2011年度 冬山合宿

日本大学体育団体連合会山岳部

≪計画概要≫

目的)北鎌尾根からの槍ヶ岳登攀

山域)北アルプス 槍ヶ岳

期間)平成231223日()〜18日(

移動日1日、実動7日、予備日10

メンバー)3CL飯田祐一郎

     2 関洸哉 横山裕

日程)

1223日(金)新宿〜松本〜信濃大町〜七倉山荘CS1

24日(土)七倉山荘CS1〜高瀬ダム〜湯俣山荘CS2

25日(日)湯俣山荘CS2〜千天出合〜P2尾根取り付きCS3

26日(月)P2尾根取り付きCS3P45のコルCS4

27日(火)P45のコルCS4〜北鎌のコル〜P8頂上CS5

28日(水)P8頂上CS5〜独標〜北鎌平CS6

29日(木)北鎌平CS6〜槍ヶ岳〜千丈乗り越し〜奥丸山分岐〜槍平小屋〜

     新穂高温泉

30日(金)予備日

31日(土)予備日

11日(日)予備日

2日(月)予備日

3日(火)予備日

4日(水)予備日

5日(木)予備日

6日(金)予備日

7日(土)予備日

8日(日)最終下山日

 

 ※日の出0650 日の入り1632

 

オーダー)

関−横山−飯田 状況により、飯田−横山−関

赤布・赤旗設置場所)

CS1CS6の天幕地・槍ヶ岳山荘・千丈乗り越し・奥丸山分岐・槍平小屋・

その他、必要と感じた場所。

エスケープ)

湯俣温泉〜P8→同ルート下降

P8〜槍ヶ岳山荘→以降計画遂行

リミット)

 13日(火)の朝に、P8の頂上を出発出来なければ、エスケープルートより下山

その他天幕可能地)

P2の肩、北鎌のコル、P8手前

独標基部、P13頂上部、P1415のコル、槍ヶ岳山荘、千丈乗越、槍平小屋

 

※電波が入り次第17:00に現在位置をメール連絡

 最終下山時刻18日(日)21:00までに東京連絡所に連絡

※遭難時は、6912151821時にシーバーをオープン

 

危険個所・対策)

場所

危険

対策

湯俣山荘〜P2取付

徒渉・高巻・滑落・道迷い

慎重に通過。積極的にロープを出す。ルーファイ注意

P2取り付き〜P2

滑落・転落・落石

慎重に通過。積極的にロープを出す。

P2〜槍ヶ岳

滑落・転落・落石・道迷い

雪庇

慎重に通過。積極的にロープを出す。ルーファイ注意

千丈乗り越し〜奥丸山分岐

雪庇・雪崩・滑落

慎重に通過。積極的にロープを出す。

奥丸山分岐〜槍平小屋

雪崩・滑落

慎重に通過。積極的にロープを出す。

滝谷

雪崩

1人ずつ通過

チビ谷〜ブドウ谷出合

雪崩

1人ずつ通過

白出沢

雪崩

1人ずつ通過

 

東京連絡所)大谷直弘監督

本多直也HC

現地連絡所)長野県警察本部様 〒380-8510 長野県長野市大字南長野字幅下692-2

              TEL026-233-0110

      岐阜警察本部様  〒500-8501 岐阜市薮田南2-1-1

              TEL058-271-2424

 

遭難対策)携帯電話で連絡。つながらなかった場合、トランシーバーにて連絡。

     事故発生→自力搬出可→自力下山→東京連絡所→各家族 

       ↓             

     自力搬出不可→伝令orシーバー→東京連絡所→現地連絡所

       ↓              ↓  ↓

待機  ← 救助隊 ← コーチ会  各家族

※シーバーコールサイン 7M4UCI 7M4AVK

 

≪行動記録  ※太字に波線は監督、コーチ、OB会の動き≫

 

