Himal chili 7893m 日本大学ヒマルチュリ登山隊1986
クライミング・レポート (1986.9.8 〜 10.28)


タジェ村でみかけた子供達。


タジェ小学校での朝礼風景。


ヒマルチュリ南面。夏のキャラバンは緑が美しい。


ウスユキソウが咲きみだれるキャラバン・ルート。
ポーター達はボクと呼ばれる防寒具を身につけている。


《ABC建設まで》村口徳行


ベースキャンプからルートを眺める。

9月7日 雨
 朝からみぞれ混じりの雨模様である。これからの登山の安全と成功を祈り、BC開きを行う。チョルテンを囲み、ダワ・ギャルツェンの読経が始まると、それまで雲に覆われていたヒマルチュリがいきなり我々の頭上に高く聳え、眩しく輝いた。感動的な一瞬だ。装備・食糧などの整理にあたる。ロープだけでも6,500m以上あり、あらためて登攀のスケールが大きいことを感じる。

9月8日 晴〜雨
早朝、村口・古野はルート短縮を求めてスーパークーロワールへ直接登るルートの偵察に向かう。写真で見る限りでは可能性のあるルートだが、実際には落石と雪崩の危険性が高く、ルンゼと平行してせり上がる急峻な岩壁混じりの雪稜を登り、「トリプル」と「洞穴のコル」へ突き上げた。
 みぞれ混じりの雪が降って寒いので、早々に10数ピッチの懸垂下降を交えてBCに戻る。岡田・中村・鈴木・石川は偵察と順化を兼ねて1981年のオリジナルルートを登り、話し合いの結果、つまり近道をしないでオリジナルルートを採ることに決定した。

9月9日 雨
 村口・古野とシェルパ2名は工作、他のメンバーは順化と荷揚げおよびBC〜C1間の部分的なフィックス工作。
 C1から先のルートは当然ドルディー左俣側を行くつもりでいたが、「右俣に良いルートがあるとシェルパが言う。「本当だろうか?」と疑いながらも、甘い言葉に騙されてルートを採ると、案の定行き詰まった。強い意志を持たないとルートは伸ばせない。
 ルートはよく知っているので、目をつぶっても行けると思っていたが、ガスに包まれて視界を失うと、自分が何処にうるのかさっぱり判らない。1981年のロープやピトンの類は何一つ残っておらず、工作には結構気を使う。
 稜線は鋸歯のピークが重なり、雪は殆どついていない。どうやら、雪が少ないようだ。風化した壁を左上気味に複雑なトラバースを続け、崩れそうな岩は蹴落として整備しながらロープを張る。3本目のルンゼ迄行くと、視界を完全に失い、みぞれが冷たいので帰る。

9月10日 雨
 昨日に引き続き、村口は、ニマ・テンバ、ニマ・ドルジェと工作に向かう。トリプルピークを左から巻き、一昨日偵察で登ったコルに到着する。みぞれ混じりの雨が降り、視界が利かない。洞穴ピークのドルディー左俣側をトラバースし、ルンゼを直登するが、シェルパがさっきから「もう、遅いから帰ろう」とうるさいので、ピークまで1ピッチを残して下降する。
 井本はC1まで順化、他のメンバーは休養する。

9月11日 晴〜雨
 岡田・鈴木は洞穴ピーク迄ルートを伸ばす。今回の計画では、C1を洞穴ピーク周辺に予定したが、スペースに問題がある為、少し近いがC1を81年のC2跡に作り、トリプルとのコルにデポジットスペースを作ることにする。
 中村・井本・石川は順化を兼ねて荷揚げ。

9月12日 雪
9月13日 雪
9月14日 雪
 3日間、雪のため停滞。


C1〜C2のルート工作。不安定な積雪が行く手を阻む。

9月15日 晴
 三日間降り続いた雪は予想外に深く積もり、先行した岡田・中村・井本・石川はラッセルに苦しめられ、氷河の対岸まで行って引き返す。村口・鈴木・古野は予定していたC1入りを中止する。

9月16日 晴〜雪
 1981年のC1跡に、今回のC1を建設する。村口隊がC1入りし、岡田隊およびシェルパは天幕を建設後BCへ戻る。
 村口・古野は3時半よりルート整備に向かう。雪が深く、2本目のルンゼでは落石の為にロープが寸断されて、繋ぐのに手間がかかった。小雪が舞って寒いので引き返す。6時近くに帰幕するとひとりさびしく鈴木がメシを炊いて待っていた。

9月17日 晴
 C1の3名は工作に向かうが、雪に埋まったロープ堀に終始する。洞穴ピークに着いた時には、既に夕方の雲が湧き上がり、ヤル気を無くしてC1へ戻る。

9月18日 晴
 岡田隊はC1入り、村口隊は引き続き工作。
 C2迄工作しようと、張り切って朝6時にC1を出発。洞穴ピークから雪稜を2ピッチ半下降しコルに着く。これから向かう岩壁部はリッジを越えて再び下降しなければならない。見た限りではこのコルからトラバースすると、うまい具合に直接岩壁部へ達せそうだ。雪を伝って左へ左へと回り込んでいくと、風化した大ハングが張り出しルートは悪くなる。上を見上げると、目的の岩壁部がすぐそこに見える。しかし、残念だが、ここで工作に時間をかけ、悪いルートを行くよりも多少の遠まわりでも安全で確実な1981年のルートを行くことにする。右俣側を2ピッチ半登ると「モロゾフ」の垂直の岩壁にぶつかり、ドルディ側へ再び1ピッチ下降する。井戸の底のような所から垂直のフェースに取り付き、4級の岩壁を1ピッチ半でスーパークーロワールの入口に到達した。1981年の工作が如何に理想的なルートを選択しているか改めて感心する。クーロワールを2ピッチ程登り、3時半に引き返す。C1を通過し、7時頃BCに帰り着く。


C2〜C3のルート工作。スーパークーロワール。落石が多く苦労する。

9月19日 晴〜霧
 昨日C1入りした岡田隊の4名は更にルートを伸ばし、モロゾフピークC2予定地へ到達する。
 硬い氷混じりの急傾斜で構成された「スーパークーロワール」を約200m登ると、1981年のフィックスロープが垂直の岩壁に残され、雪の少なさを顕していた。壁の基部をトラバースし、リッジに回り込んで急な雪壁の基部をトラバースし、リッジに回り込んで急な雪壁を3ピッチ程でモロゾフのピークに出る。

9月20日 晴
 岡田隊はC2建設の為、天幕・食糧・ロープなどを大量に荷揚げしBCに下降する。
 村口隊はC1をとばして、星明かりの中、C2に入る。


C3〜C4は細いナイフリッジが1Km続いた。


C3〜C4。靴が一足ようやく乗る幅のナイフエッジに胃が痛む。



C3〜C4。羅生門にラダーをかけて突破。


C4付近から望む最終岩壁。強風で体力を奪っていく。


C4上部、100mの氷壁。


最終ピッチをルート工作する村口隊員。風が強くこのあと凍傷を負う。


最終岩壁を登攀する井本隊員。


頂上稜線(右)よりP29(左)とマナスル(中央)を望む。


1986年10月26日、7,893mの頂に立つ古野淳。



以降、工事中。少々お待ち下さい。


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