JAC学生部ザンスカール遠征隊(参加記録)

遠征隊 登山報告書

JAC STUDENT’S ZANSKAR EXPEDITION 2017

主催: 公益社団法人日本山岳会 学生部

頂上にて〜後列右:高根澤隊長 (所属:日本大学山岳部)

 

隊の名称JAC学生部ザンスカール遠征隊2017

        JAC STUDENT’S ZANSKAR EXPEDITION 2017

目   的: 学生の本分である探究的な登山の実践

          チベット文化の理解を深める

目的の山: IMF Route for 104 Open Peak List in JK No. 40

P6020 (L8)  LAT33.09.24  LOG77.02.14

期   間: 平成29816日(水)〜913日(水)

 

隊員構成 隊長・食糧   高根澤亮太  21歳 (日本大学山岳部  4年)

         副隊長・装備 西田由宇    21歳 (東海大学山岳部  4年)

         医療・渉外   江口岳志    21歳 (東京医科歯科大学4年)

         会計・記録  宮地 聡     23歳 (東海大学山岳部  3年)

現地スタッフ

ガイド1名、リエゾンオフィサー1名、コック、キッチンボーイ、馬方

 

 

山域概要

 

 

 

 

日 程

816日 日本(成田)〜デリー

817日 IMF訪問

818日 デリー〜レー

819日 レーにて高所順応

820日 レー〜(車両移動)カゾック(ツォ・モリリ湖)

821日 高所順応

822日 カゾック〜(車両移動)〜サーチュ

823日 サーチュ〜(車両移動)〜シンゴ・ラ〜ラカン・スムドー

824日 ラカン・スムドー〜(トレッキング)〜タンソ

825日 タンソ〜(トレッキング)〜レナーク谷キャンプ地

826日 5000m地点にBC建設

・登山期間開始

827  L8峰偵察 

828  標高5300メートル地点にCS1を設営。

829  荷物の半分を東稜の5600メートル地点にデポ。

830  アタックキャンプを設営

831  7:14AC発 12:25L8峰登頂 15:30AC帰幕

9月1日    レスト

92     ベースキャンプに下山。

・登山期間終了

93    レスト

94日 BC〜レナーク谷キャンプ地

95日 レナーク谷キャンプ地〜タンソ

96日 タンソ〜ラカン・スムドー手前のキャンプ地(キャンプ地に名前はないが、ゴン

ブラージョンという巨大な岩峰がある。)

97日 ラカン・スムドー手前のキャンプ地〜シンゴ・ラ手前のキャンプ地

98日 シンゴ。・ラ手前のキャンプ地〜シンゴ・ラ〜(車両移動)〜マナリ

99日 マナリにてレスト

910日 マナリ〜(車両移動)〜シミラ

911日 シミラ〜(電車移動)〜デリー

912日 デリー発

913日 成田着

 

 

 

行動報告

8/16 日本〜デリー

  隊員4人は7時半に成田空港第2ターミナルに集合する。前日にダッフルバッグや個人

のザックを東さんに預けてあり、当日の朝にJACの東氏が我々のために成田空港まで車で

荷物を届けて下さった。当日に隊員各々がダッフルとザックを空港に持参するのは重すぎて

不可能なので、本当に有難い。東さん、朝早くからありがとうございました。エアーインデ

ィアの預け荷物は123kgまで、1人につき2つの予約を取っていた。

 

機内持ち込みの手荷物は8kgまでとのこと。2015年の日大遠征では預け荷物の重さを多

少おまけしてくれたみたいだが、今回はカウンターの係員が重さに厳しく、ダッフルの中

身を入れ替えたり、機内持ち込みの手荷物に移動させたり、高所靴や衣類を身につけたり

することになる。預け荷物の重さはどれも上限ギリギリだった。結果的には、預け荷物よ

り、機内持ち込み手荷物の方が重さに関して緩く、8kgをオーバーしていても何も言われ

なかった。

 

  9時半ごろ、見送りに来て下さった東氏、日大の大谷監督、高根澤の両親、宮地隊員の

お母さま、芦刈さん、沼田さんにご挨拶をして、写真撮影。お忙しい中、見送りに来て下

さりありがとうございます。別れ際に東さんがおっしゃっていた「13回は全員で笑えよ」

という言葉を胸に、手荷物検査場に向かった。高所靴を履いてハードシェルを着ている、

かなり怪しい出で立ちだったが、全員無事ゲートを通過でき一安心。さあいよいよだ。

 