1日目:1223日  新宿〜七倉山荘CS1

朝、入山連絡。夕刻、七倉より定時連絡を受ける。

2日目:1224日  七倉山荘CS1〜湯俣山荘CS2

3日目:1225日  停滞

4日目:1226日  停滞

5日目:1227日  湯俣山荘CS2P2尾根取り付きCS3

6日目:1228日  停滞

7日目:1229日  P2尾根取り付きCS3P2の肩CS4

8日目:1230日  停滞

9日目:1231日  P2の肩CS4〜北鎌のコルCS5

10日目:11日  北鎌のコルCS5〜独標基部CS6

           夕刻、定時連絡が入る。

11日目:12日  停滞

           夕刻、定時連絡が入る。

12日目:13日  停滞

           夕刻、定時連絡が入る。その後、監督とコーチとで明日からの行動について協議をおこなう(予備日も少なくなっており、かつ今後の悪天も予想されるため)。飯田とも話した結果、翌日朝の判断とすることを決定。

13日目:14日  独標基部CS6〜独標過ぎのpeakCS7

           朝、計画通り出発する旨の連絡を受ける。

           夕刻、定時連絡。明日以降の行動と、残りの食料や燃料の再確認。またメンバー3人の家族には合宿が長引いているが心配無用と連絡を入れる(飯田、横山は本人から。関は本多コーチより)。

14日目:15日  停滞

朝、定時連絡が入る。天候が悪いため停滞するとのこと。

夕刻、定時連絡が入り、明日移行の行動の確認をする。
19:00
 関が足の冷えを訴える。ホッカイロを要求。

19:10 ホッカイロを張るために足を露出。凍傷が発覚。両足の全

指が付け根から先端まで白紫。
19:15
 鍋に溜めたお湯にて温め開始。
20:15
 上着にフリースとダウン。下着にフリースズボン二枚     

を追加で重ね着る。

 

20:40 温かいココアを飲ます。
21:07
 大谷監督・コーチ陣にメールにて第一報を入れる。

連絡を受け、協議。学生には保温と患部の加温を指示。

ヘリコプター要請の可能性も視野に入れる。

           23:00  飯田に電話。関の容態、燃料及び食料残数の確認、ヘリコプター要請の可能性を伝える。

                      23:30  大谷監督より長野県警にヘリコプター要請。ただし保守点検に入っており飛べず、朝一番で岐阜県警に確認するとの返答を受ける。3人のご家族へ連絡。明日の朝以降に、へリコプターで救助することを伝える。

                      24:00 飯田に明日朝以降の動きを指示する。

15日目:1月6日    独標過ぎのpeakCS7〜ヘリコプターにて救出、下山

24 :40  関仮眠。

02 :30 お湯にて温め再開。

03 :20 温め終了。幹部の色はほぼ正常。感覚もほぼ戻る。テント

シューズを履かせシュラフの中に入らせる。

03:25  水作り開始。

03:40  関が尿意を訴えたのでトイレ。その際に左足の踏ん張り

が効かないと訴える。

04:40  朝食を取る。

05:30   岐阜県警のヘリコプターが飛ぶ予定と県警より連絡が入

    る。

06:40   岐阜県警より、07:00に離陸予定と連絡が入る。3人のご

    家族へその旨を連絡する。

           07:00   本多コーチ、松本へ向かい車で東京を発つ。

07:25  ヘリコプターにて関・横山搬出。

08:00  ヘリコプターにて飯田搬出。

08:10  岐阜県のなべだいらヘリポートにて給油。

08:25  高山市内ヘリポート着。関は久美愛病院へ。飯田・横山

は高山警察署へ移動。

08:45   3人のご家族へ、無事に下山した旨を連絡する。

           12:00   本多コーチ、病院で3人と合流。医師との面談後、関の入院が決定する。関のご家族に連絡。

大谷監督が横浜を新幹線で発つ。

           14:00   本多コーチ、飯田、横山の3人で高山署に挨拶。

           17:30   本多コーチ、飯田、横山の3人、長野県の大町署着。聴取。

           18:10   大谷監督が高山到着。病院で関に面会。

23:30   飯田・横山が、東京及び埼玉の各自宅に到着。

 

≪行動報告≫

山域)北アルプス中部 北鎌尾根

期間)平成23年12月23日(金)〜平成24年1月6日(金)

メンバー)3年CL飯田祐一郎

     2年 関洸哉 横山裕

行動)

12月23日(金)晴れ 新宿〜七倉温泉CS

 

新宿09001300信濃大町13301400葛温泉14101450七倉温泉CS

 

新宿を定時に出発し、予定通りに信濃大町に到着する。葛温泉までタクシーにて移動。葛温泉に着くと思っていたよりも寒い。七倉温泉まで順調に移動し行動を終了する。

 

