2013年度2月合宿報告書
日本大学山岳部
目 的) チームワークの向上、生活技術の向上、登攀技術の向上
山 域) 南八ヶ岳 行者小屋BC 周辺登攀・訓練
期 間) 平成26年2月10日(月)〜2月16日(日) 実働6日、予備日1日
メンバー)3年CL山浦祥吾(14日下山)
2年M 賀来素直、宝迫哲史
1年 井上理、櫻井鈴音(11日入山)、篠崎さやか(14日下山)、
桧山泰平、水越健輔、山縣巧
OB 飯田祐一郎コーチ(14日下山)
↑2月12日、硫黄岳山頂にて(上段左から、井上、櫻井、山縣、飯田コーチ、下段左から、宝迫、水越)
行 動)
2月10日(月)入山日 山浦、賀来、宝迫、井上、篠崎、桧山、水越、山縣
茅野駅〜美濃戸口〜南沢〜行者小屋BC(以下BC) 晴 -6.3℃
茅野駅06:15〜07:00八ヶ岳山荘07:10〜08:50美濃戸口09:30〜13:00BC
天幕懇親会の翌日、タクシーで美濃戸口に入る。前日まで広い降雪があったので心配していたが問題なかった。順調に出発するが、桧山、篠崎が遅れ始める。二人を賀来に任せ、残りは先へ進むも大きな差が生じるようなので小滝でアイスクライミングをしながら待つ事に。その後、行者小屋に到着、東海大学と数名のパーティがいた。テント場に着きV8テント設営、桧山の熱を計ると38℃。G-liteテントで隔離し様子を見る事に。天気は暫く良さそうだ。
2月11日(火)雪上訓練 賀来、宝迫、水越、井上、山縣
BC〜赤岳鉱泉〜赤岩の頭〜雪訓場〜BC 晴 気温不明
TK:山浦、桧山、篠崎
BC06:00〜08:45赤岩の頭〜09:10雪上訓練12:00〜13:30BC13:45〜14:00FIX訓練15:30
明け方、篠崎が頭痛・咳を訴え微熱がある。山浦はTK(テントキーパー)で篠崎、 桧山の様子を見る事に。雪訓メンバーを送り出し、帰幕までに隔離用としてV4テントを設営しておく。
宝迫―水越―井上−山縣−賀来で、定刻通り出発するも、15分ほど歩いたところで医療袋を携行していない事に気づく。賀来が取りに戻り、出発する。雪上訓練はジョウゴ沢で行う予定であるが、見たところ雪崩の心配があるため、赤岩の頭を往復することにする。ピークはきれいに晴れ渡った。帰り際に樹林帯に雪上訓練できそうな箇所を見つける。雪崩や落石はなさそうである。BCに連絡を入れ、木の間を縫うように歩行訓練と支点作成、ビレイの手順を訓練した。1年生の中には今後の努力を要するものもいた。訓練を終えてBCに帰幕した。 (報告者:賀来素直)
全員帰幕後、阿弥陀北稜下部付近でFIX訓練(山浦、宝迫、賀来、水越、井上、山縣)を行う。賀来の調子が良くなさそうなので帰幕後V4に篠崎、賀来を入れる。桧山の熱は下がらず、解熱剤を飲ませる。今日中に到着予定の櫻井、飯田コーチが18時になっても到着しないため、テントを宝迫に任せ山浦が様子を見に行くとBCまで一時間付近で櫻井がバテていた。 (報告者:山浦祥吾)
2月12日(水)硫黄岳往復 宝迫、山縣、櫻井、井上、水越、飯田コーチ
BC〜赤岳鉱泉〜硫黄岳〜赤岳鉱泉〜BC 曇り後晴 気温不明
TK:山浦、賀来、篠崎、桧山
BC06:00〜06:30赤岳鉱泉06:40〜08:25赤岩の頭08:30〜08:55硫黄岳09:10〜10:00FIX訓練11:00〜12:10赤岳鉱泉12:15〜13:00BC13:15〜13:30FIX訓練15:00
やはり賀来、篠崎、桧山の全員が発熱しているので宝迫−山縣−櫻井−井上−水越−飯田コーチで出発する。山浦は隔離中の残り3人を看病する事に。次は自分が入る可能性の高い入院病棟を眺めながら天気図を書く。