  定刻1115分発のフライトだったが、11時発に変更になり、少し早めに日本を発った。

フライトは順調で、17時デリー着の予定だったが、16時にはデリーに到着していた。空港

からホテルまでのタクシーは事前にHidden Himalayaに手配してもらっていたので、タク

シー代をぼったくられる心配もない。18時半ごろフロレンスホテルに着きひと段落。ホテ

ル周辺のがやがやした雰囲気とは対照的に、部屋は小綺麗で快適だった。

 

  その後ホテルの近くのマーケットに出掛ける。怪しげな屋台から漂う美味しそうな匂いの

誘惑を振り切るのが大変だった。誘惑に負けて揚げまんじゅうやらハンバーガーを食べてい

るメンバーもいた。また、デリーでは水道水は飲めない。洗って濡れたままの食器や、生野

(目の前で切られたのを除く)にも注意が必要だ。ミネラルウォーターを買い込み、ホテル

のレストランで本場のインドカレーに舌鼓をうち、床についた。

 

8/17 デリー滞在

朝食をホテルですませ、IMFに訪問する。IMFはデリー大学の隣にあり、付近は学生が

多かった。建物前には4面の大きなクライミングボードがあり、白熱したクライミングに

思わず見入ってしまった。待ち時間の間、待合室前のザンスカール山域の巨大な地図で目

標のL8峰を探したり、博物館を見学したりした。IMFからは同意書にサインしたり、諸

注意を聞いたりした。江口にほとんどの手続きをやっていただき、英語力の乏しい3人は

タイミングを見てうなずいているだけだった。LOはハンサムでストックカンリにも登山

経験があり、頼もしい。デリー空港までのタクシー代300ルピーを渡し、レーの空港で待

ち合わせをして別れた。

 

昼食はドライバーにインド門付近の飲食店の多い場所に下してもらい、カレーとチキンを

食べた。ようやくインドにおけるカレーの注文の適正量がわかってくる。ホテルに帰り、

体を休める。空港へは余裕をもって23時にホテルを出発したが、手配のドライバーが非常

に荒い運転で肝を冷やした。運転のおかげか30分で空港についたものの、荷預けにはまだ

時間があるため空港の隅に荷物を置き、交代で荷物番をしてすごした。

 

8/18 デリー〜レー

数時間のフライトを経てレー空港に到着。空港の玄関口でツェワンさんと合流し、車で

レーの中心部にあるホテルへ向かう。車内でツェワンさんからLOが飛行機に乗り遅れ、到

着は翌朝になることを伝えられる。ホテルで一息ついた後、Hidden Himalayaに向かい

上甲さんに挨拶。お手製のレー観光案内mapをもらう。再度挨拶に伺う事を告げ、ツェワ

ンさんガイドの下、高所順応を兼ねて宮殿跡地を見学。標高3000mの宮殿見学に隊員は空

気の薄さを感じるも、宮殿から望むレーの町並みに癒される。タルチョの風馬や、ストゥー

パの説明を受けながら、行きとは違う道で宮殿を外周するように下り、レーの中心部へ戻る。

 

8/19 レー滞在

ゴンパ巡り。西田の体調があまり良くなかったので、予定より早めにホテルに戻ることに

した。私は前回も同じゴンパを訪れていたが、何度見てもその繊細な造りに圧倒される。

とても美しかった。レーに戻ってからはヒデゥンヒマラヤのオフィスにて装備の貸し出し

などの打ち合わせを行った。いよいよ明日、L8峰に向けての長い旅が始まる。

 

8/20 レー〜カゾック(車両移動)

  ホテルで朝食を済ませ、7時半にレーを出発。チャーターしていた車は小型バスで、大量

の荷物が後部座席や車の屋根の上に乗せられた。車内からはストックカンリがよく見える。

1回の休憩を挟んで、5330mの峠へ一気に標高を上げる。峠ではツェワンさんがチャイを

振舞ってくれて、ほっと一息。高根澤は軽度の頭痛があるとのことだったが、その後次第に

回復した。移動中は高根澤と西田は、窓の外を眺めながらいいボルダーがないかずっと話し

ていた。

 

