと雪が降っている可能性があり丁度良

く水が綺麗な場所があったのでそこを天幕地する。雨の中後から来る馬を待つ。夕方には雨が上

がり夕日が非常に綺麗であった。夜には雲一つない快晴になり満天の星空となった。

 

 

 

820日  ギアブル谷G19付近〜サチトクポ出合(4404m)〜ギアブル谷G19峰付近

ギアブル谷G19峰付近 08:00〜サチトクポ出合〜ギアブル谷G19峰付近 12:30

 久しぶりの快晴の中出発する。出発してすぐに不安定な橋を渡る。その後は快適な道を進んで

いく。昨日の雪のせいか、どの山も山頂付近に雪がかかり陽の光に輝き綺麗である。殆どが未踏

峰なのでアタックのルートを想像しながら歩いていく。サチトクポの出合で引き返し天幕地に戻

る。昼にはテントに戻りまったりと過ごす。今日の夜も満天の星空で天の川がよく見え流れ星も

見ることが出来た。

 

821日  ギアブル谷G19峰付近〜スキン村 4035m

ギアブル谷G19峰付近 08:00〜スキン村 12:30

 今日でトレッキングを終え、バックキャラバンに入る。青空の中快適に来た道を歩いていく。

ナムカトクポの出合で目標にしていた山の1つであるG25峰が見える。写真で見たよりも雪が

付いていて非常に格好良い。今すぐにでも突っ込みたい衝動に駆られるがその気持ちを必死に

食い止める。他の隊員はこの山を見て今どう思ったのだろうか。途中タンソ村を通る。いつも

元気な子供たちは授業中で村は静かであった。村を出る際には学校の窓から手を振ってくれた。

 

 今回の天幕地はスキン村でタンソ村からすぐである。昼過ぎには到着し天気もいいので近く

の岩でボルダリングを楽しんだ。パダム方面からトレッキングしてきた多くのフランス人の方

々に声をかけて頂いた。その日の夜に先日の悪天候の影響で土砂が崩れ、シンゴ・ラまでしか

車が入らないらしい。峠から6時間程の距離のザンスカール・スムドー(4057m)まで歩くことに

なった。

 

822日  スキン村〜ラカン・スムドー 4482m

スキン村 08:00〜ラカン・スムドー 14:30

 当初の予定では行きと同じでゴンボラジョンに天幕する予定であったがシンゴ・ラから更に

歩くことになったので、のちの負担を減らすべくラカン・スムドーまで歩くことにする。全員

黙々と6時間程歩いた。今日は特に目立った出来事がない1日だった。ここから見える未踏峰が

一番格好良く、好きだった。

 

823日  ラカン・スムドー〜シンゴ・ラ過ぎ4300m地点

ラカン・スムドー 08:00〜シンゴ・ラ過ぎ4300m地点 13:30

 朝起きると川村の体調がすこぶる悪い。だが、レストを挟むと頼んでいた車に間に合わない

ので薬を飲みながらゆっくり進んでいく。シンゴ・ラまでの登りでは数歩歩いては止まって嗚

咽しまた歩き出すといった繰り返しである。やっとの思いで峠に到着するが急激に天気が悪く

なり吹雪いてくる。遅れ気味だった川村もゆっくり歩いていると寒いので必死に付いていく。

標高が下がっていくにつれ天気も安定していきあとはひたすら車道歩きである。シンゴ・ラか

 3時間程歩いたところで天幕地に到着する。

 

 川村は相変わらず体調が良くなく日本から持ってきていたにゅう麺や雑炊を食べ様子を見た。

夜も咳が止まらず眠れない夜であった。

 

824日  シンゴ・ラ過ぎ4300m地点〜ザンスカール・スムドー 4057m

シンゴ・ラ過ぎ4300m地点 08:00〜ザンスカール・スムドー 12:30

 朝起きて熱を測ると37.5度あり昨日ほど動けなくもないので行動を開始する。この日でこう

して皆で歩くのは最後である。最後尾を歩きながら1人今までを振り返っていた。他の隊員の

背中を見ながらそれぞれ何を考えながら歩いているのだろうか等を考えていた。2時間程で

ザンスカール・スムドーに到着する。今日の天幕地には欧州から来たと思われるツアー客が沢

山いた。ついに山での生活が終わってしまう。

 