前日の雪上訓練で赤岩の頭まで足を伸ばしていため、地形の把握などは出来ていた。久しぶりの登山となる櫻井の様子を伺いながら、スローペースで登っていく。樹林帯ではところどころ急ではあるが、問題なく進む。赤岩の頭手前で、櫻井が頭痛を訴え始めたため、様子を見ながら稜線まで出る。赤岩の頭から硫黄岳頂上までは、全員ヘルメットを装着し、アイゼンを岩にひっかけないよう注意して登る。昨年は硫黄岳から見た景色に感動したが、今年は雲がかかっており景色は良くなかった。頂上で写真を撮り、小休止した後、飯田コーチ指導の下、赤岩の頭付近からトラバースでFIX訓練を行う。1ピッチ終えた後、櫻井の体調が悪化していたため2ピッチ目を行わず下山する。BC到着時には晴れており、少し残念であった。 (報告者:宝迫哲史)
全員帰幕後、水越、山縣、井上、山浦、飯田コーチでFIX訓練を行う。明日からJACアイスクライミング集会に賀来、篠崎、水越が参加予定だが、依然として賀来、篠崎が体調不良の為、JAC学生部委員長、東海大学の杉原主将に欠席を伝える。
2月13日(木)八ヶ岳周遊 山浦、宝迫、山縣、飯田コーチ
BC〜赤岳鉱泉〜横岳〜天望荘〜赤岳〜BC 晴 -7.3℃
TK:賀来、水越、井上、櫻井、桧山、篠崎
BC06:00〜06:30薬師岳06:40〜07:40赤岳の頭08:55〜10:15天望荘10:30〜11:00赤岳11:10〜12:00BC
計画通り水越、井上、櫻井はテントキーパー。桧山の熱が下がるかわり篠崎、賀来は辛そうなので、解熱剤を飲ませる。宝迫をトップで出発するが、出だしのペースが遅いので稜線までペースを上げさせる。赤岩の頭から風が強く冷たいが、天望は申し分ない。順調に横岳に到着、この辺りから山浦−宝迫、飯田コーチ-山縣でザイルを繋ぎ歩く。雪と岩のミックスを歩くが難しくはない。慎重に地蔵仏まで通過する。天望荘で少し休み、そのまま赤岳を目指す。登りの雪は安定しておりアイゼンが気持ちよく決まる。赤岳手前で宝迫がバテ始めるが、気力はあるようだ。危なげなく登頂、下山する。BCと連絡をとると明日は明け方から下り坂のようだ。文三郎を降りながら北稜を眺める。雪上訓練時のトレースがはっきり見える。帰幕後、賀来、篠崎の体温を計るとまだ微熱があるが、熱は下がり、二人ともだいぶ楽になったようだ。雪の影響をなるべく減らすため明日は05:00出発とする。
2月14日(金)北稜隊 山浦、水越、山縣
BC〜取り付き〜第一岩峰〜阿弥陀岳〜文三郎〜BC 吹雪 -9.8℃
阿弥陀岳一般隊:宝迫、井上、飯田コーチ
TK:桧山、櫻井、篠崎
BC05:00〜05:50取り付き06:15〜08:30阿弥陀岳08:45〜09:50BC
雪がちらつく中、北稜はオンタイムで出発。まだ5cmの積もり具合だ。一般ルート組はPL飯田コーチより30分遅らせるとの事。丸4日晴れていたため、雪のコンディションはいい。JPまで一気に駆け上がる。灌木帯はザイルを出さずアイゼン、アックスさらに木を掴んで約100m登る。1P目第一岩峰クラック〜スラブ帯は山浦リード、山縣ビレイ、三角で50m目一杯延ばす。雪が付きいやらしい。2P目フェース〜リッジ〜雪稜は水越リード、山縣ビレイ。山浦はルンゼから先回りし、水越を見守る。これも50m延ばし雪稜にバーを打って終了点、山縣を引き上げる。水越にはいい経験になったようだ。この辺りからは風が強く吹き荒れ、シーバー交信もうまくいかない。終了点に到着する頃、一般ルート隊が登頂間近であるのが見える。2、30mほど雪稜を登り登頂、皆で写真を撮ろうと思ったが、バッテリー切れなのですぐに下山する。
BC到着後、山浦、篠崎、飯田コーチで下山予定だが、様子を見て櫻井、桧山も下ろす事にする。10cm程積もっているがトレースは明瞭、二時間半で美濃戸に到着した。
2月14日(金)阿弥陀岳一般ルート隊 宝迫、井上、飯田コーチ
BC〜文三郎尾根〜中岳〜阿弥陀岳〜中岳〜文三郎尾根〜BC 吹雪 -9.8℃
TK:桧山、櫻井、篠崎
BC05:30〜07:00文三郎分岐07:10〜07:25中岳のコル07:30〜07:50阿弥陀岳頂上08:30〜09:50BC