12月24日(土)曇り後雪 七倉温泉CS1〜湯俣山荘CS2

 

七倉温泉CS10101143七倉温泉CS1高瀬ダム12001259林道終点13121500湯俣山荘CS2

 

午前中は天気が悪く、落ち着くまでしばらく様子を見る。10時から行動を開始し、順調に湯俣まで移動する。入山前、膝下ラッセルがあるものだと思っていたがその様な事はなく、踝程度の積雪であった。

 

12月25日(日)風雪(弱)湯俣山荘CS2

 

停滞

 

なるべくベストな条件で行動したかった為、本来の予定では徒渉であったが、天気が思わしくないので停滞を決める。強くはないが横殴りの風雪であった。

 

12月26日(月)風雪(弱)湯俣山荘CS2

 

停滞

 

前日と同じ判断基準により、停滞を決める。14時頃に、最初の吊り橋あたりまで偵察に行く。河川敷に降りて水に触れてみるが、非常に冷たい。明日以降の徒渉の事を思うと皆テンションが下がっていた。

 

12月27日(火)曇り 湯俣山荘CS2P2尾根取り付きCS3

 

湯俣山荘CS208151152中東沢12101440千天出合14501610P2尾根取り付きCS3

 

午前中の天候が思わしくなかったので、しばらく様子を見る。8時頃から安定してきたので行動を開始する。吊り橋にて、吊り橋を渡らず徒渉するか吊り橋を渡りトラバースするかをメンバーで話し合う。話し合った結果、吊り橋を渡らず徒渉する事に決定。靴を脱ぎ徒渉をする。しかし、前日の偵察時を上回る水の冷たさの為、3回ほど徒渉を繰り返したのち、以降はプラスチックブーツに細工を施してプラスチックブーツのままで徒渉する事にする。細工とは、ゴミ袋にて靴下を二重。インナーを一重に保護するというもの。途中左岸をへつり中に関が足を滑らせ、川に落下するものの大事には至らず、すぐに行動を再開する。千天出合からは秋山合宿の偵察時に付けた赤布を頼りに進む。出発時間の遅れと、プラスチックブーツへの細工時間がプラスされた事により、P2尾根取り付きCS3には16時着となった。高巻きを避け行動したため、全体で6〜7回は徒渉を行った。

 

12月28日(水)晴れ P2尾根取り付きCS3

 

停滞

 

朝、前日の暖取りにて乾かしたはずの関と横山のインナーが湿っていたので、急遽ガスでインナーを乾かす。この乾かし物に時間がかかり、逆算しても当日の行動を終える事は出来ない時間となった。そして、中途半端にP2の肩などで幕営すると水作りで余計な燃料を使う事になる為、停滞を決める。

 

12月29日(木)曇り午後から風雪 P2尾根取り付きCS3P2の肩CS4

 

P2尾根取り付きCS307251045P2の肩CS4

 

朝、天候が思わしくなかったので様子を見る。一時間程すると安定してきたので行動を開始する。行動中は、雲の隙間から太陽が顔を見せるような場面もあったが、P2の肩に着くと横殴りの風雪となった為、行動を中止しP2の肩にてCS4を幕営する。

 

12月30日(金)風雪(強)のち曇り P2の肩CS4

 

停滞

 

朝から強い風雪の為停滞をきめる。午後になると天候も安定してきた。

男性二人一組のパーティーが追い抜いて行く。又、女性一人男性三人一組のパーティーが夕方頃にやってきて、私達のテントの隣に幕営をした。

 

12月31(土)晴れ P2の肩CS4〜北鎌のコルCS5

 