825日  ザンスカール・スムドー〜サーチェ過ぎ4400m地点(車両移動)

ザンスカール・スムドー 08:00〜サーチェ過ぎ4400m地点 17:30

 朝食後にドライバーと合流し荷物を積み込み出発する。ついにザンスカールを後にする。

今日は10時間ほどのドライブで行けるところまで行く。途中、昼食を摂り出発しようとすると

ブレーキオイルが漏れていて修理に時間が掛る。なんとか車が直り出発する。快適なドライブ

が続いているといきなり車が止まり今度は前輪がパンクする。替えのタイヤに取り換え気を取

り直して出発する。5時頃天幕地に到着するが昨日同様、川村の体調が優れず早めに就寝する。

深夜トイレに起きた時に見た星空は今までで一番素晴らしいものだった。

 

826日  サーチェ過ぎ4400m地点〜レー(車両移動)

サーチェ過ぎ4400m地点 08:00〜レー 13:00

 出発してすぐに5000mの峠を越える。川村の体調も大分良くなっていた。途中レーに近づく

につれ電波が良くなりツェワンさんのスマートフォンで上甲さんと連絡を取る。そこで明日27

日発の成田行きの飛行機を手配済みだと知らされる。本当に感謝である。

 

 レーに到着しホテルへチェックイン後Hidden Himalayaへ向かう。そこで改めて上甲さん

ツェワンさんにご挨拶を済ませる。

今日がインド最後の夜となる。喪失感で一杯だった。

 

827日  レー〜(IMF訪問)〜デリー発

 朝早くレーの空港までツェワンさんに送って頂きそこでツェワンさんと別れる。デリー

まで1時間のフライトである。デリー到着後IMFへ向かい登山料の返金を受け取り再度空港へ

戻った。21時過ぎにインドを飛び立った。

 

828日  成田着

 全員問題なく成田空港へ帰国する。大谷監督が出迎えてくださった。横山コーチとはここで

別れ監督車に荷物を積み込み部室へと向かった。遠征が終わってしまった。

 

 

<振り返って>

 今回の遠征はインドの政治的な問題の影響で登山許可が取り消され未踏峰に挑戦すること

さえ出来ませんでした。この喪失感をうまく言葉にするのはとても難しいです。ですが出発

前までの約1年間の準備や現地での判断等は非常にいい経験を積むことが出来ましたヒマラヤ

やそこに挑戦してきた先輩の背中に憧れ、隊を発足させもがき苦しんだ事に意味があると思います。

この経験を絶対に無駄にすることはせず前を向き、また一からヒマラヤのピークを目指していき

たいと思っています。

 

今回の遠征にあたり多大なるご支援、ご協力を頂きまして大変ありがとうございました。

また、次の世代の後輩たちが海外の山の頂にチャレンジしてくれることを強く願っております。

 

 

 

登山許可の取り消しについて

 

行動報告の通り、登山隊は本年85日、成田を予定通りインドに向けて出国致しました。

6日、デリーのIMF(インド登山協会)へ訪問した際、北部ジャンムー・カシミール州の

登山許可を取り消す旨の通達を突然に受けました。即刻、レーの旅行代理店に報告し登山

が出来るように交渉を依頼し、折衝をして貰いましたが状況は変わりませんでした。

 

 登山隊が日本を出国した5日、インド政府は同州に特別な自治権を与える憲法370条を廃止

することを発表しました。同州はインドで唯一イスラム教が人口の大半を占めていますが、

モディ首相率いる与党は、特別な自治権が国内の統合の妨げになっているとして憲法370条の

廃止を目指してきたものです。シャー内相は議会で連邦政府が憲法370条を廃止すると表明。

その後大統領が廃止を承認しました。

 

日本でも6日以降、散発的に報道されておりましたが、インドとパキスタンなどが領有権を

主張するカシミール地方を巡って、インドが実効支配の強化に向け、北部ジャンムー・カシ

ミール州の自治権の廃止を決定したことに対しパキスタン側が強く反発しました。州の当局

者は自治権が廃止されれば、社会不安が広がり州内から反発が起きることに警戒を強めました。

 