桧山、櫻井、篠崎の3名は朝の体調を見て、テントキーパーとした。飯田コーチの指示で北稜隊よりも出発を30分遅らせる。文三郎尾根分岐地点までは問題なく進む。井上は終始、飯田コーチから歩行のアドバイスを受けていた。中岳では、細い稜線に雪庇が出来ており、慎重に通過した。中岳のコルから阿弥陀岳頂上へは急な道で、しっかりとキックステップを決めて通過する必要があった。途中、北稜隊を確認することが出来た。頂上では北稜隊と合流。飯田コーチと井上、宝迫をロープで繋ぎ下山した。文三郎尾根の急な斜面では、井上は苦戦していたが、BCまで無事に下山することが出来た。11:30先発で下山する隊を見届けると、行者小屋のテント場には、私たちのテントだけになった。天気は荒れ、早朝までテント周りの雪かきに追われた。(報告者:宝迫哲史)
2月15日(木)下山日 宝迫、水越、井上、山縣、賀来
BC〜行者小屋西側、標高約2050m地点 風雪 不明
BC08:00〜17:00 2050m地点
昨日からの雪でテント場はかなりの積雪となった。200cmはありそうだ。暗い中でガチャ類を掘り出すと物を紛失しそうであったため、日の出以降に撤収開始、出発した。覚悟はしていたが、多いところでは胸辺りまでのラッセルである。20m進むのに10分もかかってしまう。行者小屋からの登山者は我々以外には居ないため、トレースも一切存在しない。途中の赤布等の目印も一部埋没しているため、ルーファイにも注意する。時折降雪が止むが、一向に進まないためテントが張れそうな箇所を探しながら歩く。日の入りの時間が迫ったところで樹林帯の中に雪崩のなさそうな広場を見つけたため、V8を張って泊まった。(報告 賀来)
2月16日(日)下山日 宝迫−水越−井上−山縣−賀来
2050m地点〜美濃戸山荘〜美濃戸口 曇り 気温不明
2050m地点08:00〜美濃戸山荘13:30〜17:00美濃戸口
前日の疲れが溜まり、暗さでルーファイも困難であるため明るくなってから行動を開始する。高度を下げるにつれ、雪も浅くなってくるがまだまだきつい100cmのラッセルである。美濃戸山荘に到着し、トレースを期待するが存在していない。その先の赤岳山荘の小屋の方によると、美濃戸口までオールラッセルとのことである。まさにその通りとなり、へとへとになりながら美濃戸口に到着した。携帯電話からの情報によれば今日から除雪が始まったとのことだ。美濃戸口に着くと交通機関が一切動いていないことがわかり、八ヶ岳山荘の藤森社長に宿泊させて頂いた。食事と入浴と部屋を用意してもらい、交通機関が動き始めるまで待機させていただくことになった。
翌日17日は最寄りの茅野駅までは車両で行くことが出来るものの、鉄道も高速道路も確実に東京に帰られるというわけではないため待機させて頂き、我々は雪かき、掃除、皿洗いなどをお手伝いさせて頂く。
18日、鉄道の除雪が進み、ほぼ確実に帰京できることから、残る4人全員を藤森社長に茅野駅まで送って頂き、駅員の方によれば、長野から新幹線で東京まで行くのが確実とのこと。茅野駅から長野経由で帰京した。 (報告者:賀来素直)
総 括
結果がどうあれ体力的、技術的、精神的な準備の質によって合宿で得るものの大小は大きく変わる。山を登っていれば準備の重要性は言うまでもない。はずだが、体調不良はそんな準備不足の欠片が結合して出来てしまうように思う。年度も終盤である。年間を通して山に登り続けることの重要性や課題を部としてもっと感じたい。
帰京する際、記録的な豪雪に巻き込まれ、数日間陸の孤島に閉じ込められたが、そんな中、八ヶ岳山荘の藤森社長や中央線車内で親切にして下さった方々に心より感謝したい。ウイルスが人と人を行き来するように私たちも親切心を行き来させられたらいい。
(報告者:山浦祥吾)
↑赤岩の頭にて(硫黄岳バック)