P2の肩CS405100615P206250833P45のコル08501140P67のコル11501308北鎌のコルCS5

天候も良く、前日の男性二人組パーティーのトレースがしっかりついていたため、予定よりも早くに行動を開始する。まだ夜が明けてはいなかったが樹林帯の中での行動の為順調に進む。P2手前のピークに着く頃には少しずつ明るくなってきた。秋山の偵察時にてザイルを出したP3手前では、雪が付き安定していた為ノーザイルで登る。P45のコルはスペースが小さくあまり幕営には適していなかった。P56のコルからは天上沢側に懸垂し、予定通りのトラバースを行うものの、急斜面での胸ラッセルを強いられる場面がありなかなか進まない。P5・6のコルに着いた時、前日に私達のテントを追い抜いていった男性二人一組のパーティーがP6を登攀している最中で、結果としてトラバースした私達よりも早くにP67のコルを越えて行動出来ていた。なので、急斜面での胸ラッセルの事を踏まえて考えるとP6は、トラバースよりも直登の方が良いかもしれない。P67のコルの数メートル手前で前日隣に幕営していた社会人パーティーとラッセルを交代する。P67のコルに着くと関が吐き気を訴えたので様子を見ながらの行動をする。P7をトラバースし、北鎌のコルへと下降をするころには、関の容態が先ほどよりも思わしくなく、足の踏ん張りが利かなくなってきているようにも見えた。本人に聞いてみるとゆっくりと行動すれば問題はないと言っていたので、とりあえず北鎌のコルまで行動を続ける。北鎌のコルに着くと先ほどの社会人パーティーに会った。関の容態を考え当日の行動を北鎌のコルにて終える事を決め、その旨を彼らにも伝えた。彼らはP8へとそのまま行動していったので、幕営スペースは申し分なく、ゆったりと使用する事が出来たが、スペース的にはV4テント二張りが限界だと思う。また、設営中に真ん中のテントポールが折れてしまった。しかし、以降計画を遂行するにあたって支障を来すレベルではなかった。

 

1月1日(日)午後から風雪 北鎌のコルCS5〜独標基部CS6

 

北鎌のコルCS510251159P812121335独標基部CS6

 

この日の行程は、前日の関の体調不良があったので様子を見ながら独標基部を目指す事にした。関の体調は問題なかったが、病み上がりという事もあって歩くペースが遅い。途中、P8手前頃トップを関から飯田へと交代する。予定通りに独標基部にて天幕する。午後からは風雪になっていき、夜になるとしだいに強まってきた。

 

1月2日(月)風雪(強) 独標基部CS6

 

停滞

 

前日からの風雪が止まらない為、停滞を決める。

 

1月3日(火)風雪(強) 独標基部CS6

 

停滞

 

未だに風雪が強い為停滞を決める。ラジオを付けると、一昨日まで一緒に行動していた四人一組のパーティーが遭難し、救助された事を知る。14時頃、天候が少しの時間落ち着くもののテント内に下級生一人を残す事はリスキーである事と、全員で偵察を行った場合はテントが飛ばされる恐れがあるので偵察は行わなかった。又、明日以降の行動について東京連絡所と相談し、明日以降は朝0600にも定時連絡をし、進むかエスケープするかの報告を携帯電話によりメールで行う事に決定する。678日は比較的天候が安定するとの予報であったので明日は何とか核心である独標を最低でも越えておき、出来ればP1415辺りまでいきたいと皆で話し合い就寝する。

 

1月4日(水)風雪(午後になるにつれ強)テント内気温−19℃(23時頃、時計にて計測) 独標基部CS6〜独標過ぎのpeakCS7

 

独標基部CS609001530独標過ぎのpeakCS7

 

行動開始の定時連絡をしたものの、朝方は風雪が強くなったり弱くなったりで、しばらく様子を見る。メンバーで話し合った結果、行動を開始する。核心の独標のトラバースは思っていたよりも大した事はないが、トラバース手前の雪面が切り立っており、なかなか渋かった。ザイルを張り慎重にトラバースする。天候は、トラバース行程の真ん中あたりから出発時よりも悪天候となり強い風雪となってきた。関・横山に体調を聞くも大丈夫と答えていたので安心する。この辺りまでは、進むべきか撤退すべきかを毎ピッチ毎ピッチ考えながらの登攀であった。トラバースを終えてコルに着いた時点で、スタートが遅かった事もあるが予想よりもトラバースに時間を取られた為P1415のコルまでは厳しい時間となる。