両国関係が悪化したことを受けて、州内の治安悪化により85日、IMF経由インド内務省の

通達により当該州全域での登山(登山許可を得て登ること)が禁止となりました。山岳地域は

軍隊の管理が難しいのでインド内務省がIMFに一律に登山の禁止を通達したものと思われます。

 

州都スリナガル(ジャンムー・カシミール州の西側)では治安部隊が厳戒態勢で抗議活動を

取り締まっているとの報道もありましたが、州の東側に位置するレーや目標の登山エリアは至

って平穏そのものでした。登山隊はインドの独立記念日である815日以降、何も無ければ登山

の禁止が解除されるかもしれないとの情報に一縷の望みを託し、予定通り10日にレーを出発し

キャラバンを開始しました。

 

818日、隊はタンソ村にて待機していましたが、以降において登山の禁止が解除される

見込みが無いと判断し、計画目標であったG20峰への登山を諦めることにしました。今回、

目標ピークであったG20峰へ取り付くことが不可能となったので、同山域のレナック谷

G20峰の1本北側の谷)のL15峰(6,070m)の基部、及びギアブル谷(G20峰のBCへ向かう本流)

の上流に位置するG19峰(5,935m)の基部附近まで各々の谷を偵察しました。その後、同ルート

を引き返し、タンソ村経由で往路のキャラバンルートを戻りレーへ帰着して全ての行動を終えました。

 

今回の自治権廃止が発表されてからは、同州では電話やインターネット回線などのサービスが

一部のエリアで停止されたりしておりましたが、実際の行動面における谷の偵察並びに往復の

キャラバンルート上においては一連の影響はなく、安全かつスムースに行動をすることができ

何ら支障をきたすことはありませんでした。

 

今回このような結果に終わってしまい大変悔しく思っております。ですが、約1年間の

準備期間や現地での判断等沢山の貴重な経験をすることが出来ました。この経験を活かしこれから

もヒマラヤの頂きを目指していきたいと思います。

 

最後になりましたが、登山隊発足当初より情報の少ないエリアで親身にご指導・ご情報の提供を

頂き、更には現地装備の貸与にいたるまでご協力を頂戴いたしました阪本公一氏におかれまし

ては深く感謝申し上げます。また、株式会社finetrack様、株式会社石井スポーツ様を始めとする

多くの皆様方にご支援ご協力を頂きましたことを心より感謝申し上げます。

 

2019年度 日本大学山岳部ザンスカール遠征隊 

隊長 川村 洸斗

 

IMF(インド登山協会)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レー到着(左から横山コーチ、村上、川村、前田、福島)

カルゾクCS1

ダルチャ手前3800m地点CS2

 

 

車両最終地点

 

 

シンゴ・ラ(5045m

 

キャラバン開始

 

ゴンボラジョン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タンソ村CS4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タンソ村の学校にて

 

 

レナック谷L4峰付近CS

 

 

レナック谷偵察

タンソ村にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 G21峰(中央左ピーク)

 

 

ギアブル谷G19峰付近CSにて

 

 

スキン村CS

 

ラカン・スムドー付近未踏峰

 

 

バックキャラバン時のシンゴ・ラ

 

 

最終キャンプ地

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギアブル谷G19峰付近CSにて

 

           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

828日 成田帰国

 

<会計報告>

1ドル103円、単位:円)

収入 

個人負担金 1,901,300

桜門山岳会寄付金 1,231,000

登山料返金   168,454

現地経費返金    80,000

 


合計 3,380,754

 

支出

渡航費  469,250

査証代   22,750

登山料  189,831

 現地経費 1,963,848

保険料  287,310

装備費  175,153

医療費   47,412

食糧費  110,691

土産代   10,775

その他雑 費   39,548

印刷費   64,186

 


合計 3,380,754

 

 

 

 

日本大学山岳部

山岳部部室 〒112-0011 東京都文京区千石1-16-9ラリグラス101