  12時前にツオーカルのレストランで昼食をとる。チベット料理のトゥクパが出てきた。

トゥクパは小麦からできた細麺と野菜が、コンソメ味のスープに入っている料理である。柔

らかめの麺で、スープも辛すぎず優しい味だ。ツオーカルはsalt lakeであり、20年くらい

前までラダックでは、この湖でとれた塩を使っていたそうである。湖では黒い首をした沢山

のツルが羽を休めていた。

 

  途中、霧雨に振られることもあったが、15時過ぎに本日のキャンプ地があるカルゾック

に到着する。カルゾックはツオーモリリという巨大な湖の畔にある。この付近は中国との国

境に近く、湖の対岸にはインド軍のキャンプが見えた。その奥には白く神々しいチャムセル

カンリがそびえている。

 

  ツオーモリリに流れ込む小川沿いにテントを張る。芝生が綺麗で快適なキャンプ地だ。

我々が泊まる3人用テント2張の他に、キッチンテント、ダイニングテント、トイレテン

ト、スタッフ用のテントが立てられた。標高は約4650m17時の時点での気温は16℃で、

少し肌寒い。夕食の野菜カレーとポテトの炒め物、サラダは辛さも丁度よく、とても旨味だ

った。これからのキャラバン中の食事が楽しみになった。

 

8/21 カゾック滞在 高所順応

 西田が高度障害で体調がすぐれないため、テントに残り、3人とツェワンさんで高度順応

を行うことにする。

高度順応のためターガン・ラまでのトレッキングに9時に出発する。ターガン・ラは大まか

な位置しかわかっていなかったが、途中、山羊飼いの老父に尋ねると峠の場所をおしえてく

れた。

 

高根澤は息がきれるらしく、ペースが上がらずきつそうだった。

5300m地点でガレ場13時30分に下山を開始する。下山中高根澤は倦怠感を訴えていた。

夜、江口が高度障害で体調が悪化し、持ってきたアクエリアスやにゅうめんをとった。

西田は顔色が良くなったものの、下痢に悩まされる。

 

8/22 カゾック〜サーチュ(車両移動)

カゾックから車でサーチュに向かう。途中5000m程度の峠を2つ越えたため、前日の疲

れが抜けていない江口はとても辛そうにしていた。また、新しい運転手は最初の運転手ほど

運転は上手くないようで悪路に江口以外のメンバーにも疲労が感じられた。

 

8/23 サーチュ〜(車両移動)〜シンゴ・ラ〜ラカン・スムドー

江口の体調は回復に向かっているようだ。西田はまだ腹がいたいらしい。56時間ほど

車に揺られ、シンゴラの手前で馬かたのギャッツォと再会した。相変わらず帽子が似合っ

ている。昼食を済ませて今日のキャンプ地であるラカン・スムドを目指す。途中マーモッ

トの群れに遭遇した。子供は小さくてかわいいが、大人は40p近くあった。夜、少し雪

が降っていた。

 

8/24ラカン・スムドー〜タンソ

  7時に朝食を食べ、9時ごろにラカン・スムドを出発した。芝生の緑が豊かな大きな谷を

進む。途中何度か沢の渡渉があった。河の両側には尖った岩山が並んでいる。中でも東側に

あったゴンボラージョンという大岸壁には一同舌を巻いた。休憩の度にボルダーを楽しみつ

つ、タンソ村まで高低差のほとんどない歩きやすい河沿いの道を進んだ。

 

  14時前にタンソ村に到着。この村は小麦の栽培や、放牧などで生計を立てている。今回

の遠征のスタッフの一人の馬方のプッツォの出身でもある。村を歩いていると、村人達が人

懐っこく手を振ってくれたり、話しかけてくれたりして、温かい雰囲気だ。白塗りの家々の

上には、冬場の家畜の餌となる牧草がうず高く積まれていた。

 

  村の中の平坦な草原にテントを張った。気持ちよく晴れていたので、各々衣類やシュラフ

を乾かしたりしていた。夕食前に、夏休み中のタンソ村の子供たちが我々のテントに遊びに

きた。日本から持ってきていた折り紙を折ったり、鉛筆をプレゼントしたりして一緒に遊ん

だ。言葉は通じないけれど、僕たちの折る折り紙に興味津々で、必死に真似をしようとする

姿にとても癒された。皆なんとか鶴を折ることに成功して、いい笑顔。とても楽しい時間だ

った。夕食の揚げ餃子、ポテトのピザ、パスタはどれも美味しく、一同満足して床についた。

 