秋山合宿での偵察で、小さなスペースがあるpeakが近くにある事を知っていたので、雪が付いてより安定している事を願い行動を続ける。トラバース終わりのコルからは千丈沢側にザイル20メートルほど出しトラバースする。そのトラバース終了点から20メートル程槍ヶ岳側に進んだ地点に、peakはあった。PeakにはV4テント一張り分の設営スペースがあり、とりあえずホッとする。行動開始から独標過ぎのpeakCS7までで、7ピッチ程ザイルを出した。テントに入ると横山経由で関の体調不良を知り、夕食までシュラフ内にて安静にさせる。時間が経つにつれ体調は回復したようで、反省会を行う頃には落ち着いた様子だった。夜には最新の気象情報を入手し、反省会を行う。前日の予報通り5日は悪天候との情報であった。やはり、678日が勝負になりそうだ。目の前に槍ヶ岳があることを思うと皆モチベーションが上がっているようだった。

 

1月5日(木)風雪(中) 独標過ぎのpeakCS7

 

停滞

 

朝方は予報通りの悪天候であったが、前日の風雪の中での行動を経験してしまっているので、思っていたよりも悪天候ではないように感じてしまう。又、実際に前日の行動中のほうが風雪は強かった。しかし、普段の山行で考えれば即停滞の天候ではあった。それに加え、関・横山は疲労が溜まっており、明日以降の比較的安定した天候で勝負に出るために体力温存が必要でもあったので、停滞を決める。

 

※以降遭難事故発生概要(※太字に波線は監督、コーチ、OB会の動き)

19:00 関が足の冷えを訴える。ホッカイロを要求。

19:10 ホッカイロを張るために足を露出。凍傷が発覚。両足の全指が付け根から先端まで 

    白紫。

19:15 鍋に溜めたお湯にて温め開始。

20:15 上着にフリースとダウン。下着にフリースズボン二枚を追加で重ね着る。

21:07 大谷監督・コーチ陣にメールにて第一報を入れる。

連絡を受け、協議。学生には保温と患部の加温を指示。

ヘリコプター要請の可能性も視野に入れる。

23:00 飯田に電話。関の容態、燃料及び食料残数の確認、ヘリコプター

要請の可能性を伝える。

23:30 大谷監督より長野県警にヘリコプター要請。ただし保守点検に入っており飛べず、朝一番で岐阜県警に確認するとの返答を受ける。3人のご家族へ連絡。明日の朝以降に、へリコプターで救助することを伝える。

24:00 飯田に明日朝以降の動きを指示する。

 

1月6日(金)晴れ後曇り 

 

24 :40  関仮眠。

02 :30 お湯にて温め再開。

03 :20 温め終了。幹部の色はほぼ正常。感覚もほぼ戻る。テントシューズを履かせシュラフの中に入らせる。

03:25  水作り開始。

03:40  関が尿意を訴えたのでトイレ。その際に左足の踏ん張りが効かないと訴える。

04:40  朝食を取る。

05:30   岐阜県警のヘリコプターが飛ぶ予定と県警より連絡が入る。

06:40   岐阜県警より、07:00に離陸予定と連絡が入る。3人のご家族へその旨を連絡する。

07:00   本多コーチ、松本へ向かい車で東京を発つ。

07:25  ヘリコプターにて関・横山搬出。

08:00  ヘリコプターにて飯田搬出。

08:10  岐阜県のなべだいらヘリポートにて給油。

08:25  高山市内ヘリポート着。関は久美愛病院へ。飯田・横山は高山警察署へ移動。

08:45   3人のご家族へ、無事に下山した旨を連絡する。

12:00   本多コーチ、病院で3人と合流。医師との面談後、関の入院が決定する。関のご家族に連絡。大谷監督が横浜を新幹線で発つ。

14:00   本多コーチ、飯田、横山の3人で高山署に挨拶。

17:30   本多コーチ、飯田、横山の3人、長野県の大町署着。聴取。

18:10   大谷監督が高山到着。病院で関に面会。

23:30   飯田、横山が東京、及び埼玉の各自宅に到着。

 

 

↑ゲートから高瀬ダムへ                                     ↑湯俣山荘先の徒渉開始のつり橋

 

↑徒渉                                             ↑千天出合までもう少し

↑P2へ関トップ

 

↑P6ラッセル 飯田さん                                    ↑P7からの独標とP8

 

↑独標基部へ

 

                                                ↑独標基部

 

↑独標トラバース 飯田さんトップ                                ↑独標トラバース 飯田さんトップ

 

↑独標過ぎ稜線から槍が微かに見え隠れする                            ↑最終天幕地から槍