8/25タンソ〜レナーク谷キャンプ地

L8を初めて目視で確認する。思ったよりも雪がついていない様子で、今後の登山に不安

もあるものの、それ以上に期待がたかまり、自然とペースが上がっていた。

途中マーモットがたくさんいたので走って追いかけまわそうとしたが到底追いつくことは

できなかった。

 

8/26 レナーク谷キャンプ地〜BC

キャンプサイトからBCへ向かう。出だし、川が増水していたため、馬に乗り渡渉する。

二人目までは順調に渡り切れたものの、三人目以降、馬にも疲れが出てきたのか渡渉中に

馬がよろめき、足を濡らす事になる。ケガ等はなかったものの、それなりに緊張感のある

渡渉となった。この辺りからあまり人が入っていないのか、道が悪く、ようやく未踏峰登

山らしくなってきた。BC予定地に到着すると、以前は水が流れていたという場所に水が

流れておらず、乾燥した平地が広がっていた。ツェワンさん曰く、近くの大きな池が増水

により周りの土手を崩しながら氾濫し、結果として水が無くなってしまったのではないか、

との事。しばらく水源を探していると、ツェワンさんが微かな水の音を察知し、水源を見

つける。おかげで無事BCを設営する事ができた。

 

8/27 L8峰偵察

いよいよ、L8峰の偵察に向かう。高度障害の影響か、私は体がだるかった。ツェワン

さんにも同行していただき、的確なアタックキャンプ地を探す。BCから3時間ほど歩いた

ところに二ヶ所ほど候補地を見つけた。ここで、西田、宮地、ツェワンさんに東に伸びる

ピナクル帯の尾根の偵察に向かってもらった。私と江口は彼らと別れた後、天幕可能地を

しっかり確認した後下山した。この時点で高根澤には酷い高度障害が出ていた。倦怠感と

軽い頭痛に加え、少し吐き気もあった。何とかBCにたどり着き、テントに倒れ込んだ。

 

その後、しっかり水分を取り、一時間程やすむと大分回復した。我々が到着した約3

間後に西田たちもBCに到着した。彼らからの報告によると、ピナクル帯の通過は非常に困

難であるそうだ。しかし、北側に延びる尾根に上がることが出来れば、登頂の可能性がある

とのことだった。議論の末、明日、北に延びる尾根を目刺し、学生の力のみですべての荷物

を担いで尾根を一つ越えて奥の谷を目指すことになった。

 

8/28 BCC15300m地点)

  7時に朝食をとった後、団体装備として必要なものをピックアップして、各自に振り分け

を行った。前日の偵察で、L8の北側に広がる谷は比較的なだらかな氷河帯であり、登る

予定の尾根全体には雪がついていることが分かったので、団体装備の登攀具はロープ2本、

スノーバー、アイススクリューに絞った。全装備を担いで、BCとは尾根を挟んで反対側の

谷に下降しなければならないため、その他の団体装備も軽量化に努めた。結果的に各々の

ザックは3035kgくらいになった。各自パッキングを終え、スタッフ達に見送られながら

10時にBCを出発した。

 

  5100m弱のBCから、約5400mC1予定地まではモレーン帯を進む。今日は快晴で日

差しが容赦なく照りつけていた。まだこの高度への順応が完全ではなかったので、ザックが

異様に重く感じ、急坂を少し登るだけで息が切れた。今日の行程は時間的に余裕があったの

で、30分に1回の割合で休憩をとりつつ、ゆっくりとしたペースで進んだ。西田と宮地は

比較的余裕がある様子だったが、江口と高根澤は普段より重く感じられる荷物にしんどそう

な顔を浮かべていた。

 

  14時にC1予定地の河原に到着した。ここは前日の偵察で見つけた場所で、下地の砂利

が細かく、平坦なので、整地する必要もなかった。テントのすぐ近くには氷河の雪解け水が

流れる小川があったため、その水を滅菌のために煮沸するだけで飲料水が確保できた。翌日

の行動用の飲み水を作り、16時ごろに夕食を済ませて、翌日に備えて18時には就寝した。

 

8/29 荷揚げ C15600m

3時頃降雪に気が付き、テント外に置いていた装備をいったんテントの中に入れる。辺り

5cmくらいの積雪があった。雪がちらつく中7時30に出発する。偵察時に作ったケル

ンと赤旗をたどりながら稜線を目指す。赤茶けたガレ場はかなり安定していて登るのに苦労

しない。5600m地点まであげた。デポ品が飛ばないよう、土嚢に入れた装備を岩で囲む。

霧が晴れ切らず下部の確認はできなかった。30分で下降し11時にC1に戻る。

 

8/30 C1AC5300m

前日の雪の影響でこれまで積雪のなかった斜面にも積雪を確認する。また、濃霧のため見

通しは悪く、視界は数十メートル程だった。しかし前日に荷揚げをしたおかげで、稜線上

までの登りは快適に詰める事ができた。デポ品を回収後C2予定地へ下るが、途中、濃霧

のためC2予定地を定め切れず、しばらく雪面上で停滞する。

 

ほどなくして霧が切れC2予定地、アタック時のルート取りを定める事ができ、沢筋に下

降後、C2、もといACを設営する。この日も夕方頃から天気が崩れ、雪が降り始める。

今後も天候が安定しないおそれがあったため、朝、天候の安定が確認でき次第、翌日にも

アタックをかける事を決める。明日のアタックに意識を向けながら、早めの夕食を取り

就寝する。

 

8/31 ACL8峰山頂〜AC

曇り、時々晴れ

いよいよアタックだ。昨日の昼間、酷い頭痛に襲われたせいか、不安があり夜はあまり眠

れなかった。朝、少し頭痛はしたが問題無さそうだった。江口も少しだけ頭痛がするよう

だった。それ以外隊員の体調に問題はなかった。

 

まずは、山頂に繋がる稜線に向けて歩き出す。途中の氷河で二ヶ所ほど川が出来ており、

飛び越える。あまり深くはなかった。氷河歩きを終えると、ガレ場に入る。途中の何ヵ所か

雪が残っておりアイゼンがしっかりときき歩きやすかった。私はこの時点で高度障害の影響

か酷い息切れをしていた。3時間ほどで、主稜線に上がる手前の5メートルほどの雪壁に

到着する。バーが刺さらないため22pのアイススクリューを使用し支点構築をする。

 

高根澤がリードし、主稜線に出る。主稜線からは6000m級の岩峰が連なる景色を見る

ことができた。非常に美しい。バーで支点構築を行い、全員問題なく通過する。ここから

山頂

までは長い雪稜行となる。雪庇に気を付けながら進む。緩やかな登りだが標高が高い影響か

かなり息が切れる。全くペースが上がらない。途中の二ヶ所ほどクレバスが口を開けていた。

赤旗を立て、慎重に通過する。頂上まであと30メートル地点、あともう一踏ん張りだが、

体が重い。息が上がる。隊員たちに声をかけられながら一歩一歩進んでいく。

 

ついに、山頂に到着した。回りの山々が低く見える。疲労はピークに達していた。しかし、

喜びはそれ以上であった。一枚一枚丁寧に写真を撮り、長めの休憩を取った後、下山を開始

した。主稜線に出た場所までは20分ほどで下れてしまった。5メートルの雪壁はクライム

ダウンで下りることが出来た。その後もガレ場を1時間ほどで下り、ACに到着した。

 

決してテクニカルなルートではなかった。ロープを出す機会もほとんどなかった。簡単に

登れたと言えばそうなのかもしれない。しかし、BCからすべての荷物を担ぎ上げ、AC

設営し、山岳部らしい泥臭い登山をすることが出来たのではないだろうか。そのすべての

行程を踏まえて、未踏峰の頂に隊員全員で立てたことが、私自身に素晴らしい達成感を与え

てくれた。

 

9/1 レスト

  この日の内にBCに帰ることも可能だったが、前日のアタックの疲れが残っていたため、

レストすることした。10時ごろまで寝て、遅めの朝食を食べた。スマホに保存してあった

映画をみんなで見たり、レーションをつまんだりしながら、のんびりと過ごす。翌日の行動

用の飲み水を作り、夕食を食べて、7時ごろ就寝した。

 

9/2 ACBC

  江口は体調があまりよくない様子で、ペースがあがらないようだった。立ててきた赤旗や、

C1のデポ品を回収する。BCでは私たちに気が付いたプッツォがそわそわとテントを出た

り入ったりしているのが見えおかしかった。11時30にBCにつくとスタッフみんなが出

迎えてくれ、握手をして登頂の喜びをわかちあった。前日レストを挟んでの下山だったので

疲労困憊というわけではなかったが、安堵からか疲れを感じた。夕食はかねてからの隊長の

リクエストのチョウメンだった。

 

9/3 レスト

日数に余裕があったため、この日はBCでレストになった。スタッフの方々を含めた集合

写真をまだ撮っていなかったため、この日に写真撮影を行う。登山期間中は全体を通して

雲が多く、山の形もよくわからない事が多かったが、この日は快晴で山が綺麗に望むことが

できたため、良い写真が撮れた。その後はタンソ村で子供達に渡す折り紙を折る等、それぞ

れ自由に過ごし、十分な休息を取る事ができた。

 

9/4 BC〜レナーク谷キャンプ地

トレッキング中に再び見ることができたL14,15峰はとても美しかった。レナック川の水

量が少なくなっていたため、馬に乗らずに渡渉を行う。氷河が溶け出した水はとても冷た

かった。キャンプサイトの手前でマーモットを捕食する野生の狼に遭遇した。思ったより

も体は小さく痩せ細っていた。また、巨大なコンドルにも遭遇した。西田は巨大なコンド

ルを怖がっていた。

 

9/5 レナーク谷キャンプ地〜タンソ

今日の行程はタンソ村までの2時間程度である。8時に遅めの朝食を食べて、パッキング

を済ませ、9時過ぎに出発した。今日も気持ちよく晴れている。綺麗な三角の形をした

L4峰を背に、広いレナック谷を下っていった。途中真新しいオオカミの足跡を発見した

直後に、オオカミがマーモットを捕食する光景を目にした。オオカミは走ってすぐに丘の

上に逃げてしまったが、マーモットの無残な死体が残されていた。オオカミは小さな馬も

食べてしまうらしく、馬方が前日の晩にキャンプ地で盛大な焚き火をして、オオカミが馬

に寄ってこないようにしていたのを思い出した。

 

  レナック谷とギャブル谷が二股に分かれているシャンカ村に着くと、レナック谷の一番奥

L8峰が見えた。これでL8ともお別れだ。少し名残惜しい気持ちでタンソ村までの道を

進む。道中、冬場の家畜の牧草集めに勤しむ人達とすれ違った。

タンソ村のキャンプ地に着くと、飼い犬と思われる人懐こい犬が2匹寄ってきて、我々の

レーションをねだったり、宮地の靴下を咥えて逃走したり、なんとも平和な光景。

 

その後は、タンソ村出身の馬方が、自宅から持ってきてくれた地酒でみんなで乾杯した。

みんなでわいわい飲んでいると、テントに村の子供たちが遊びに来たので、一度飲むのを

中断して折り紙などで遊んだ。宮地が慣れた様子で子供たちに鶴やら手裏剣やらの折り方

を教えていたのが印象的だった。19時に夕食を食べ、この日は21時過ぎまで4人で語ら

ってから就寝した。

 

9/6 タンソ〜ゴンボラージョンキャンプ地

タンソを出発する。途中カルギャックでLOIMFと連絡をとり、現地ではゴンボラン

ジョンと呼ばれる岩壁の前をテントサイトとした。行きのタンソ村で行違った遊牧民もこ

こにおり、100頭をこすヤクをつれていた。遊牧民は一日2回朝と夜にヤクの乳を搾っ

て、昼は放牧に出る生活で、そこで取れた乳をヨーグルトやチーズにして、村で物々交換

をして生計を立てているとのことだった。

 

9/7 ゴンボラージョンキャンプ地〜ラカン・スムドー奥のキャンプ地

ラカン・スムドー奥の台地に向けて出発する。前日の寒さがまだ残っており、少し風も

あったため、寒い1日となった。比較的短い行程であったが、この日は多くの旅行者とすれ

違った。その多くはサイクリングで来ている人達で、どこに行くのかわからないが、そこ

そこの量の装備を持っていた。

 

ラカン・スムドーには石積みの家でできたティーショップがあり、そこでお茶を少し飲ん

で行く事になった。積んだ石の上に屋根としてビニールシートを被せているので、風に煽ら

れると少しうるさいのが難点だが、石は一つ一つ丁寧に積まれており、風を通さないので、

暖房器具が無くとも中は比較的暖かく、快適に過ごす事ができた。この日も午後から雪が降

り始め、夜にはキャンプ場所周辺も少し積もり始めていた。キャラバン中一番寒い日だった

ように思う。

 

9/8ラカン・スムドー奥のキャンプ地〜シンゴ・ラ〜(車両移動)〜マナリ

今日はマナリまでいくため、いてもより早めに起床した。車が待つシンゴラまで緩やかな

坂を登る。昨晩は雪が降ったようで、山々が白く雪を被っていた。シンゴラにて、馬方と馬

たちに別れを告げる。重い荷物を運んでくれてありがとう!ドライバーは背の高いイケメン

だったが、運転はかなり荒かった。何度も座席から飛び上がった。二時間程でダル到着する。

 

ここでツェワンさんとリエゾン以外のスタッフとはお別れだ。半月生活を共にした仲間達

との別れは辛い。一人一人と暑い握手を交わし、別れを告げる。ここからマナリまでは一

つ峠を越える。今までの景色とは異なり、木々が生い茂り沢山の川が流れている。長い車

旅を終えてやっとマナリに到着する時には、高根澤と宮地は完全に車酔いであった。夕食

はツェワンさんが注文してくださったフルコースだ。大変美味であった。

 

9/9 マナリ滞在

  バックキャラバンを1日早く終えることができたので、マナリのホテルで連泊し、この

日は終日観光することにした。ガイドのツェワンさんが、マナリには昔から温泉があると教

えてくれたので、まずは温泉へ。10時すぎにホテルを出発し、ニューマナリの近辺でバイ

クタクシーを捕まえて、温泉がある寺院に向かった。しかし、そこで目にした温泉は、日本

人が想像するものとはかなり違っていた。

 

受付から狭い通路を進むと、脱衣所はなく、石畳でできた深い屋外プールのような浴槽に

でた。かなり混み合っている。浴槽の手前にはシャワースペースもあり、気持ちよさそうに

皆身体を洗っていた。しかし湯船のお湯があまり綺入り、ラッシーやフレッシュジュースを

飲んで一息着き、ホテルに戻った。マナリの街は欧米からの観光客が多く、土産物屋で賑

わっていた。

 

9/10 マナリ〜シミラ(車両移動)

ホテルで朝食をとり、雨の中はやばやと出発する。移動疲れで車内ではほとんど寝て過

ごしていた。ホテルはかなり清潔感があったがWi-Fiがなく、シムラはインドではハネム

ーン先として有名からかベッドはダブルであった。夕方に町まで送ってもらった。イギリ

ス統治時代の避暑地となっていたため、建物が西洋風で露店が並び馬の乗馬体験や、映画

館などさまざまなレジャー施設があった。インド南方料理を食べた。

 

9/11 シミラ〜デリー(電車移動)

サクサガーリジェンシーホテルを早めに出るが、列車の出発時間を勘違いしており、駅で

二時間程待ちぼうける。ようやく乗れた列車も車内は非常に窮屈で長時間の乗車はとても

疲れた。乗り換え時間に余裕があったため、駅構内の売店でハンバーガーを購入するが、

何か傷んでいたのか江口の腹を壊す原因となる。特急列車の方は座席こそゆったりとして

おり、無駄な疲れを溜める事はなかったものの、車内食は不味く、特にチャパティは遠征

期間中最悪の不味さだった。ツェワンさんのおかげでホテルまで快適に到着できたが、

およそ1ヶ月ぶりのデリーは相変わらず臭いが鼻に着く。

 

9/12 デリー〜日本

議員選挙が行われているらしく、街がにぎやかだ。道が渋滞しており、IMFのかなり手

前で車を降ろされてしまった。IMFにてLOのゴーラフと別れる。無口ではあったが、

仕事をきっちりこなすイケメンであった。ホテルに帰り、荷づくりと夕食をしませて空港

へ向かう。いよいよ日本に帰れる。早く日本食を食べたい。

 

 

・デリー

 

・レー

 

 

・キャラバン

 

 

・登山期間

 

 

・L8峰の頂上へ

 

 

・バックキャラバン

 

913日 帰国 成田にて出迎えを受ける